ナイフ男と奇術師 迷いの森 第1話

文字数 3,531文字

 鬱蒼とした原生林の只中を行く二人、頭上を覆いつくす枝葉のために差し込む陽光は乏しく、まだ日中のはずだが周囲は薄暗い。枝葉に陽光を阻まれ繁茂する草花は限られている。おかげで移動は容易いのだが、夜は濃厚な闇となる。そのため昨夜は陽が落ちて早々に移動を断念した。マーチン・ベンソンの出す光球が照らし出す範囲は限られ、ニック・コールドが彼を導くには光が足りなかった。方向を見失うことを恐れ動きを止めた。

 今どこにいるか。それはここに入って二日になるが謎のままである。西に進んでいることは確信しているが、先に人家があるかはわからない。有体に言って迷っている。

「何かいるか?」とベンソン。

「いるにはいるが、人じゃない」コールドが答える。

「追手はまいたな」

「とっくの昔にな。ここまで来ると自分が帰れなくなる」

「ここから出られそうか?」

「あぁ、問題ないさ。俺たちがそれまで生きていられ たらな」

「それまで頑張るか」ベンソンは顔をしかめた。

 

 騒ぎに頭を突っ込み暴れた果てに逃走する、コールドとベンソンの二人としてはよくあるパターンである。本人たちとしては荒事にならぬよう立ち回っているつもりだが、騒ぎの方が近づいてくるというのが彼らの認識だ。

 今回も騒ぎの方から二人に近づきてきた。体中にナイフの鞘を付けた男と二丁拳銃の魔導士、これほど奇妙なよそ者はいないはずだが、騒ぎは敬遠することなく好んで絡んでくる。海辺の町へと至る山道を歩いていると野良着の男に手招きをされた。そして、旅の人だろうと尋ねてきた。更に、この地と関係ないならそれを見込んで頼みがあると話しかけてきた。

 その山の中に廃寺があるのだが、いつの間にか誰かが住み着いているようなのだと言い、男は北の山を指差した。今後のことも考えて、何者か知りたいので様子を見てきてほしいとのことだった。今後のことを考えるならそちらで地野菜や仕留めたウサギでも持って先方を訪ねればどうかという提案は無視された。

 野菜やウサギより遥かに高額の前渡し分の謝礼を受け取り二人は廃寺へと赴くこととなった。少し道を戻り途中で目にした北への分かれ道へと入る。しばらく歩くと男の案内通り左手に向かう小道があり、その突き当りに件の木造寺院が見つかった。

「ここだな」

 開け放たれた門扉の向こうには参拝者を導くための石畳が敷かれている。廃棄されたと聞いていたが境内に荒れた様子はない。到着した本殿も長く放置された様子はない。そこから考えると男が言っていた誰かがやって来たのはこの寺の聖職者がいなくなってすぐで、それもつい最近のこととなる。

 本殿の入り口となる引き戸には「ご自由にお入りください」と書かれた紙が貼られている。紙は汚れていないため今の住人の手による物と思われる。引き戸を開けてすぐの土間の壁には「まっすぐ進んでください」と書かれた紙、まっすぐ前方に向かう暗い廊下の先に閉ざされた引き戸が見える。

「何だろうな。この感じ……」コールドが呟く。「あぁ、アイラおばさんだよ。あの人が傍にいる時の感じだ」

「お前の言いたいことはわかる。俺も感じる。だが、そうなるとさっきの男やその集落の住民は勘がいいのか、ただのよそ者嫌いか、それとも……となるな」

 その力の片鱗を目にして二人が一目置くこととなったアイラおばさん、アイラ・ホワイトから本来の力を感じ取れるのは一部の者だけである。大概は彼女を極端に色白な女性としか見えていない。

 廊下の先にある扉の向こう側は広間になっていた。入ってすぐの足元の床にまた紙が張り付けてあった。今回書かれているのは「好きな敷物にお座りください」である。好きなと張り紙書いてはあるが並べてある敷物は二枚きりである。

 部屋の向こう側に縮れた長い黒髪で小太りの中年女が笑みを浮かべ座っていた。

「邪魔するよ」コールドが女に声を掛けた。

 女は無言で目の前に敷いてある敷物を指差した。二人はそれに従い敷物に横に並んで腰を下ろした。それと同時に女が立ち上がった。

「一、二、三、四」女はその場で微動だにせず数を読み上げ始めた。

「五、六、七、八」女はコールド、ベンソンを見据え、ただ数を読み上げる。

 意図は不明だが女は数を読む上げ続ける。この面妖な光景に動揺を覚える者もいるだろう。この後さらに何が起こるのかと。

「十九、二十、二十一、二十二」

 そして逃げ出すことになるかもしれない。

 三十の声が聞こえベンソンの横からコールドの姿が消え、三十一の代わりに「ギャッ」という人ならざる者の悲鳴と金属を激しく叩き合わせる音が響いた。三十二はなくベンソンの目の前から寺院が解け落ち、その成れの果てと思われる廃屋が出現した。小綺麗な廃寺は幻影だったのだ。女がいた場所には黒く毛むくじゃらの大猿が血だまりの中で仰向けに転がっていた。その傍にコールドが背中の大鉈ソウリュウ・イデトを手にして立っていた。

「雑なんだよ、やることが。俺でも気が付いた」とコールド。

「猿が仕掛ける幻影にしては上出来だよ」 ベンソンが立ち上がった。

 周囲は曲刀や刀で武装した十人ほどの男達が取り囲んでいた。その中の一人は首筋を押え、腐った床の上で息絶えていた。猿の傍で指示を送っていたか。コールドの素早い攻撃に対処できなかったのだろう。

「その猿と組んでよそ者をこの廃寺に誘い込んでは襲っていたわけだ。肉は猿で持ち物は人が取る。渡した前金は後で取り戻せばいい」 とベンソン。

「せこい話だねぇ」

 囲んでいた男達が目を覚ましたように動き出す。倒れた猿とコールドとベンソンに交互に目をやる。想定外の光景に状況を理解することに時間がかかっているようだ。

「メンセ・ツカンがやられた」

「こいつらメンセ・ツカンをやりやがった」

「生かして帰すな」

 ようやくお馴染みの騒ぎが起こり始めたが二人に挑みかかって来る者はまだいない。頼りの大猿が一撃でやられては無理もない。

 ベンソンが右の銃鞘から拳銃を掴み取り二発発砲する。轟音とも肩を潰された男が二人悲鳴を上げ転がる。貫通した弾丸が背後の柱に食い込み木っ端が飛び散る。

「とりあえず稼げはした。そろそろ、お暇することにしよう」

「賛成だ」

 コールドが引き戸側にいた三人を大鉈でなぎ倒す。その傍の男が思わず後ずさる。二人は床に転がる男達を飛び越え外へと駆け出して行った。

 山中に飛び出した後に速やかに西への山道へと戻るつもりだった二人だが、見張りと追手の数は多くを撒くためにその進路は次第に北へとずれていった。どうやら大猿とのよそ者狩りは連中の一大事業だったようだ。山道に死体を転がしまくることになるため強行突破は避けたが、その果てがこの状態だ。今は後悔をしている。

 人の気配が無くなったのは山中深くに入り込んでからの事だった。この二日間で出会ったのはは既に人でなくなってしまった哀れな亡骸、森に迷い込み出られなくなり息絶え、その果てに大小の動物たちの糧となっていた。コールド、ベンソンも同様の危機に陥っている。彼らと遭難者たちとの違いはそこまでの所要時間でしかない。その点に関しては彼らはまだ余裕はある。

 南西に向かえば山を下り海に向かうことになる。そうなれば自然に集落や街に行きつくことになる、それが二人の考えだ。ひどく乱暴だが今はそれしかない。しばらく歩いてはコールドが傍の木に登り、樹上から方角を確かめる。陽が落ちれば移動を避ける。闇の中で行先を見失っては何も得る物はない。目標を確認し、歩数を数え前進する。それをうんざりとするほどにこなす。止まるのは目標に到達しコールドが方向を確認するために樹上に行くときだけだ。

 不意に先行するコールドが手振りでベンソンを止めた。立ち止まり無言で慎重に周囲を見回す。

「何かあったか?」ベンソンはイヤリング越しに尋ねた。

 便利な物だということでホワイトからもらった品だ。声を出すことなく会話が可能で距離を遠く隔てない限り、相手に声を届けることができる。今の状況では便利どころではないぐらいに役に立つが、相手の声が感情と共に頭に飛び込んでくるのはまだ慣れることができない。

「人の気配だ。下草に踏み分け道ができてる」

 ベンソンは周囲を見回してみたが、彼には変化をとらえることはできなかった。

「人家が近いのか」

「わからんが拠点となる場所はあるだろう。狩人か……ともかく独自の目印を頼りに移動している連中がいる。そのため通る場所が一定になって跡がついた」

「話のできる連中だといいんだが……」

「あぁ、面倒事はごめんだよ」
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