余計な一葉 第1話

文字数 3,103文字

 今夜の演目は東方の鬼伝説を元にした芝居で劇作家コルピ・クラークの二年ぶりの新作となっている。家族を鬼に殺された少年を軸とした復讐の物語で、若手俳優を多く起用した意欲作でもある。

 ローズも前評判を確かめるべく歌劇場へとやって来た。馬車を車寄せに置き場内に入ると長蛇の列である。これほどとはと感心しながら定期貸し切り客向けの受付へと向かう。しかし、どこかおかしい。並んでいる客たちから漂ってくる感情は、芝居に対する期待より理不尽に待たされていることへの苛立ちである。

 理由はすぐに判明した。一階席向けの受付でもめている客がいるようだ。興奮した女が大声でわめきたてている。話が成り立たないため受付係は閉口し、一緒に来た友人はこの事態におろおろするばかりである。この騒ぎのため受付作業が滞り行列ができてしまっていたのだ。

「何の騒ぎでしょうね」とフレア。

 女は涙目で男の受付係に掴みかからんばかりの勢いである。

「偽札?は読めるけど、極度の興奮と混乱でまともじゃないわ。このままだと自分の言葉で更に興奮して倒れるか。警備隊を呼ばれるかのどちらかね」

 ローズは立ち止まり受付に目を向けた。ふっと女が首を項垂れ、甲高い声が止んだ。突然の変化に受付と友人が彼女の傍による。受付係が素早く動き背中に手を添えると女は顔を上げた。頬はまだ紅潮しているが目つきは憑きものが取れたように落ち着いている。

「ごめんなさい。わたしはどうすればいいのかしら」口調も落ち着いている。

 ローズが再び歩き出す。フレアも後に付いていく。

「あの方の頭の中触ったんですか?」

「落ち着かせただけよ。悪意はなかった。ただ目の前で起こったことに混乱してたのよ」



 芝居は東方の描かれ方に少々不満はあるものの、芝居自体は満足のいく出来であった。若い役者たちの演技にも好印象が持てた。何よりフレアが退屈せず隣で見ていたのだから上々の出来と言えるだろう。

 舞台の照明が落ち楽団が引き上げた頃、来客が訪れた。劇場の副支配人のマーナガルムである。彼は桟敷席の入り口の壁を数回軽く叩き名乗ると、ローズの応答の声を待つことなく入ってきた。少し急いでいるようだ。

 白髪頭で痩せた長身の男はローズに恭しく頭を下げ、今夜の舞台についての寸評を求めてきた。これは特に珍しい事ではないため、ローズも感じたことをそのまま伝えておいた。彼女はただの芝居好きでしかないのだが、かなりの有名人である。その彼女の意見が新聞などに載れば、芝居への興味を引くことができ広告欄より安上がりにすむ場合もある。

 しかし、今回は他に重要な件があるようだ。マーナガルムの体からその思いが湯気のように立ち登っているのだが、ローズは彼がそれを口に出すのを待ってみた。

「一階席受付でのお力添えありがとうございました」

「何のことでしょうか?」本題へと入ったようだがとりあえずローズはとぼけてみた。

「お客様が取り乱されて、一階担当だったアールトネンが警備担当を呼ぶこともやむなしかと悩んでいた時に、丁度ローズ様が現れ立ち止まった。その瞬間お客様が正気を取り戻され、おかげで落ち着いた話し合いを再開することができたと聞いております。近くの販売担当からも同様の話を聞いております」

「よく見てましたね」

「お客様方の動きを観察する。それも彼らの仕事の一つでもあります。ところでローズ様、あなたはあのお客様どう見られましたか?悪意など感じられましたか」

 この質問がマーナガルムが訪れた理由だ。警備隊に頼まれてここにやって来たのだ。

「いいえ、思いもしない嫌疑をかけられ冷静さが消し飛んだようですね。悪意からの芝居ではありません。意識がひどく乱れて読み取れたのは偽札とそれを否定する思いばかりでした」

「それを聞いて安心しました」

「あの方、偽札使ったいたんですか?」フレアが質問を挟む。

「フレア……」

「問題はありません」マーナガルムはローズに目をやり微笑んだ。「あの方は一階席の券を買うために件の札を使われたのですが、アールトネンが調べたところ偽物であることが判明しました。その事実を告げ別室にて入手先などの事情を伺おうとしたのですが、衝撃が大きかったのでしょう。あの状態になられて……」

「アールトネンさんも凄いですね。一瞬で判別できるなんて」

「それはよくできた偽札ではあるんですが、見分け方があるのです」

 マーナガルムは上着の内側から紙幣を二枚と他の物入れから拡大鏡を取り出した。テーブルに紙幣二枚を並べる。一方の紙幣の左上隅には赤いインクで小さな円が描かれている。

「よくできている偽物です。それゆえこれを作った本人たちも自分たちが混乱するのを恐れたのでしょう。目立ちにくい印をつけています」彼は赤い円が付いた札を指差し拡大鏡を被せた。

「こちらが偽物です。円の中の草模様に余分な葉が一枚追加されていますでしょう」

 マーナガルムはローズに拡大鏡を手渡した。本物と比べると確かに葉が一枚多い。

「わたしたちもこの件にについては警備隊から連絡を受けてはいたのですが、実際目にしたのは今夜が初めてです。今は警備隊の方と共に紙幣の再点検中です」

「確かに書き込みが自然に溶け込んで本物と比べないと気が付きませんね」

「はい、ローズ様も用心されたよいと思われます」 マーナガルムは控えめに笑顔を浮かべた。

 
 ローズは鉄馬を早足で駆けさせ塔へと戻り、着替えもそこそこにフレアに命じ、金庫の中に置いてある紙幣を持ってこさせた。そして床に山と積まれた紙幣の束を二人で一枚一枚丹念に調べていく。探し物は一つ目の束で見つかった。

「ローズ様、これでしょうか?」

 フレアは当該の紙幣をローズの前に差し出す。紙幣の左上隅に拡大鏡を当てると、歌劇場で目にした余分な葉が描かれていることがわかった。

「そのようね」ローズが眉をしかめる。

 念のために他の紙幣と比べてみる。やはり間違いない。無用な葉が一枚付け加えられている。

「本当にいい出来なのに余計な真似を……」 

「そういう問題ですか……」

「この葉がなければほぼ見分けがつかない。本物と同じ紙とインクを手に入れればもう自前でお札を刷り放題よ」

「まさか、原版を手に入れて地下で刷ろうとか思ってないですよね。見つかれば重罪ですよ」

「確かにそれと知って使っただけで刑務所送り、製造などの規模によっては死刑もあるわね」

 二人は再び真偽の判定に戻った。平均して百枚の束の中で一枚の頻度で姿を現す。

「これだけの数の偽札が人知れず流れているんですね」

「偽札注意の張り紙を目立つとことに張り出すわけにもいかないのよ。混乱の元だしね。帝都側が知っていることをわかれば、偽造犯は細工を変えてくる。いたちごっこというやつね」ローズは口元を歪ませ新たに発見した一枚を偽札の束に加えた。

「出来るのはひっそりと偽物を回収して、早急に偽造元を特定して流通を根元から立つことだけ……わたしたちも協力することにしましょうかね」

「どこから当たりましょうか」

 また束に一枚加わる。退屈なカードゲームのようだ。

「これはどこから集めてきたお札なの?」

「もう混ざってしまって特定できませんが、東の方々からです」

「それならあの人たちに何か知らないか聞いてらっしゃい」ローズは椅子から立ち上がりベランダへの扉へと歩いていった。「後は頼んだわ。偽札は十枚ほど置いておいて残りはかまどの焚き付けにしてしまいなさい」

「はい」

 フレアは残りの山を見てため息をついた。
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