遷都祭の奇跡 第1話

文字数 4,585文字

 フレア・ランドールがガ・マレ運河を越えると街は週末からの催しのために装いを変えていた。遷都祭が始まるのだ。約五百年前西方のオキシデンの地からここリヴァ・デルメルへと都を移したことを記念する祝祭行事である。当時の支配者を打倒した勢力が心機一転を図るためこちらに都を起こしたとされている。なおオキシデンは今も帝国の主要都市のひとつである。
 最初の頃の遷都慶祝行事は皇家と呼ばれている限られた貴族のみと執り行われていたが、時を経るにつれ参加者が増え、やがて帝都各所で関連の催しが行われるようになった。
 貴族だけの厳かな行事が街挙げてのお祭りに代わっても、フレアが帝都にやってきた頃は、まだ旧市街だけが持ち上がっているだけの状況で、新市街の反応はまだまだ鈍かった。最近になってようやく、新市街の住民たちもお祭り騒ぎの中に繰り出すようになった。
 そこで奇妙な割を食うこと事になっているのがローズである。ローズとコバヤシの進出により住民の生活は向上している。仕事ばかりではなく余暇を楽しむ余裕ができた者は旧市街へと遊びに行くようになってきた。大きな催しとなればローズへの献血はそっちのけとなってしまう。ローズはいつもいるが、お祭り騒ぎはその時だけということだ。ローズもこれは強制することはできず、住民に任せるしかない。そして、食事が少し物足りなくなることもある。
 繁華街の大通りも遷都祭の準備は着々と進んでいる。街灯には祭りの期間を知らせる旗が揺らめき、通りに並ぶ店舗のショウウィンドウには、祭り期間限定の商品のお品書きや無料の演奏会、大道芸人の来店を告げるチラシが張り付けられている。
 当日は通りに屋台が並び期間限定に加えて手ごろな値段の商品が並ぶことになる。普段はどこか気取った雰囲気で近づきづらい店舗の商品が比較的手ごろな値段で手に入る、それも限定品となっている。これにはさすがにローズでもかなわず、彼女たちができるのはお祭りの前に病院へ献血に寄ってもらうよう乞うことだけである。
 フレアは華やぐ通りを歩き、菓子店インフレイムスの裏口へ向かう。そこでいつも通り木箱に詰められた大量の焼き菓子を受け取る。今回はこちらも遷都祭に合わせての特別仕様で甘い香りが特に強い。
「これもお持ちください」フレアは店員のコハクから封筒を一つ手渡された。
「何ですか、これは?」
「週末から博物館で始まる展示会の割引券です」
「あぁ!」
 その展示会の招待状なら塔にも届いていた。歴代皇帝の武具展だったと覚えている。といってもそちらは夜に開かれる寄付金集めの立食パーティである。高額の現金を払っても血や生肉が出されるわけもなく、彼女たちができるのは来客たちと話をして過ごすことぐらいである。ローズはヴァンス・ニール博士の顔を立て出席する予定だ。
「コハクさんたちはいいんですか?」
「わたしたちは忙しくてお休みはありません。皆さんが遊んでいる時は忙しい仕事ですから」
「そうでしたね。わたしもです」

 飲食店などと同様に遷都祭に向かい対策に追われているのがインフラや警備の担い手たちである。
 中央環境管理場の技官ルーク・ハメットは上司のジェームス・ハルフィールドに遷都祭期間に向けてのごみ食い蟲運用見積書を提出した。
「本当にこれだけ必要か?」ハルフィールドは机の上に置かれた見積書に目を通す。
「はい、コバヤシの予報官に聞きましたが、期間中は申し分のない青空が広がり雨の気配は小指の先ほどもないということです」
「祭りは盛り上がり、ごみの山が出来上がるか。いいだろう、これで進めてくれ」
「はい」
 環境管理場、若干仰々しくはあるがわかりやすく言えばごみ処理場である。この施設には旧市街中央部のごみが集められる。ごみは焼かれることはなく埋められるわけででもない。ここでは異世界から召喚された妖魔が請け負っている。そして、その管理を任されているのがハメットを含めた数人の魔導士たちである。
 この施設への配属を命じられた当初は戸惑いを隠せなかったハメットも今はすっかりなじんでいる。ゴミの処理、妖魔の管理と聞き嫌悪感を持っていた親も命の危険がないとわかると何も言わなくなった。
「どうだった?」
 ハメットが管理室に戻ると早速同僚が見積書の出来を尋ねてきた。
「いいってさ」
「そりゃよかった」
 短いやり取りを終えるとハメットは自分の席に座り、目の前の壁に映し出されるごみ食い蟲の様子を眺めた。
 蟲と呼んでいるが奴らに蟲っぽいところは少しもない。緑色をした巨大な水玉だ。プリンやババロアという名の方が一般的だろう。濁った緑色の水玉は床いっぱいのごみの上を這い回りもりもりとごみを食べる。食べ過ぎて成長が早すぎると弾けて消えて元の世界へ帰ってしまう。少ないと仲間同士で喧嘩を始める。ハメットたち職員の普段の仕事は過不足のない餌となるごみの供給と、小競り合いの緩和である。
 這い回る蟲を眺めていると何もいない辺りのごみが波打ち始めた。蟲たちはごみの中に潜り込むことはなく、追加されたごみに埋もれたとしてもすぐ飛び出してくる。中を這って動くことはない。ゴミの中に何かいる。
 同僚のクリフも気づいたようで波打つごみを指さした。
「処理室に侵入者。警備隊は完全装備の上、突入の準備を」
「処理室を一時封鎖準備を」ハメットは拡声器告げると傍にある全館警報のつまみをまわした。他部署にも緊急対応の指示を出していく。
 場内にけたたましい警報が鳴り響き、壁面に映し出される何面もの映像の中で各所で慌ただしく職員たちが動いている。警報を聞きつけハルフィールドが管理室に飛びこんできた。
 ここまで騒ぎが大きくなってごみから這い出してきたのが、大蛇や育ち過ぎのアナグマという落ちが何度かあったが今回は違った。ゴミは一か所が盛り上がり始め山を作り腕と頭が生え、ごみで構成された巨人となった。巨人は両手の拳を握りしめるとごみ食い蟲たちをつぶし始めた。

 ディビット・ビンチを始めとする特化隊の四人は環境管理場の通報により完全武装で駆け付けた。ビンチもごみ処理が新市街と違って焼却ではなく妖魔が担っていることは知っていたが現場を見ることはなかった。
 広大な敷地建つ白壁の建物、巨大な卵を思わせる建造物に窓はない。それを高い塀が取り囲んでいる。控えめな表札代わりの銘板は掲げてあるが、ごみを積んだ荷車の行列、そして色褪せた建設反対の立て看板がなければ、何のための施設かわからない者もいるに違いない。
 正面入り口に鉄馬車で乗り付けた特化隊士たちは防護服と防護マスク姿の職員たちの出迎えを受けた。隊士達も同様の防護服を勧められた。各人鎧の上から防護服を身に着けることになったが、服のサイズは充実していたためアトソンの中背や装備で熊のような体格になったビンチでも難なく身に着けることができた。
「案内します。ついてきてください」職員と思われる男の声が頭の中に流れ込んできた。防護マスクに通信石が仕込まれているようだ。
 職員に手招きされ防護服の一団は前方にある白地に赤い枠がついた扉へと向かった。扉には赤い文字で"関係者以外立ち入り厳禁"その下に"防護装備は必ず着用のこと"と書かれている。職員二人が左右の壁から取っ手を探り出し、同時に力を込めて引いた。
 扉が開き内部へ突入する。案内表示などはなく、枝道も複数あるが職員は迷いなく深部へと突き進む。無地の廊下を行くとほどなくして重厚な隔壁が現れた。ビンチ、フィックスとも様々な施設を目にしてきたがごみ処理場でこのような隔壁を目にするとは思わなかった。
「外部隔壁解放、総員緑の線まで退避願います。外部隔壁解放、総員緑の線まで退避願います」
 分厚い石の扉が下から上へ徐々に上がっていく。
「内部で大量の妖魔を召喚しています。用心に越したことはありません」
 職員に促され内部に進入する。警報とともに外部隔壁が彼らの背後で降り空間が遮蔽された。
「この先が施設の最深部になります」
「了解」
 特化隊の面々は封鎖された区画に閉じ込められているのはごみでできた体を持つ魔物と聞かされている。当初は施設内の警備隊での討伐を考えたが大事を取り、特化隊への応援要請が入ってきた。
「内部隔壁解放、職員は後方へ退避、戦闘に備えよ。内部隔壁解放、職員は後方へ退避、戦闘に備えよ」
 隔壁が上昇を始め向こう側にごみの山が姿を現した。半分ほど開くと一番手前の山には手が生えていることわかった。三本の指を持つ左右の腕をゆらゆらを動かしている。生ごみでできたゴーレムである。頭と思われる突起はあるが顔はない。
 ビンチがカウントダウンを始め、完了ともに大振りの戦斧を手にジェイスン・ユーステッドが加護を纏い飛び出していった。ゴーレムは彼の目の前の床に右拳を叩きつける。ごみが床に飛び散る。ユーステッドはそれを避け一気に跳躍し戦斧を頭に叩き込んだ。そこで残りの三人が飛び出した。狙いはゴーレムの腕と胴である。
 そこを突然の強風が襲った。引き起こされたつむじ風にごみともにユーステッドは上空へと巻き上げられた。三人も耐えるのみでなすすべもない。ユーステッドはあわや丸天井に激突かと思われたが足から着地に成功し、床への降下も積み重なったごみによりいくらか緩和された。風が収まると同時にごみのゴーレムはその場に崩れごみ塗れの四人組だけが残った。
「殺ったか?」
「わからん……」
「まだ、隠れているかもしれん、気をつけろ」
 仲間が警戒態勢を維持している中でアトソンだけが天井を眺めていた。
「もう、逃げたよ。もう気配はない」
 アトソンは天井を眺めながら区画の外へ出た。そして天井の一角を指さす。
「あそこから出て行ったんだと思う」
 天井の隅に小さな網が張られその向こう側は闇となっている。
「そこは通気口です。閉鎖することは可能ですが、今は開いています」と職員の声。
「きっと逃げる気満々だったんだよ。少し威勢のいいところを見せてから、目くらましをして逃げる。俺もやったことある」
「妖魔は追い出したとみていいですね」
「かまわないと思いますが、もうすぐうちの魔導士隊がやってきます。判断はそちらに任せます」ビンチが職員に告げる。
「おい、妙なものを見つけた」
 その声の主であるフィックスに全員が視線を向けると、彼は一枚の紙片を手にしていた。赤や緑の染みで汚れてはいるものの中央の魔法陣とそれを取り巻く呪文は見て取れる。
「なんだ、あれは……」アトソンがつぶやく。
「あれはさっきのごみ野郎をここに呼ぶための招待状だよ」
 それはこの騒ぎが事故ではなく事件であること示す証拠、ビンチはため息をついた。

 中央環境管理場の汚れ放置されたままの立て看板。建設反対と書かれた看板の前に男が二人立っている。彼らは渋滞する荷車の行列と、白い服を着た魔導士の団体が建物内の駆け込む様子を眺めている。
「どうだ。見ての通りだ」
「いいだろう。次の準備を頼む」
 男たちにそれ以上の言葉を交わす必要はないらしく、その場で別れ去っていった。
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