第5話

文字数 4,503文字

 背後に追手が迫り、前方では警備隊が見張りに付いている。また、面倒な状況になってきた。
 スターンが部屋から去った後、ファンタマは外の様子を探るために部屋の外へ出てみた。姿を消すことも考えたが、相手は警備隊である。通信魔器の他にどんな装備を身に着けているかはわからない。それならばこちらの手の内を見せることは避け、敢えてデカルメの姿を晒すことにした。
 廊下での気配に注視しつつ部屋を出て、宿の前にあった屋台で串焼きを数本買求める。その間にも少なくとも三人の制服警備隊員を目にした。そこからこそこそと周りを気にしながら歩き、デカルメに反応を示す泊り客や他の屋台の酔客の存在を探ってみた。その中に少なくとも五人程度が僅かにデカルメに関心を示した。スターンの言葉通りこの宿の内外は警備隊員によって固められている。恐らく、通信魔器で繋がっているだろうから増援はすぐに駆けつけてくるだろう。
 通りや宿の警備は彼らに任せ、ファンタマは部屋で買ってきた串焼きを味わうことにした。犬の飼い主には宿の警備状態を知り襲撃を手控える分別があることを祈るのみだ。
「まぁ、頑張ってくれ」
 部屋に引き下がったファンタマは持ち帰った串焼きに刺さった海老のぶつ切りを口で毟り取った。
 軽く塩を振った海老などの海鮮と地野菜を刺して炙っただけの串焼きだが、下手な味付けがない分、海の旨味が感じられる。その対極にあるのが淡白な白身魚にべっとりと甘辛いたれが塗られた串だ。こちらのたれが絡んだ柔らかな身がよい感じだ。これで酒があれば完璧だろうがゆっくりと飲んでいる暇はない。
 時が過ぎ、夜が更けていく。部屋から串焼きの匂いも薄まり、泊り客の出入りも収まり廊下は静かになった。外の気配は裾の一部を扉に貼りつけ窺う。これで扉の微妙な振動を音として捉えるのだ。扉に耳を当て、聞き耳を立てることと大差はないが、身体は好きに動かすことができる分楽になる。
 酔って上機嫌の男の声、階下での注文を届けにやって来た給仕の抑えた声を足音、部屋を訪ねる女の声と迎え入れる男の声、どれもこの宿の日常だろう。
 男女のやり取りは扉が閉まる音により途切れた。
 それからまもなく廊下の奥から近づいてくる足音がファンタマの耳に届いた。足音は部屋の前で止まり、鍵穴に何か差し込まれる音がした。来客のようだ。僅かに金属をこぜる音がして廊下側から扉が開かれた。扉が開かれると同時に旅行者のような身なりの男達が部屋に飛び込み左右に展開する。侵入者は四人で、懐から隠し持っていた短剣や小刀を取り出し構える。こういう輩の侵入を許すとは警備隊も当てにならないか。
「今、部屋に突入したが誰もいない」侵入者の一人が呟く。
「もぬけの空だ」
 ファンタマは姿を隠し張りついた天井から侵入者達の様子を眺めている。彼らの小声での会話はお互い同士ではなく壁とでも話しているようだ。彼らも例の通信魔器を身に着けているのだろう。嫌な物が普及し始めている。だが、彼らは無言発話には慣れていない。
 ファンタマは袖の一部を伸ばし男達が開けたままだった扉を閉じ、内側から鍵を閉めた。
「えっ……」不意の動きに声が漏れる。
 物音に釣られ男たちは扉に目をやった。その隙にファンタマは姿を消したまま天井から降り男達の正面に立った。静かな部屋に打撃音だけが響き、小刀を手にした男が床にうつ伏せに倒れた。それを目の当たりにした仲間達は周囲を警戒するが何も捉えることはできない。突然、腹に強い打撃を受けた男は身体を二つに折り、手にした短剣を取り落とし腹を押さえる。その後見えぬ打撃を頭部に受け膝をつき転がった。
 彼らがファンタマを捉えたとしても、それは微妙な視界の揺らぎ程度だ。それを人として認識するのは難しい。姿が見えない相手に攻撃され倒されていく仲間を目にして、残された男達は間隔を大きく取り周囲の空間に向かい刃を振るうも手ごたえはない。
 ファンタマは一人の男から短剣を叩き落し、手を捩じり上げ投げ飛ばした。床に頭から落ちた男は昏倒し動きを止めた。最後の男の短剣も無駄に空を切るばかりで、巧みに間を詰めたファンタマにより武器を奪われ、顎を打ち抜かれた後に操り糸が切れたように床に転がされた。
 転がした男の傍に膝をつき、ファンタマは耳元を調べてみた。やはり耳たぶに剣吞な振舞いをする男に似合わぬ小ぶりの耳飾りが付いている。ファンタマが耳飾りに手を伸ばした瞬間に窓が耳障りな破砕音を伴い内側に弾け飛んだ。粉々になった窓枠とガラスが床に降り注ぐ。ファンタマは素早く床に伏せた。背中を衝撃が通り過ぎると同時に廊下側の壁がえぐられ穴となり木っ端が舞い散った。穴は小柄な女性の拳なら入ってしまいそうな大きさだ。発砲音はなく矢も見当たらない。魔法矢とみなしてよいか。それもかなりの力の持ち主だ。 
 悠長に考えている暇はない。壁の穴は殴りつけるような衝突音の度に増えていく。状況からみて相手はファンタマの居場所を正確に捉えてはいないだろう。しかし、下手に頭を上げれば大穴を開けられ血まみれで床に転がることになる。
 匍匐前進で顔を床に擦りつけ扉へ進む。激しい衝突音に耳を痛め、木っ端を浴びながら躊躇いなく扉を閉めた自分を呪った。 
「くそっ」
 悪態をつき開錠のため袖を伸ばすが、錠前は魔法矢で破壊され弾け飛んだ。破片が床に落ち転がった。
「助かるよ。手間が省けた」
 廊下側の壁に到着したファンタマは扉の脇にすり寄る。壊れた鍵穴に伸ばした袖を差し込み扉を開ける。身体を最小限の隙間に差し込みすり抜け廊下に抜け出した。廊下を対面側まで這って歩き、そこでようやく一息ついた。
 廊下の端にある階段から足音が聞こえた。現れたのは制服の警備隊員だ。二人で連れ立って階段を上がってきた。階上での物音に気づき駆けつけてきたのだろう。廊下に座り込むファンタマと壊れた扉を目にして険しい目つきで報告を入れている。援軍がやって来るのは時間の問題だ。もう冴えない中年男デカルメを演じている場合ではない。
 ファンタマは立ち上がると、狭い廊下を横に並んで塞ぐ隊士二人に走り寄りその頭上を飛び越えた。意表を突かれた二人はファンタマを捉えようと動いた末にお互いの身体を打ちつけ床に転ぶ結果となった。尻もちを付き後頭部を壁に打ちつける。
「悪いな、急いでるんだ」
 階段を駆け降り玄関口に向かう。玄関口に出てきたファンタマに反応したのは私服が三人と制服が一人だ。客を装い待機していた二人は座っていた席から立ち上がり、ファンタマに駆け寄ってくる。残り二人は玄関口に移動しそこを固める。ファンタマは体当たりを仕掛けてきた男を床に転がし、制服の脇をすり抜ける。玄関口に突進するファンタマに備え体勢を落とした二人の頭上をすり抜け街路へと飛び出す。頭側からの着地をアラサラウスで和らげ速やかに起き上がり、人手が乏しくなってきた街路へを走りだした。
 背後から罵声や呼び笛、応援要請が耳に入るが振り向きはしない。ただ全力で突っ走るのみだ。少し行った先にまだ戸口から光が溢れ出している店が目に入った。傍に一台馬車が止めてある。
「ありがたい」ファンタマは口角を上げた。
 屋根のない二人乗りだが問題はない。ファンタマは馬車に駆け寄り御者席に飛び乗った。客待ちをしていた御者は目を丸くした後、瞬時に目尻を吊り上げた。
「あんたはここじゃない。後ろに乗ってくれ!」
 大声を上げ、拳を握る御者はファンタマに有無言わさず馬車から追い出され、街路に転がり出て座り込んだ。そこに金貨が飛んでいく。
「悪いが、馬車ごと貸してくれ」ファンタマは馬に鞭を打ち馬車を出した。
 ファンタマを追う声に御者の声が混じることになった。それはすぐに消えたが警備隊はしつこく追いすがる。だが、それも馬が早足に変えるまで、ほどなく警備隊の追跡は振り切ることに成功した。しかし、安心するのはまだ早い。連中は例の魔器で繋がって先回りすることも考えられる。じきに体勢を立て直し追撃を開始することだろう。それまでに馬車で街から十分に距離を取っておく必要がある。
 もう一方の追手はどうなったのか。廊下に出てからは警備隊の相手で手一杯となり意識の外に飛んでいた。あれで手を引いたとは思えない。
 ファンタマの問いに答えるように鋭い敵意が意識内に飛び込んできた。すぐ後ろにいる。これは間違いようもない。
 それと同時に客車の背に何かが衝突し激しい音を立てた。木材に釘を打ちつけるような槌音と甲高い金属音が連続して続く。ファンタマは一瞬身体を後ろにひねり客車に目をやった。木っ端と橙色の火花が飛んでいるのが見て取れた。客車に使われている木材と骨組みの鉄材が魔法矢を受け止めているという事か。
「大したもんだ」ファンタマは口角を上げた。あの御者に感謝だ。
 魔法矢は曲射不能で貫通性能は本物と同程度とみてよいだろう。これは朗報と言える。術者によって魔法矢は人ごみをすり抜け、煉瓦壁程度なら貫いてみせるのだから。
 ほどなく、背後からの攻撃は収まった。だが、相手が諦めたわけではない。気配はじわじわと距離を詰めてくる。やがて、右側面から地を駆ける獣の足音が聞こえて来た。それは徐々にファンタマの馬車を追い上げくる。ほどなく、ファンタマの横手に並んだのは昼間の墓地で目にした黒く毛足の長い犬だ。夜の闇に溶け込み細部ははっきりしないが、その体躯は馬ほどに巨大だ。燃え上がる眼光がしっかりとファントマを捉えている。
 その背にまたがっているのは枯れ葉色の革装を身に着けた白い肌に赤い髪の男だ。右腕にはめた金色の手甲が月光を鈍く反射している。男はファンタマに微笑みかけると、彼に向かって弓を両手で引くしぐさをした。力の発現を感じる。ファンタマはとっさに右手を男に向けてかざした。アラサラウスの袖が瞬時に展開し、防壁を形成する。男から放たれた力でアラサラウスの生地がファンタマに向かって円錐状に歪む。男が放つ矢の力で踊るように波打つ。着弾音は雨音のようだ。これでは防戦一方となり反撃を加える隙が見当たらない。
「まったく、どうすりゃぁ……」
 苛立つファンタマの前に港へ向かう曲がり角が目についた。左に行けば漁船を多数係留した波戸場に出るはずだ。ファンタマは浮かんできたひらめきに賭けてみることにした。馬の速度を維持し強引に角を左に曲がる。客車が大きく揺れて、片方が路面から浮いたが転ばずどうにか持ちこたえた。大きな揺れを感じたが構わず突き進む。黒い犬はこちらの動きに付いてこれず後ろへと下がった。
 正面に海へ張り出し、何隻もの漁船を係留した桟橋が目に入った。勢いを緩めず場所をそちらに進める。背面への攻撃が再開され、矢による打撃音が身に入る中ファンタマは軽く腰を浮かせた。馬車が桟橋に入ると同時に両手を左右に広げ、アラサラウスの裾を伸ばし反動で自らを馬車から前方へと撃ち出した。息が詰まる加速に堪え翼を形成し上空へと舞い上がる。その際、何発かの矢が傍をかすめたが、幸い着弾することはなかった。 
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