第4話

文字数 3,503文字

 フレアとウィーチャーズの来訪は熱烈歓迎とは行かないようだ。これがフレアがヤンセン家の玄関前で感じた第一印象だ。
「どうぞ、中にお入りください」ややあって先ほど玄関口に現れた使用人が半開きの扉の中から手招きをした。
 フレアとウィーチャーズはともに顔を見合わせた。その使用人が中に入ると、入れ替わりに男の使用人が早足で二人の元へやって来た。軽く頭を上げて、フレアたちが傍に置いていた荷物を両手に下げ屋敷内へと運び去って行った。周囲を気にして神経過敏になっているのかもしれないが、このような振る舞い目にするとかえって余人の興味を引きかねない。
 玄関広間を抜けてすぐの廊下にさっきの男女が待ち受けていた。女の方はフレア達二人が玄関の戸口をくぐると素早く背後に回り込み鍵を閉めた。同じような足取りで二人の目前に駆け戻る。
「旦那様の元へご案内します。こちらへどうぞ」僅かにうわずった声で廊下の奥を右手で示す。
 女を先頭に静かな廊下を奥へ歩いて行く。途中にある左右の分かれ道で荷物を持った若い男は右手にへ入り、フレアたちはさらに中央を進んだ。廊下では彼らの足音しか聞こえないが、並ぶ部屋の閉ざされた扉の向こうから幾つもの気配が感じられた。中からこちらの動きを窺っているようだ。屋敷内は強い緊張感に包まれている。
 ほどなく、右手に扉が開け放たれたままとなっている部屋が目についた。使用人はその脇で立ち止まり、フレアたちに目配せをした。
「ランドール様と術師様をお連れしました」使用人は開け放たれた扉の中に向かって頭を下げた。
「ありがとう」室内から抑制が効いた男の声が響いてきた。
 使用人が戸口から脇へと退き、紹介を受けたフレアとウィーチャーズは室内へと入っていった。そこは来客用の応接間だろう。大きな窓を背にして、ふっくらとした革製の長椅子が四角形に並べられている。今は夕暮れ時で、窓の外に広がる葡萄畑は橙色に染まって見える。
 フレア達を目にして室内にいた男女が立ち上がった。男は白髪交じりの黒髪を肩まで伸ばし整えられた口髭を蓄えている。二人を見るなり安堵の表情を浮かべた。察するにこの男がカイ・ヤンセンか。ならば隣にいるふくよかで小柄な赤い髪の女がその妻でフローラの母親か。黒い瞳を心配気に潤ませている。その背後にお仕着せを身に着けた初老の男が立っている。細身で長身、短く整えられた銀髪でフレア達を眺める薄い蒼の瞳は少々懐疑的な色を帯びている。
 突然の訪問者だ、疑いの目を向けられても仕方はない。
「よく来られた、ランドールさんと……」
「こちらはピーター・ウィチャーズ様です」とフレア。「正教会特別部に所属していた術師様ですが、現在はそこを退かれ民の悩みや病から救うべく活動されています」物は言いようである。
 紹介を受けたウィーチャーズは鷹揚に頭を下げた。
「今回はこちらのフローラさんの病について相談を持ち掛けたところ快く退く受けて頂けました」
「ありがとうございます。わたしはフローラの父親でカイ・ヤンセン、ヤンセン家の当主でもあります。こちらが……」手を隣にいる女に向ける。「妻のターニャです。そして、後ろにいるのがトロイ・ドロクリ―といい、父の代から執事を勤めてくれている男です」
 二人は紹介の順に頭を下げていく。フレアとウィーチャーズもそれに応え、頭を下げる。
 ふっと息をついたカイの表情が引き締まる。身体を捩じりトロイに向け頷きかける。彼も応えて頷き部屋を出て行った。
「……長い間馬車に揺られたあなた方には申し訳ないのですが、早速フローラの容態を見て頂きたいのですが、よろしいでしょうか」
 二人を見つめるカイの眼差しは食い入るように強いが、そこに強要はない。あるのは熱い懇願か。
「承知しました」とウィーチャーズ。「すぐに着替えを済ませて参ります。その間しばらくお待ちください」
 フレアはウィーチャーズに先立ってヤンセン夫妻と共に屋敷の右翼にあるフローラの寝室へと向かった。廊下は屋敷の右翼を巡る回廊となっており、一周すれば玄関と応接間を繋ぐ廊下に戻ることが出来る。左翼も同様の構造になっているそうだ。家族と使用人は右に部屋があり、客間は左側に集められているらしい。廊下を歩くほどに嫌な匂いが強まってくる。汗に排泄物が入り混じった病の匂いが漂っている。
 三人が到着した部屋の鍵は閉ざされていた。中からは弱い腐臭までが漂い出している。よくない傾向だ。
 ややあって、白い法衣姿のウィーチャーズがさっきの使用人と共に現れた。ウィーチャーズが身に着けているのは白服の通称の所以となっている法衣か、それともそっくりな魔導着か。フレアは事が落ち着いてから聞いてみることにした。その前にまずはこの部屋の中を見てみることだ。
 使用人が前掛けの物入れから取り出した部屋の鍵で扉を開ける。噴き出すように強さを増す臭気にフレアは思わず顔をしかめる。ウィーチャーズも何かを捉えた様子だ。夫妻と使用人に苦悩の色はついているが、変化はない。もう慣れてしまっているのか。
 窓は分厚いカーテンで部屋は閉ざされ真っ暗だ。使用人が用意してきたランタンを掲げ先に部屋に入っていく。そして、彼女が部屋の左右の壁につけられたランプに灯を点す。これでようやく光の下でフローラの姿をみることが出来た。
 部屋の右寄りに置かれた寝台に若い女が横たわっている。彼女がフローラなのだろう。長く赤い髪が汗で顔に貼りついている。ランプの影響か肌は黄色がかって見える。
「あの方がフローラさんですか?」ウィーチャーズが前に歩み出た。ふり返りカイの訊ねる。
「はい……」カイが答える。
「では、拝見させていただきましょう」
 部屋の明かりか、人の話し声か、仰向きに横たわっていたフローラが反応し指が脈動する。ゆっくりと寝台の上で上半身を起こす。項垂れているために顔に赤い髪がかかり表情は読み取れない。
「こんばんは、フローラさん。わたしはピーター・ウィチャーズと言います」
 ウィーチャーズは口元に柔らかな笑みを浮かべた。
 フローラは首を回しウィーチャーズに顔を向ける。だが、顔にかかった髪は掃わない。
「帝都よりあなたを……」
 上掛けが寝台から大きく跳ねあがる。人としてはかなり素早い動きで、フローラは寝台から飛び出してきた。狙いはウィーチャーズか、飢えた狼人のごとく歯をむき出しにして彼の喉元へと突進する。
「きゃぁぁ……」使用人が悲鳴を上げ後ずさる。
 ターニャは顔を手で覆い、カイも顔を強張らせ息を飲む。
「ハイィ!」ウィーチャーズは右手の人差し指と中指の二本でフローラの眉間を押さえ彼女の動きを受け止めた。
「ハッ!ハッ!ハッ!」
 声に合わせてフローラの肩口、胸元の他何か所をウィーチャーズは素早く指で突いた。フローラは短い痙攣を起こし前のめりに倒れ、それをウィーチャーズが身体を支えに入る。力なく彼にもたれるフローラを元通りに寝台に寝かせ上掛けをかけた。
「ご心配なく、眠っているだけです。眠りの孔を突きました。朝まで静かに眠っているでしょう」柔らかではあるが、威厳に満ちた声音だ。若干芝居がかった響きもある。これが白服仕込み話術か。
「はい……」とカイ。これはウィーチャーズの眼差しの押されての反射的な言葉だろう。
 瞬時に娘を眠らせた手際に呆気に取られているのだ。他の二人も同様の目で彼を見つめている。
「見たところ……」ウィーチャーズはフローラの額に手をかざす。「お嬢さんは呪われてはいないようですね」
「あぁ……本当ですか」カイは安堵の息を漏らす。ターニャはまだ不安なようで両手を胸元で組んでいる。
「はい、彼女の体内に何者の気配も感じられません」
 ウィーチャーズはフレアに目をやった。フレアは頷く。彼女に体内に巣食う精霊の有無は判断できないが、狼人については心得ている。あの動きはのろ過ぎて、力も脆弱だ。さっきの症状まで進んでいれば、もう抑えは効かず、隠しようも無いだろう。眠ったままというのもあり得ない。それ以前にこの村で原因不明の失踪事件が続発しているはずだ。
「ですが、何者かが仕掛けた術式に囚われているのは確かでしょう。そのため眠ったままであったり、さっきのような奇行に走るのです」
「魔法ですか……」
「はい、それによって操られているのでしょう」
「何か心当たりはありませんか」
「そんな……フローラに限って……」言葉を否定するように首を左右に振る。愛しい娘が何者かに狙われるなど考えられないのだろう。 
「何がきっかけになっているかわかりません。ここに至るまでの顛末をお聞かせ下さいませんか」
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