第7話

文字数 3,871文字

 次の夜、目を覚ましたローズは着替え以外は何もせず、前夜の出来事を思い起こしていた。請け合った警備の出来は最悪だった。警備隊の分析によりアンダースの吐しゃ物は毒に汚染されていたことが判明した。その結果を受け、警備隊はこの件を殺人未遂事件として正式に捜査を開始している。これは今日の昼にもたらされた情報だ。
 アンダースは前回、前々回と同様に毒を盛られ危うく死ぬところだった。ローズはそれを止めることさえできなかった。アンダースが助かったのはアンジェラの加護によるものだ。

 ローズが椅子の背にもたれ掛かり黙り込んだまま一刻が経っていた。

 前夜の食事会を思い起こす度にローズの気分が落ち込んできた。苛立ちと自己嫌悪の間を目まぐるしく往復する。毒を盛る手段については予想はついた。だが、その予想が彼女を悩ませる。魔法だ、魔法により毒がアンダースが口にした何かに送り込まれた。となれば、彼女は魔法で出し抜かれたことになる。耐えがたい。
 あの時ローズは確かにその発動を感じた。そして、それに気付いた時には既に遅かった。なぜあんなことが出来たのか、見当もつかない。 店内に怪しい物は何もなく、何者も隠れてはいなかったはずだ。だが、事件は起こった。魔法により何かがアンダースへ送り込まれたが、アンジェラの精霊がそれを阻んだ。

 昨夜のローズは傍観者に過ぎず、一連の出来事には何も関わっていない。そのことが腹立たしくてたまらない。 現場では平静を装い対応していたが、内心は千々に乱れていた。何が起こったか察しがついて来た今となればなおさらだ。

 塔内に気配を感じる。用事に出ていたフレアが帰って来たようだ。いつもは飄々と振る舞っている彼女だが、今夜は幾らかの恐怖を帯びている。帝都で彼女を恐れされるような存在として何人かは思い当たりはするが、今夜の原因は自分しかいないだろう。

「フレア」ローズが声をかけると扉の向こうのフレアの動きが止まった。

「悪かったわ。わたしも少し冷静さを欠いていたみたいね」

 唐突なローズの謝罪に困惑しながらフレアは部屋に入って来た。

「昨夜の事件ですか」フレアも気にはしているようだ。しかし、見当もつかないようで考えることを止めている。

「えぇ、探し物がまるで見つからないわ。まったくどうなっているのか……」

 誰だったか聞いたことがある。探し物が煮詰まった時の対処の仕方だ。他者に助けを求める。それによって自己の先入観を取り払う。他人の視点を持ってことに当たる。

「フレア、あなたの記憶を貸してもらえないかしら」ローズもそれに倣うことにした。

「はいっ」

「楽にしてればいいわ。何か聞いたら答えて」

「はい」

 フレアの意識に入り込み、昨日へ遡った。まずは準備中の厨房での光景が映り出す。あのグラスを持ってきたのは分家の使用人だったか。その横には食事の際に出された葡萄酒が置かれている。この酒の疑いは晴れている。全員が昨夜口にしている。侯爵は継がれた葡萄酒を一気に飲み干し、酒による失態を恐れたアンダースはほぼ唇に当てるだけ三人の女性陣より飲む量は少なかった。

 それではグラスに仕込まれていたか。それもなさそうだ。グラスに仕込まれていた場合はそれを的確にアンダースに渡さなければならない。グラスに注がれた葡萄酒を持って来た給仕に他意はなかった。手に取ったグラスを順番に置いていっただけだ。

 フレアの記憶によると、箱から取り出されたグラスは一度洗われその後無造作にまとめられた。これでは目印が付けられていても消えてしまうだろう。
 フレアが料理に仕込み準備を手伝っているうちに郵便物が届けられた。例の祝辞だ。なぜ、ミィレクルト氏はこれも使用人に託さなかったのか。

 料理への混入もなさそうだ。店の給仕にも他意はなく仕事をこなしていただけだ。アンダースも何の違和感も不調も示してはいなかった。 

 アンダースによる祝辞の代読が終わり、給仕により葡萄酒が注がれ、グラスを掲げる。そして、彼に倣い皆がグラスを上げる。グラスが口元へと動き、唇に触れる直前でアンダースの動きが止まった。

「あっ……」ローズは思わず声を上げた。

「何かありましたか?」

「ちょっと待って……」

 アンダースはこの時点で何か異変を感じていたようだ。ローズが何らかの力の発動を感じた瞬間か。アンジェラを含め他の者は葡萄酒にむせた侯爵に気を取られている。

「あまりお気になさらない方が……アンダースさんもご無事でしたし」 とフレア。

「わたしは何もできなかった。彼を助けたのはアンジェラさんの精霊。わたしはあの時二つの力の発動を感じた。アンディーさんに何かが送り込まれ、それを精霊が吐き出させた。たぶんその力……」

 アンジェラの加護についてはアンディーの病室で侯爵たちにも告げておいた。婚約に障りが出ることを心配したが、その恐れはなさそうだ。

「俸給だけでは暮らしてはいけない青息吐息の我が家は、アンジェラさんと縁ができるだけでも大歓迎なのにそんなおまけまでつくなんて嬉しい限り、ディヴィットが嫌がるようなら爵位を取り上げて家から追い出すまで……」

 貴族の老女そのものの物言いで上品とは言えないが問題は起こらないだろう。

「わたしはお酒に何かが送り込まれたと思っていた。でも、彼は一滴も口にはしていない。失態を避けるために口に当てるだけにしておこう。わたしもそれを真に受けていた。口を湿らせるぐらいは飲んでいると思っていた」

 では、なぜ精霊はアンダースに胃の中身を吐かせたのか。

 そうか、それは胃に毒が直接送り込まれたに違いない。だから、精霊はアンダースの体を操り胃の中身を全部吐き出させた。フレアは何を目にしていたか。苦しむアンダースと飛び散る吐しゃ物を目にして、警備隊士と同様に彼に近づいていく。流れ出た食事のなれの果て、その中に茶色い異物が目についた。透けた薄膜に包まれた指先ほどの塊、これはいったい何か。……これか、この中に毒が入っていたか。こんな物が口に入れば吐き出すだろう。それか噛み破ってしまうはずだ。そのまま飲み下すとは思えない。

 精霊の狙いはこれに違いない。

「これがいつ送り込まれたのか」 ローズはため息をついた。

 不快な記憶を刺激されフレアが顔をしかめている。

「もう少し我慢して」

「……わかりました」

 あの時に送り込まれたなら何か引き金があるはずだ。 もう一度異変が起きた辺りを確認してみた。そして、ようやく手掛かりを掴むことができた。

「フレア、外出の準備をお願い。確かめたいことがあるわ」

 ローズは立ち上がった。


 ローズが赴いたのは昨夜の北方料理店である。片付けは完璧に済まされ通常営業お真っ最中である。裏口へと回り要件を告げた。フレアも後に付いていったため、店員はローズを上得意である侯爵家の縁者と勘違いしたようだが訂正しないでおいた。力を使わないで済むならそれで越したことはない。

「奥様、お預かりしているグラスでしたらこちらに保管してあります」

 ローズはお仕着せの男性店員に食器置き場に案内された。貴族が通う料理店だけあって上等な銀器、陶器それにガラス食器が棚に揃えられている。銀の力を十二分に心得ているフレアは傍を通らぬよう警戒を怠らない。

「こちらですね。ご覧ください」

 店員は微笑みながら部屋の中央置かれた木箱を指差した。グラスは洗浄を済まされ木箱に収められている。中には七脚のグラスが収められ一脚分の空きがある。

「あと一つはどこにありますか?」

「それは警備隊の方が証拠にと持っていかれましたので、そちらでお問い合わせをお願いします」

「そうですか。ありがとうございます」

 ローズは店員に頷きかけた。店員も恭しく頭を下げる。

「一つ確かめさせてもらってもいいですか」

「はい、どうぞ」店員が頷く。

 慎重にグラスの一つを手に取る。触れた指先に軽い刺激を感じる。目を凝らすとグラスに刷り込まれた文様が浮かび上がってきた。

「思った通りだわ」ローズはイヤリング越しにフレアに伝えた。

 店員には出来の良いグラスを目出ているようにしか映ってはいない。

「何か見えますか、わたしは全く……」

「えぇ、そうでしょうね。うまく隠しているわ。術式の一部が刷り込まれている。おそらく簡略化された転移魔法。対となる術式と出会えば術が発動する」

「はぁ……」

「魔法の扉と対となる鍵のようなものね」

「あぁ、そういう事ですか」

 フレアにも意味が理解できたようだ。

「グラス全部にこれを仕込んでおき、鍵側をアンダースさんに持たせておく。その二つが出遭えば術式は発動する。なるほど、わかってしまえば他愛もないけどうまいやり方ね」 ローズは笑みを浮かべた。

「せっかくのお食事会が残念な結果に終わりましたからね。もう一度やり直すことにしましょう。今度は二人のお友達もお呼びして盛大に」 これは店員にも聞こえるように声に出す。

「近日中にまた貸し切りの予約を入れても構わないかしら」

 ローズはグラスを木箱に戻し、傍に待機している店員に目をやった。

「はい、確かめて参ります。少々お待ちください」店員は笑みを浮かべ、踵を返し外へと出て行った。ローズ達もそれに続く。

「警備隊とそれに特化隊も呼びましょう。面白い食事会になるわ」

 フレアの頭蓋に上機嫌なローズの声が響いた。ようやくいつものローズが戻って来てフレアは胸をなでおろした。
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