その壁の向こうには 第1話

文字数 3,903文字

 フレアは自身の行動に対して後悔することは少ないのだが、今日ばかりは半刻前の自分を殴り倒してやりたい気分だった。事の始まりは来客向けの酒の注文のため塔の前にある居酒屋に入ったことにある。

 注文をいつも通りに済ませたフレアはどこか落ち込んだ雰囲気で飲んでいる青年が目に入った。ケインという青年で親子共にこの店の常連となっている。

「どうしたんですか。元気ないですね」

 ケインに声を掛けたのが運の尽きである。彼女は半刻に渡ってケインの前に座り、愚痴と悩みを聞き続ける羽目となった。

 悩みというのは現在の仕事についてである。ケインは新市街の煉瓦工場で働いているのだが、そこで問題が持ち上がっているようだ。彼が勤める煉瓦工場も旧市街で進む埋め立てによる市街の拡張などに伴い煉瓦の注文が相次ぎ増産体制に入っている。

 煉瓦工場は簡単に焼き窯の火を止めるわけに行かないため昼夜を問わず稼働している。そこで働く工員たちもそれに合わせて交代勤務を続けてきた。ケインも事前にそれを承知の上で働いてきた。祝祭に勤務日が当たれば少し落ち込みはしたが、給金に割り増しが付くと割り切り働いてきた。

「それがなくなるかもしれないと思うと」

「まだ、無くなると決まったわけじゃないんでしょ」フレアは柔らかな声でケインを慰めた。

「それはそうなんですけど」

 このようなやり取りはもう四週、五週目はだろうか。酔っぱらっているせいだろう、話題が巡ってどういうわけか最初へと戻ってくる。終点がないため話題が尽きることはない。そして、フレアは話題の同じ地点で

「大変ですね」

「こまりますよね」

 などの声を掛けている。

 同じ話の繰り返しで聞き飽きてきたが無下に席を立つ気にもなれない。確かに仕事が増えているのに給金が減るかもしれないなど理不尽な話だ。それもその原因が自分たちにはなく他者にあるのだ。納得いかないのもよくわかる。今回の場合は同業者だ。

 事の始まりはケインの同業者の工場が彼らより何割も安値で煉瓦を供給し始めたことだ。ケインの工場や他の業者も決して高額で売りつけているわけでない。無駄を排しての適正価格であることは間違いない。だが、それも客側には言い訳にはならないようでまだまだ価格を下げざるを得ないようだ。

「安かろう悪かろうならともかく、納入している煉瓦はしっかりとしている物で、元々からあそこの品はよかった、ならお前たちはなぜ同じことが出来ないのかって話になって」

 ケインはため息をついた。

「もう削るところは給金しかないという話で」

 話は何度でも周回する。件の煉瓦工場にケインの友人がいるそうなのだが、そちらでは仕事量が増えた以外の変化はないそうだ。仕事に応じて給金も増えている。片やケインたちには減収の危機が迫っている。

「何が違うんでしょね」

「工場の地下でも掘って材料代を浮かせてるんじゃないかって冗談まで出てますよ」とケイン。

「えっ」

「煉瓦の材料ってどこから持ってきてると思います?」

「あぁ、そういえば……」

「少し北で人の住んでいない街外れから取ってくるんですが、今はそれが遠くなる一方で運送賃も馬鹿にならなくなってきてるようですよ」

「なるほど」

 この相槌はいったい何度目になるのか。 フレアは次の鐘が鳴るまでケインと付き合うことになった。



 夜が更けてからマサ・キキトは工場から呼び出しを受けた。工場の地下からが正しい表現なのだが、それは公表するわけにはいかない事実だ。それを知るのは彼と協力者のみに留めてある。

 工場から少し離れた場所で馬車から降り、工場の裏手へと向かう。キキトは中背だが筋肉質で締まった体をしている。元は工員に過ぎなかったが工場長まで上り詰めた。現場指揮と経営管理が主な仕事となった今も現場仕事では誰にも負けないつもりだ。

 積み上げられた粘土や頁岩の山を慎重に迂回し荷物小屋へと向かう。路地に囲まれ人気が絶えているが、工場は昼夜を問わず操業中だ。いつ誰が材料を取りに外へ出てくるかわからない。この件は秘密にはしているが悪事を働いてるつもりはない。工場のためを思ってのことだ。安全にも気を配っている。

 周囲を警戒しつつ荷物小屋の鍵を開け素早く中に入る。窓の無い小屋の中には魔導着姿の男が粗末な腰掛に座りキキトの到着を待ちわびていた。ジン・チクラモといい地下での採掘を任せている男だ。室内はチクラモが呼び出した光球のおかげで昼と変わらない明るさだ。

「何があった?」キキトは小屋に足を踏み入れるなりチクラモに問いかけた。

 キキトは床に入り眠りについた後で通話機での連絡で起こされた。

「面倒が起きた。すぐこちらに来てくれ」とチクラモ。

 言葉は少ないがこれが限界だ。彼は工場主のキキトの元にたまに現れる魔導師の友人という設定なのだ。常時工場の地下で原材料を掘っていることは誰にも知らせていない。 夜更けにチクラモが工場に現れ、そこの通話機を使うわけにも行かない。

 キキトは煉瓦の焼き窯の不具合で昼夜問わず出向かなければならないこともあるため、家人や使用人に怪しまれることはない。

「面倒な物を掘り当ててしまったかもしれない」とチクラモ。

 立ち上がったチクラモは黒く長い顎髭をせわしなくいじっている。痩せて血色の悪い肌をしている男だ。

「何が出てきた」

「地下室だ」

「地下室……?」

 ここは運河の傍で旧市街の辺縁部に近い煉瓦工場だ。周りは規模は違えど、工場に工房ばかり誰が地下を掘るのか。誰も掘らないだろうからとキキトは安心して地下から土を掘り出していたのだ。

「地下室なんてもっと西の金持ち連中が掘ってる、いや掘ってたもんだろうが」

「それはそうなんだが、かなり前に誰かが作ったやつに俺たちの穴が繋がってしまったんだ」

 再びチクラモは苛立たしげに頭を掻きむしる。

「中は見たか?」

「まだだ。穴を掘っている蟲共が壁を突き崩したところで止めて、お前に連絡を入れた」

「それなら」キキトはため息をついた。「二人で中を確かめるとしようか」 

「そうしてくれ」

 チクラモは腰掛を部屋の端に寄せた。床の偽装を一時的に解き、地下への扉を顕わにした。地下への両開きの扉を二人で協力して開き、地下への階段を下りていく。降りた先にあるのは巨大な地下空間が広がっている。天井は数多くの柱に支えられ奥までの見通しは悪いが落盤を避けるために必要だ。

 この広間を作り出したのはチクラモが呼び出した蟲たちだ。形は巨大な蜘蛛といったところか。蟲は地下を掘り進みつつ、その中にいる生き物を喰らい土を排泄する。キキトはそれを資材として活用している。滑らかなよい粘土となって出てくるため使わぬ手はない。

 蟲は掘った穴も崩れぬよう口から吐き出した粘液で壁を固めていく。粘液により補強された壁はつるはしも効かぬほどの強固な剛性を持つこととなる。掘らず残す柱もチクラモが指示をしているわけではない。蟲たちの判断だ。出来上がった地下室は人が作るそれより遥かに出来がいい。彼がやる主な仕事は排泄された残土を地上に転移させることだ。これによりキキトは帝都の北から土を取り寄せる運送賃を抑えることが出来ている。

 チクラモの先導の元、キキトは下の層へと向かう。彼が呼び出した光球の外に蟲たちの存在を感じる。光球の縁に黒光りする大蜘蛛の脚が見え隠れする。

「恐れることはない。完全な制御下にあるため人を襲うことはない」

 恐れることはない、襲うことはないと言われても恐怖は消えることはない。キキトはチクラモの後に付き光の外に出ぬように注意しながら下の層へと降りた。

 チクラモは壁に突き当たるまで真っすぐに歩いて行った。壁に行き当たるとそれに沿ってゆっくりと歩を進めた。ほどなく崩れた煉瓦壁に行きついた。穴が開いた壁の向こうに階段が見える。

「あれか?」キキトは壁の穴を指差した。

「そうだ」チクラモが答える。

 身体をかがめて穴を抜け階段に出る。まず上へと向かってみたが、すぐ落盤により通路が埋まり行き留まりとなっていた。

「上はどこにも繋がってなさそうだ」キキトは埋まっている階段を眺めつつ呟いた。

「一応下も見ておくか。問題なさそうなら……」

「穴を塞いで黙っておこう」

「了解」

 階段を降りると地下施設と繋がっていた。通路を挟み左右に分れ配置された部屋を端から調べて行く。何かの研究工房のように思える。それが突然放棄されたようだ。室内の道具や器具に書類などは片付けられることなく放置されている。

「さっきの落盤のせいか?」とキキト。

「それだと出口がなくなったはずだ。閉じ込められた遺体の一つも見つかるはずだ」

「そうか、そうだな」

 今のところネズミの死骸も見つかってはいない。

 行きついたのはこの施設では一番広い部屋だった。部屋の中央には埃を被った全身鎧が背もたれの無い椅子に腰を掛けていた。両手は太ももの上に置き前をしっかり見つめている雰囲気で置かれている。他にあるのは作業机などで、部屋の壁に寄せられている。鎧の様式は古い。名のある貴族が肖像画で身に着けていそうな古めかしさがある。

「鎧だよな、どうしてこんなとことに」キキトは鎧に近づき手を伸ばした。

「むやみに触らない方がいいぞ。何があるかわからない」

 チクラモが注意を促すため伸ばした手に一本の手が伸びてきた。それは埃まみれの手甲に覆われていた。チクラモの手を捕らえた板金の手甲に鎖帷子の指、それには強い力が込められていた。 
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