第2話

文字数 4,070文字

 夜勤を終えた警備隊士クリス・バートンは近所にあるサカナクの食堂にいた。ここは朝から開いている。いつもの席に座り、先に届いたエールを一気に半分まで飲み干した。仕事の後での最初の一杯がとどまっていた懸念を吹き飛ばす。大丈夫だ、彼女は姿を現さないだろう。黙って飯食って寝れば終わりだ。

 頼んでいた豆のスープが目の間に置かれた。

「お代ならもうもらってるよ」

 給仕のクシオンは頷きバートンがテーブルに置いていた小銭を取らずに去っていった。そして、その背後にフレア・ランドールが姿を現した。

「こんにちは」

 フレアは笑みを浮かべバートンの目の前の席に腰を下ろした。

「こんにちは」 思わず苦笑する。

「朝ごはんでしょ。ゆっくり食べてください。前いいですよね?」

 今日は会いたくなかったのだが、そうはいかないらしい。

「えぇ、かまいませんよ」

 拒否する前に既に彼女は席に着いており、スープ代まで払われては断るわけもない。

 バートンは頷き熱い豆のスープを口に入れた。次にすくったスプーンに大きめの肉片が乗っている。今日は細切れの肉も多めに入った当たりの日のようだ。それとも彼女の力によるものか。

「あぁ、実は昨夜塔へ間違い通話が掛かってきたんです」

フレアは早速バートンが予想している通りの話題を振って来た。昨日の今日で目の前に姿を現さないわけがない。だから、今朝は彼女に会いたくなかったのだ。

「よくある事なんですか?」

 とりあえずとぼけておく。

「名乗りもしない先方はイェンス・ヨ・ハンソンって人に危機が迫っていると一方的に話して、こちらが間違いをしてする前に通話を切ってしまいました」

「今からでも通報してもらえば警備隊ですぐ対処しますよ」

 昨夜塔から通報があったのはバートンも承知している。何しろ、その通報によりバートンの仲間たちがエリジウムに駆け付けたのだ。

「あぁ、それなら昨夜のうちに済ませてあります。気になるのはヨ・ハンソンという方です。何か狙われるような事をしたんですか」

「あの人は至極真っ当な人ですよ。狙ってるのは了見の狭い連中でしょう」

「何者か知ってるんですね」

「……貴族議員で郊外の農園主です」隠すのも面倒なだけだ。「移民の職業制限の撤廃についての法案の立ち上げで筆頭にたっているのがヨ・ハンソン氏のようです。今は最終調整のためにこちらにやって来ています」

「犯人側は彼を落とせば法案を消せる思っているんですね」

「そんなところでしょうね。つまらない縄張り根性丸出しの連中がいるようです。法案に関しては、皇帝さんに頭を縦に振ってもらえば済むところまで進んでるそうで、抵抗してる連中はそれで焦ってるんじゃないかってことです」

「よくある話ね。バートンさんとしてどうなの?」

「どうなのとと言われても、俺はこっちに住んでるんで山ほど移民の知り合いがいます。話を聞いてると古臭い制限なんて取っ払った方がお互いのためのようです」

「そうなの?」

「えぇ、こっちの肉が減るわけでもないし」バートンはスープの鉢を叩く。「向こうの稼ぎが倍になるわけでもない」

「誰が反対してるの?」 これについてはまだ見当もついていない。

「制限を飯のタネにしてきた連中でしょうね」

 スプーンを鉢に突き立てかき回す。

「……昨夜の件でますます忙しくなってきてます。今回はそっとしておいてください。捜査の邪魔はしないようにお願いします」

「わかりました。捜査の邪魔はしません」
  


 イェンス・ヨ・ハンソンの簡単ではあるが素性が判明し、そのおかげでフレアは造作なく住まいを特定することができた。訪れた旧市街チェストナット街の住居には目印代わりに制服と私服の警備隊士が配置されていた。  

「確かにここで間違いなさそうね。ストラトヴァリアス侯爵ハンソン家の帝都別邸よ」

 ローズとフレアは別邸の姿を消し屋根に腰を下ろしている。

「現侯爵はあのイェンスさん。昨日の彼女がストラトヴァリアス侯爵と呼ばず、イェンスと呼んでいた理由は謎だけど……」

「彼女が思いのほか近くにいるか。以前、近くにいたか。そんな人なら」

「えぇ、侯爵ではなくイェンスとよびそうね」

 イェンスは別邸内で同僚たちと法案についての打ち合わせ中だ。そのため建物の前には馬車が並びついて来た御者や使用人、警備隊士で物々しい状態となっている。

 しばらく沈黙の後、ローズが口を開いた。

「昨夜の間違いの理由がわかったわ」

 最初は真面目に屋根の下で交わされている政策についての論議に耳を傾けていたローズだったが、すぐに飽きてしまった。大切な政策なのはわかるのだが聞いているのは退屈だ。彼女には金で解決する方が似合っている。

「このお屋敷と塔の通話番号はよく似ているの」別邸の使用人によるとだ。

 使用人達にいろいろと尋ねてみたが不審人物はいない。別邸の主人は農作業が嫌で帝都に飛び出してきた次男のようだがしっかり者のようだ。ハンソン家の帝都での活動を十分に仕切っている。今回の通報なども彼によるものらしい。

「ここの番号の最後の二つをひっくり返せば塔の番号になるわ。彼女はどこかでこの別邸の番号を目にした折に間違えて覚えたんでしょうね」

「こちらに掛けていたことに意図はないということですか」

「たぶんね」

 しばらくして邸内から身なりのよい男達が出てきた。彼らについて出てきた中背の男三人が左右と背後に動く。外で待機していた警備隊も動き出す。男四人に対し十数人が動いている。

「あの四人が議員でそのうち部屋着の男がイェンスね」

 赤みがかった肌に黒く長い髪の中年の男で髪は赤いリボンを使い後で纏めている。

「あの四人で例の法案をまとめているんでしょうか」

「四人主導で下に二、三十人はついてる。まだ増やせる余地はあり。成立し次第皇帝もバートンさんが言ってた通り頭を縦に振る見通し」

「それで力任せに潰しにかかって来たってことですか。何で脅し程度で身を引く相手だと思ったんでしょうか」

「自分たちに有効だから、相手もと思ったんじゃないの。相手への行為が自分たちの自己紹介というのが案外多いものだから」

「確かに」

「これも縁だわ。あなたもイェンスさんの警護に参加なさい」

「はい」

「ただし、見つからないように。警備隊の立場もあるでしょうし」



 翌朝、フレアは用事を速やかに済ませ旧市街に急行した。ストラトヴァリアス侯爵家別邸の隣家の屋根に腰を下ろした。とりあえず目につく警備は、玄関口と裏口に二人ずつ他にも邸内や付近に待機しているはずだ。もちろん全員魔器で繋がっている。

 朝のひと時であった騒ぎと言えば、おすそ分けを届けにやって来た近所のご婦人と仕事熱心な警備隊士が一触即発となったことぐらいか。届け物の中身を確かめようとする隊士と自分が怪しまれたことに憤る白い髪のご婦人。家名を告げ説教を始める女性に若い隊士も負けてはおらず業務の正当性と重要性を説く。
 騒ぎは大きくなり、結局着替え中のイェンス本人が邸内から出てきて事を納める始末となった。いったい何のために警備なのか。フレアはこのやり取りを眺めながら苦笑した。中身は西方から届いた果物の砂糖漬けのおすそ分けだった。受け取ったイェンスはご婦人に礼をいい、早速これを使い料理人に菓子を作らせ、皆に振る舞うことを約束し室内へと戻っていった。

 ややあって、イェンスはストラトヴァリアス侯爵然とした身なりで邸内から出てきた。準備が整えられた馬車に乗り込み、警備隊の馬車の先導で出立した。フレアも上方から慎重に後を追う。

 住宅街を抜け隣接する公園脇の街路を行く。左は公園、右側は工房や店舗が並んでいる。公園の木々のおかげで日差しも和らぎ気持ちのよい散歩道となっている。しばらく行くと大きな枝が道をふさいでいた。公園側の木の枝が何らかの原因で折れ、道に落ちていたのだろう。通行人達は面倒そうに葉の茂った枝を乗り越えていくが、脇にどける誰も気はなさそうだ。店頭をふさがれている工房の人気はなく、近隣の店舗の動く気配はない。フレアとしてもあの程度の大きさなら造作もなく公園内に戻せるが、姿を現すことは出来ないため放置することにした。

 警備隊も止まって片付けるより迂回することを選んだ。大枝の手前で右折し先の路地へと入る。閑静な住宅街であっても路地裏はどこにも同じようだ。表に置けない資材が山積みとなりごみも置いてある。少し進むと今度は積まれている資材が崩れ路地をふさいでいた。狭い路地では馬車は展開もできず、やむなく警備隊は散らかった資材を片付けるために馬車から降りた。最寄りの工房の職人を呼び出し、職人と共に転がった丸太や角材を所定の場所に戻していく。

 フレアが隣の雑貨店の上から警備隊の動きを眺めていると後方で動きが出た。男が一人路地の交差路の影から顔を出しこちらの様子を伺っている。男が路地に出て後ろへ頷きかける。後に付いてもう二人が路地へと出る。腰に付けた鉈の柄に手をやる。もうこれで目的は決定だ。残難ながら、昨夜の警告に嘘はないようだ。
 
 フレアは雑貨店の屋根から飛び降り男たちに駆け寄った。最初の男の顎を拳で打ち抜く。少し首が回りすぎたかもしれないが問題ないと思う。次に後ろの二人、両手で頭を掴み二つの頭を強く打ち合わせる。頭蓋骨は頑丈にできている少々のことでは壊れない。

 三人が大人しく路地に転がるとフレアは前方に目をやった。幸いでいいのか、どうなのか、警備隊は角材の片付けに夢中でこちらには気が付いていないようだ。とりあえず、男たちは出てきた陰に置いておき、後で屋根にでも上げておけばいいだろう。ここには熊も狼もいない。平和な街なのだ。

 やや勘のいい隊士が背後を窺った時、そこには誰もいなかった。念のため点検をして見たが、僅かに何かを引きずった跡以外は何も見つけることは出来ず、再度イェンスの護衛が開始された。 
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