第2話

文字数 3,343文字

 コムン城塞の東側で座礁した帆船ヴェネルディネロ号に関しては、発見時に騎士団で船内の捜索を行って以降は崖の上からの経過観察のみとなっている。有り体に言えば放置されている。
 理由としては帆船が長年無人で漂流していたとみられることだ。その結果、緊急を要する生存者はいないと判断された。船体を撤去するとしても多大な額の金銭と危険が伴うことが予想されるためだ。その費用を誰が持つことになるか、地元の村アグレントや騎士団、正確にはスリラン家にはそのような経済的余裕はない。
 とりあえず帝都に帆船漂着の報告を出しておいた。船体のに書かれたヴェネルディネロの船名を添え、船主の調査など依頼は入れてはおいたがいつのことになるか。あの状態では返答が来るかも怪しい。何しろ乗組員さえ出て行った船なのだ。
 動くことなくくすんだ土色の帆のみをはためかせる帆船を目にして、城塞付近の集落の住民たちは様々な夢想を展開した。まずはバーナムが口にした幽霊船などの怪談の類だ。そこに財宝が積まれているという戯言が酒席の際などに付け加えられるここととなった。だが、捜索に参加した騎士達が見つけたのは紙くずや掃除道具が関の山だったため一笑に付される。それでも様々な尾ひれが付け加えられ帆船にまつわる噂話はアグレントにある他の集落へも広がっていった。
 現在、噂を聞きつけた者達が興味を持っているのは帆船の最下層で捜索することなく放置された扉だ。捜索に参加した誰かが、オデータ達が開くことなく引き返してきた扉について漏らしたようだ。そこは開かずの扉と名付けられ、その扉の向こうにはお宝が放置されているという言節を付け加えている。冷静に考えればその手の貴重品は真っ先に持ち出されるはずだ。それさえできないような緊急事態となれば、船は沈んでおり、今になって城塞の沖にやって来るわけもない。
 どんなに噂が客観的な事実を以て否定されても、諦めきれない者はいる。城塞の西にある海岸沿いの集落ナンデに住むケイチは噂を鵜呑みにして諦めきれない者の一人だった。彼は友人で漁師のウエヤスに頼み込み船を出してもらった。他にも共通の友人であるマサトも船に乗り込んでいる。何かめぼしい物が見つかれば三人で山分けにすることになっている。
「あれだな」ウエヤスが前方で海から伸び出しているように見える黒い影を指差した。ここからでは影はまだ小さい。
 ケイチが上下に首を振り、崖の上に見える城塞と影の位置関係を確認する。
「あれだ。船を寄せられるか」とケイチ。
「任せとけ」
 ウエヤスが帆と舵を操ると船は見る間に帆船へと近づいていった。最後は巧みに船の向きを変え、帆船の船尾に付けた。少し揺れはしたが船縁に捕まっていれば振り落とされる心配はない。小ぶりの錨を落とし、用意してきた鍵縄を上に投げ上げる。一度目は失敗し船体で跳ね返り、海に落ちたが次はしっかり引っ掛けることができた。皆素人で多少手間取りはしたが三人とも無事乗船を果たし、息を落ち着かせるために少し休みをとり船内に入る準備を始める。
「わざわざ、こんな夜にとは思うんだが……」とマサトは愚痴りつつも荷物を解く。取り出すのはまずランタンだ。他には武器と扉を開けるために用意した金槌などの工具が入っている。
「昼だと上にいる連中に気づかれるぞ。どの道船内は真っ暗だ」とケイチ。彼も自分の荷物を解く。
「それもそうか」
「だろ」
 ランタンに灯がともりそれを囲む三人の顔が橙色に照らされる。
「じゃぁ、お宝拝見と行くか。一番下の階だったな」ウエヤスが立ち上がる。
「そう通り、一番底の船尾側に開かずの扉があるって聞いてる」
 ランタンを提げたケイチを先頭に三人は船尾側の入り口から船内へと入っていった。降りてすぐの層を三人で探ってみるが残っているのは埃を被った備品ばかりだ。金目の物は見つかってはいない。外から差し込む光を見つけ、そこから出てみると甲板だった。周囲を確認すると右手にさっき入って来た船尾側の入り口が見えた。こちらは船首側の入り口らしい。
「引き揚げるなんてことはないよな」とマサト。
「もちろん」三人は踵を返し船内へと戻っていった。
 騎士団の捜索と同様に三人もこれといった成果の無いまま最下層まで辿り着いた。壁に掛けてある上衣は傷んで使い物になりそうにない。並べてある細長い整理棚と上階で見た机などを売り払えば、それなりの金にはなりそうだ。だが、それを持ち出すにはもっと大きな船と人員が必要になる。
「わりに合わないかもしれないな」それがケイチの意見だ。
「それをこっそりとやるとなれば更に無理がある」とマサト。「この中を確かめる方がよっぽど期待できる」
 マサトは手近にある並んでいる整理棚の扉を開き中を探し始めた。
「灯りをくれ」
「あぁ」
 ケイチはマサトが開けた収納庫の中をランタンで照らし出した。中は最上部に狭い仕切りとその下に横棒があるだけの簡素な作りだ。仕切りの上は小物入れ、横棒は衣文掛けとして使えばいいのだろう。めぼしい物は入っていないか、左へ順に中を確かめて行くがあるのは古びた衣類と干からびたパンか酒瓶ぐらい。瓶なら買い手も付くがたかが知れている。眼鏡が見つかりそれも回収しておいた。硝子と縁は売れるかもしれない。
 侘しい成果だがまだ終わったわけではない。まだ開かずの扉が残っている。それこのがここにやって来た目的だ。三人は整理棚に沿って歩き扉へと向かった。見つかった扉には何やら外国語で赤い文字で警告文が綴られている。
「いくぞ」ケイチが扉に手を掛け、他の二人は後ろで待機する。取っ手を手前に軽く引くだけで扉は簡単に開くことが出来た。
「おぉ……」歓声が上がったのもつかの間の事、中に置いてあるのが掃除道具とわかり小汚い悪態とため息が漏れた。
「開かずの扉じゃなかったか」ウエヤスが呟く。
「もしかして、こっちは船首側か?」とケイチ。
「方角を間違ったか」
 マサトの言葉に二人が頷き、悪態をつく。
 改めて、並べられた整理棚の前を通り、船尾側へと向かう。船尾側の扉は噂通り閉ざされていた。こちら側には警告文などは書かれてはいない。至って平凡な木の扉に見えるが、しっかりとした鍵が掛かっていた。だが、三人は躊躇うことなく持って来た金槌や金棒を使い、鍵を破壊した。鍵はあっさりとその機能を失い、扉は若干の薬品臭と共に開いた。
彼らが躊躇したように動きを止めたのはそれからのことだ。扉の向こう側は三人が予想していたような貴重品を収めた小部屋ではなかった。そこは闇へと続く通路となっており、ランタンの光が及ばない奥へと真っすぐに続いている。
「どういうことだ、まだ先がある?」マサトが訝し気に中を覗き込む。
「いや、ここは船尾方でこの先は舵ぐらいしかないはずだぞ」とウエヤス。
「けど、これは奥まで続いてるようにみえるぞ」ケイチは腕を組み、悩まし気に呟く。
「どうするよ」
 結局このまま引き返す気にもなれず、三人は通路を奥へ進むことにした。しかし、退路を塞ぐ気にはなれず開いた扉は整理棚で押さえておいた。

 ケイチ、マサトとウエヤスの三人はその夜を境に帰ってくることなく姿を消した。家族などには三人で夜釣りに出ると家族などに告げていたため、集落の住人達は警備隊の手も借りて付近の海の捜索を開始した。ほどなくウエヤスの船が崖の下で放置されている幽霊船ーヴェネルディネロ号の名は誰も覚えきれないーの傍で発見されたが三人の姿はまだ行方知れずのままだ。持ち物も見つかってはいない。
 三人の遭難が幽霊船と関連付けられるのは想定内の事で、警備隊も湧きたつ噂の火消しに勤めたが追いつかず、噂はおどろおどろしさを増して村の境を越え広がっていった。当然のごとく興味本位、面白半分に帆船に近づく者が続出し警備隊や城塞の騎士には手間のかかる仕事が増えることとなった。
 最終的に警備隊は帆船付近の海を網で囲み、甲板の入り口を木板で封鎖した。それでも帆船の傍に近づく者が絶えることはなかったが、少なくとも海に出て行方をくらます者はいなくなった。だが、それはあくまで表面上の事である。警備隊と騎士団のあずかり知らぬところで姿を消した者についてはその範疇にはない。
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