第2話

文字数 3,436文字

 コハクに教えられたその辺りで最大の邸宅だった。確かにフレアとしても現在はその建物が人の住処としては使用されていないことが感じ取れた。念のためその付近を探索してみたが条件に該当するような建物は見当たらなかった。
 フレアはローズや他の知り合いにこの件について相談することを約束し、コハクを帰らせた。自身もその場を帰途につくふりをし件の邸宅前へと戻ってきた。無断進入し見つかれば最低でも警備隊からの厳重注意、彼女の話が正確ならその先に何があるかわからない。それにコハクを巻き込むわけにはいかない。たとえそれが彼女が言い出したことであってもである。
 フレアは塀を乗り越え敷地内へと進入する。敷地内で邸宅を周回してみる。広い庭はなく建物を取り巻く通路と、裏手にテーブルが置ける程度のテラスが設けられている程度である。人の気配は感じられないが、こまめに手を掛けていることは感じられる。錬鉄のテーブルや椅子の落ち葉や埃は払われ、下草の刈込もなされている。通路や木の根元も落ち葉などもきれいに片づけられ通いの庭番がいるように見える。ふと甘い匂いを感じた。なじみ深い焼き菓子の匂いがごく薄っすらと漂っている。しかし、それはインフレイムスの香りではない。
 庭を一周してから玄関扉を伸ばした爪で開錠し建物内へ侵入する。内部も人の気配はない。人の匂いはすっかり薄れ、住居として使用されなくなってしばらく経つことがうかがえる。しかし放置された埃っぽさはない。
「こんにちは、お邪魔します」フレアはとりあえず挨拶をしておいた。
 周囲を窺いながら奥へ、途中何者か視線を感じ振り返る。素早く玄関側へ戻り辺りを確認する。隠れ蓑で潜んでいるような人はないが姿は見えないが何かがいる。その気配がまとわりついて来るが姿を見ることはできない。既に人ではないことはばれているようだ。人を越える動きをすれば当たり前ではある。
 その気配に注意を払いながら廊下を歩く。店長が通されたであろう広間はすぐに見つかった。入口の両開きの扉は開け放たれ、部屋は床まである大きな窓から差し込む光に満たされている。
「いいお部屋ですね。見学させてください」
 部屋に足を踏み入れ室内を眺める。この部屋にもまとわりつく気配と同様の存在がいくつも感じられる。フレアはそれらに語り掛けた。これは決してお世辞などではない。部屋にあるソファーなどの調度品は少し古びてはいるものの手入れが行き届いた上級品ばかりである。フレアがローズと共に訪れる場所に置かれたそれと何ら遜色はない。
「いい趣味をされてますね」
 気配はあるが、語り掛けても相変わらず誰も答えない。店長が会ったという四人組は職人たちの通いか、それとも姿自体がないのか。それは馬鹿な考えでもある。
 フレアは広間を出てさらに奥へと向かった。気配に見張られながら一階の部屋を見て回る。食堂を経て台所へそこもきれいに整えられていた。
「きれいなお台所ですね」
 気配に言葉を投げ、
中に足を踏み入れる。少し手狭な気はするが店長のいう通り菓子屋の厨房として通用するように思われた。釜の中を覗いてみても十分に使用感はある。ほんのりとした菓甘い匂い。お菓子の材料は別に保管してあるのか、この場所からは見つからなかった。
 台所を出てまとわりつく気配の集団を引き連れ、フレアは二階へ向かう階段へと向かった。それまではフレアをただながめていた眺めていた気配達だったが、彼女が階段の前に到着すると雰囲気が変わった。
 階段を上ろうとしたフレアの肩や足を気配が押さえつける。通常ならこれで床に膝をつくほかないだろうが、フレアは尋常の存在ではない。気配を力づくで振り払い階段を駆け上った。
 何か気配が見られたくないものでもあるのかと、二階廊下に並ぶ扉を一つ残らず開けて確かめてみたがどれも普通の寝室だった。何も不審な点はない。強いて言えば寝具が朝起きたままさながら乱れている部屋があることか。階下の行き届いた様から比べればまだ片付けていない寝室を見られたくないのは頷ける。
「ありがとうございました。出ていきますね」
 一階に降り、フレアは気配に声をかけた。
 フレアの背後で気配が頷く雰囲気がした。玄関で気配はフレアを見送ると周囲からいなくなった。
 門の外まで出てフレアは思わず深く息をついた。
 屋敷内に入ってみて何物か多数が巣食っていることはわかったが、どうにも妙な雰囲気である。十分に使用感があるのにかかわらず人の気配が生活感が感じられない。他で作っているとしても、それならなぜ場所を偽装する必要があるのか。インフレイムスにお菓子を卸しているという職人達は何者なのか。お菓子が作られている以上実体があるはずなのだ。

「なんとまぁ、奇妙なことになってたとは」
 陽が沈み着替えを終えて経過報告の時間。フレアはコハクの相談内容と彼女に教えられた邸宅での出来事を話して聞かせた。
「精霊とはまた別な何かが巣食っているのは間違いないの?」
「はい、わたしの目では姿を捉えられませんでしたが、二体や三体どころじゃありません。もっと多くです。それが歩いている間ずっとそばにいました。後ろから覗いていたり、前をふらふらとしたり気配でしたがわかりました」
「ふん、何が巣食っているのか、そこで働いてる職人も気になるわね。本当に人じゃないと思うの?」
「どういう理由だろうと人のたまり場になればわかりますよ。匂いが一日二日で消えるわけがありません。それがないんです」
「それじゃ、人に化けた何かが、そこでお菓子を一生懸命作ってインフレイムスに卸してるってわけ?見えない奴とはどういう関係なの?人なら鈍感で気が付いてないだけで済ませるけど相手は人じゃない。とんでもなく珍しい話よ。どうなってるの?」
「それはわたしに聞かれてもわかりません」
「そうよね」ローズは深く息をついた。「他に何かわかったことはある。そのまま引き上げてきたわけじゃないでしょ」
「はい、あのお屋敷を出た後にとりあえず近くのお店に聞いて回りました。お屋敷には魔導士のおばあさんが住んでいたそうですが、本人が姿を見せたことはほとんどなかったそうです。店に買いに来るのも届け物を受け取るのも使用人の若い女性たちだったそうです。使用人は四,五人はいて彼女たちがおばあさんの世話をしていました。一年ぐらい前におばあさんが亡くなって、それ以来誰の姿を見ていません」
「空き家になった?」
「はい、そのようです。」
「それから何かが巣食うようになった」
「無人になって間もなくだと思います」
「どうしてそう思うの?」
「中に入って怖い経験をした人がいます。その方から聞きました」
「なるほど、続けて」
「商店を訪ねた後、不動産屋を見つけたので入ってみました。そこの方がわたしの素性をよく知っているようで話が聞けました」フレアは東の方を指差した。
「あの人たちは横の繋がりが広いから」
「まずあの屋敷は手を出さない方がいいと言われました。なぜかと聞いてみたら実際一度忍び込んだことがあるそうなんです。おばあさんが出ていったと話を聞いてほぼすぐに錠前屋を連れて行ったそうです。確かに人はいなかったそうですが、別の何かがいたそうです。入ってすぐ何かの視線を感じたそうですが、かまわず奥へ台所を探索した辺りで置いてった銀器に手を出そうとしたら傍の鍋ややかんそれに包丁とかが飛びかい襲ってきたそうです。それで二人で這う這うの体で逃げだすことになって、次は拝み屋さんも連れて行ったそうですが結果は同じだったそうです」
「こっそり内見会と思ったのが先客がいたわけね。彼らと同じく空き家になるのを待ち構えてて入り込んだか」とローズ。「それとも元からいたのか」
「封じられていた何かが動き出してということですか」
「どうなのかしら」ローズは少しの間黙り込んだ。
 しばしの無音を経た後、急にローズは椅子から立ち上がった。
「そのおばあさんの名前はわかる?大事なことよ」
「ツゥルネ……先生ですね」
「それってお菓子の……あぁ、ちょっと待って魔導士でのその名前、おばあさんってその人は」
 そのままローズは通信機の向かって駆け出して行った。
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