第2話

文字数 3,483文字

「警備隊に頼まれてやって来た。一昨日の晩に帝国歌劇場であったことをすべて聞かせて欲しい」
 魔導騎士団特化隊隊士ディビット・ビンチとニッキー・フィックスが日暮れ一番で塔へとやって来た。塔の周囲に早く到着しすぎて、近所にあるトムの店でエールを一杯やって時間を潰してからの訪問のようだ。だが、ローズはそれを口に出すつもりはない。ローズの言葉で彼らがトムの店に出向くのを控えることになれば、僅かであっても彼の儲けが目減りしてしまう。それは避けてやりたい。
 こちらが茶の一杯も出さないせいもあるのだろうが、水であっても人が口にできるようにするのは一手間掛ける必要がある。どの道、彼らに勧めても断るだけだ。
「一昨日……もしかしたら、あの気の毒なストックトンさんのことかしら」とローズ。
「その通り、あんたが駆けつけはしたが看取る結果になったウェビー・ストックトン氏についてだ」対面の長椅子に深く腰を下ろしているヴィンチが答えた。
「残念だったけど、わたしには手の施しようがなかったわ。あぁいうの発作っていうのかしら、突然心臓が壊れてしまったのよ。心臓に致命的なほころびができて、そこから血が勢いよく漏れ出した。わたしにできたのはストックトンさんの最後の苦しみを少しでも和らげることだけだった」
 ストックトンの突然の死は衝撃的ではあったが事件性はないはずだ。突発的ではあるが自然死であることは検死を担当した医師からも報告が出ている。それは昼間にフレアに確認を取らせておいた。
「あんたに隠し事は無駄だろうから先に言っておく」とフィックス。
 派手なウエストコートの内側から折りたたまれた新聞を取り出し、目の前のティーテーブルに広げて見せる。
「ストックトン氏を殺したのは自分だと新聞社に犯行声明を送り付けた奴がいる。その犯人はベレロフォンと名乗り、ストックトン氏は犯罪組織キマイラの獅子の頭とされる幹部で、それをあの場で討ち取ったと宣言をしている」
「……あなた達、それ本気で言ってるの?」本気ではない。半信半疑未満で仕事上仕方なくやって来た。むしろ、ローズの反応が期待通りで満足している様子だ。
「こちらとしてまだ何とも言えないが、こんな声明文出た以上こちらも必要がある」 ビンチが丁寧な言葉で言い換える。
「何か不審な点はなかったか?」
「特に何も感じなかった。感じたのは彼が発した激しい苦痛と隣にいた奥さんの戸惑いぐらいかしら」
「魔法の発動や殺意は感じなかったか」
「殺意、敵意なら、わたしに幾らか来たわ。まぁ、始まったばかりのお芝居の最中にへんな女が飛び降りて来たら、腹の一つも立つでしょうよ。そんなのもすぐに驚きと恐怖に取って代わったわ、あぁ……記事として売り込めないかって、商売っ気も漂ってたわね」
「……人の不幸は飯のタネ、それはいつもの事だよ」ビンチがつまらなそうに呟いた。
 一通りの事情聴取を終えて特化隊の二人が帰った後、ローズは応接間の長椅子に座ったまま一昨日の夜の事を思い起こした。桟敷席へ入る辺りから始めてみる。あの夜は初演とあって劇場はいつもより混んでいた。フレアは先に桟敷席へ入りローズの到着を待っていた。舞台に気を取られながらも外套を片付ける。
 ほどなく緞帳が上がり芝居が開始された。楽団が奏でる楽曲と踊り子たちの舞に他の客と共にフレアも惹きつけられた。彼女の気を惹くことができたなら成功だ。つまらない批評家より余程頼りになる。
 ふっと苦痛の念が流れて来た。このような人が集い交錯する場所では珍しい事ではない。舞台という場にしがみつき、縛られた存在は幾つもいる。それが舞台上の舞に触発され動き出したのか。だが、そうでもなさそうだ。観客の誰かが突然の激しい痛みに動揺し、死の恐怖に怯えている。フレアも異変に気づいたのかこちらに意識を向けた。
「聞こえない?苦悶の叫び」
 音として悲鳴として現れてはいないが、それと変わらぬ明確な意識の発露だった。
「あそこっ」すぐに場所の特定はできた。
 桟敷席から飛び降り駆けつけはしたが、ストックトンは事切れる間際だった。ローズにできたのは最後の痛みを緩和することだけだった。
 今、思い返しても魔法の発動などはなかったはずだ。彼に対する殺意も感じられなかった。元より、彼の異変に気づいたのは横に座っていた妻とローズぐらいだ。他の客は舞台に集中していた。ローズが動き出し、気を削がれた何人かが彼女に敵意を向けてきた。面倒事を起こされ芝居をぶち壊しにされてはたまらない。それはよくわかる。
 観客たちがストックトンの死を知ったのはその後の事だ。妻のバーバラが静かになった夫のウェビーに声をかけ、反応がないことに取り乱し叫び声を上げた。その後間もなく劇場は騒然となり、当然のごとく芝居は中止となった。警備隊の介入する事態となってしまったためだが、ローズにはあの夜の出来事に事件性があるとは思えない。
 しかし、彼を犯罪者と名指しし、殺害したとの犯行声明が出されたのは事実のようだ。それなら殺害犯はこちらに魔法の発動や、殺意を悟られることなく犯行に及んだことになる。もちろん、可能ではあるがその場合は相当の手練れの犯行となる。ストックトンはそんな人物の恨みを買っていたか、そんな手練れを雇うことができる人物だということになる。犯行がばれないようにするなら使用されたのは毒か、特殊な機械仕掛けか。これはいろいろと掘り下げて調べる必要がありそうだ。

 ストックトンの件について情報を集めるようにと命じられたフレアは塔を出た。犯行声明の件はそれなりの反響があったようで、今日の新聞では数社が紙面を大きめに割き記事を載せていた。そのためだろう、新聞は街に出ただけで容易に手に入れることが出来た。ただ、内容はいつも通り薄っぺらい。それについては無理もない。警備隊が核心部分に触れる情報を明かすわけもなく、時にはまったく別の方向へ餌を投げることまである。彼らはそれを疑うこともなく追随する。
 記事の内容の大半は今まで知り得た情報ばかりだったが、唯一の収穫はストックトンの素性だった。彼は旧市街に住む酒類の卸売業者だ。帝国内各地は元より外国からも幅広く様々な酒を取り寄せ販売をしているそうだ。酒類取り扱いの組合では幹部を務めている。まさか、犯罪組織とはその組合を指すのか、フレアは浮かんできた考えを一瞬で否定した。確かに酒の上での騒ぎは昔から絶えることはない。中には争いのとなり、命を落とした者も数えきれない程にいるだろう。かと言って犯罪組織というのは度が過ぎる。フレアは読んでいた新聞を片付け、再び塔を出た。ストックトンの住居を確認しておく必要がある。他にも仕事はたっぷりある。
 フレアが旧市街の工房区に隣接したストックトンの邸宅を探し当てたのは夕暮間近となっての事だ。塔へ戻る間に日が暮れるだろうとみたフレアは塔へは戻らず、付近で待機することにした。そして、陽が落ちたのを見計らってローズに一報を入れた。
「ご苦労様、そこで待ってなさい」とローズの声がフレアの頭蓋に響いた。
「随分賑やかなようね」
 それから半刻も経たぬうちにローズがフレアの隣に降り立った。二人でストックトン邸の屋根の上に移る。
「はい、昼からずっとこの調子で入れ替わり立ち替わり誰かが弔問へやって来てますね」
「同業者、小売店に外国の取引先ね。表には警備隊から派遣された見張り……」とローズが意識を覗いた結果を口にする。
「いい人だったようね。誰もが彼の突然の死を本当に悲しんでいる。そして今回の犯行声明に当惑している。怪しげな仕入れ先ならともかく、犯罪組織との関わり、それも幹部なんて想像もできない。若いころに西から出てきて酒屋を始めて、その店を一代で大きくした。そして組合の幹部にまで上り詰めた。信望も厚い」
「そんな人がキマイラとかいう得体のしれない組織の幹部ですか。信じられないですね」
「誰も信じていないわ。キマイラと繋がりがありそうなのは彼の髪型と体格ぐらいしかないって」
「うまい……ですね。キマイラって最近のお芝居にも出て来たことありますよね。あの時は偽者でしたけど」
「あぁ、勇者に成りすますために魔物を作り出し利用するそんなお話だった。あれとは全く別物よ、今回は神話の勇者を気取ってのことでしょうね」
「また、ひどい言い方を」フレアは笑い声を上げてしまい慌てて口を押さえる。
「キマイラはお馴染みの魔物で誰も知ってはいるけど、それを騙る犯罪組織については見当も付かない。他を当たることにしましょうか」
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