第2話

文字数 3,112文字

 家具職人マティアス発見のいきさつはともかく、フレアは警備隊、医療関係者から人命救助の功績を称えられた。彼女はそれを複雑な思いで受け止めた。ローズの命により歌劇場で会ったマティアスの存在は伏せられている。フレアはローズの使いで家具の注文のために工房へ出向き、その際に階段の傍に倒れているマティアスを発見したことになっている。

 工房には塔の近くにある店で使われているような頑丈さが取り柄の腰掛から、高い背もたれに優美な彫刻が施された椅子まで飾られている。そのためローズが贈り物に使いたいと言い出したという出まかせも容易に受け入れられた。だが、いつもの事なので全面的には信用はされていないだろう。ローズ達が関わっているためか、事件性も考えてか見張りの警備隊士を残すか検討されている。

 ローズが歌劇場のマティアスの存在を伏せさせたのも、要らぬ混乱を避けるためだろうとフレアは考えている。自宅の階段から転げ落ち怪我を負ったはずの男が、歌劇場へ芝居見物に出かけていたのだ。そんなおかしな話は誰も信じるはずがない。

 ローズは昨夜工房へ現れることはなかったが事件性は疑っていない。何者かがマティアスを傷つけたと考えている。フレアは歌劇場のマティアスが深く関わっていると思うのだが、ローズはそちらのマティアスに関しては関心は薄いようだ。

 朝になりフレアは再び工房へやって来た。中はひどい荒れようで新しく得るものは期待できそうにない。昨夜はローズが呼んだ警備隊と医療関係者が薄闇の中でごった返していた。そのせいもあり一階は様々な足跡にまみれている。作業部屋や二階の居室の掃除の様子から見て、これらの足跡は昨夜つけられたとみてよいだろうが、使い物になりそうにない。

 ローズに言われたようにフレアは工房の表に、急病による臨時休業を詫びる札を出し、一階の掃除を始める。隠れて潜むよりは過ごしやすいが、大切な家具を壊してしまわないか気掛かりでもある。掃除の途中に扉のガラス越しに工房内を覗く者たちが何人かいた。心配げに中を覗き去っていく。

 身なりのよい男が現れ工房をのぞき込む。懐から紙とペンを取り出し何やら書きつけ、それを扉の隙間に差し込む。そして、扉に向かい祈りを捧げ去っていった。フレアはその紙を引き抜いた。そこには回復の祈りと無事の再開を願う言葉が綴られていた。彼はニコライとラルフのような関係なのかもしれない。

 次に現れたのは砂色の髪の中年男だ。その長さは石に生える苔程に短い。中背で引き締まった体格、目つきは鋭い。そこそこに上品な仕立てのウェストコートとクラバットは暗く渋みのある茶色と赤の組み合わせで悪くはない。男は休業の札に目をやり、工房内をのぞき込む。取っ手に手を掛け二、三度ゆっくりとひねる。鍵が掛かっているのがわかると手持ちの道具を取り出し開錠を始めた。この男もフレアと同様に客ではなさそうだ。関心があるのはマティアスかそれとも金か。

 内側のつまみが音を立てて回転し扉が開く。男が素早く工房内へ飛び込んできた。その身のこなしからコソ泥ではなさそうだ。フレアは家具の裏から男に駆け寄り足を払い、男を背中から床に叩きつけねじ伏せた。男も隠し持っていた武器を手を伸ばす反応の速さを見せたがそれまでだった。伸縮式の棍棒はフレアの足で右手から跳ね飛ばされ、展示してある家具の奥へ滑っていった。

 体格ではフレアより一回り以上大きな男だが、覆いかぶさる彼女の力で床にくぎ付けとなった。

「あ、あんた、塔のメイドのフレア・ランドールだな。どうしてここにいる」

 男は自分を見下ろす女の顔を見てすぐに力を抜いた。とても力で敵う相手ではない。そして逆らわなければ害は加えられない。その点は心得ているようだ。

「マティアス・ピアイネンは無事なのか。どこにいるか知っているか?俺は怪しい者じゃない。何か知っていたら教えてくれ」

「人様の家の扉をこじ開けて侵入しておいて怪しくないとでも」フレアも同じことをしているが触れないでおく。

「忍び込んだのは言い訳のしようがない。だが、マティアスは無事なのか。それだけ聞かせてくれ」語気の強さに伴い体の緊張が戻ってきた。

「無事よ。ローズ様のおかげでね」 

 再び体の力が抜ける。

「あぁ、あの人が関わってるなら、安心してよさそうだな」

「えぇ、あなたは何者?彼の家族、それとも友人?」

「俺はラリー・ボウラー、マティアスの実家から彼の行方を探すように頼まれた探偵だ。名刺なら上着の物入れに何枚か入ってる」

 フレアは探偵を名乗る者には多数の派閥がある事を知っている。ボウラーはやんごとなき身分の人々相手のなんでも屋か。それなら服装も身のこなしも合点がいく。

「彼は何者?」

「西の名家の隠し子だ。それ以上は起きてからにしてもらえないか」



 マティアス・ピアイネンは西の名家ハルミタ家の主人ビゾーノと使用人コリノとの間に生まれた。母であるコリノはマティアスが生まれて間もなくハルミタ家を出た。

「二十年以上経って俺に行方を探させているところを見ると、コリノとマティアスは体よく厄介払いをされたんだろうな。現在は本妻との息子を馬車の事故で失い、ビゾーノ自身も病に倒れ先が長くないそうだ。それで慌てて跡取り探しに乗り出したそうだ」

「身勝手な話ね」

「仕事を受けといてなんだが、俺もそう思う」

 二人は展示用の大型収納棚の影で座っている。時折、人か風か扉が音を立てるが入ってくる者はいない。

「ハルミタ家はマティアスの母親のコリノが病気で亡くなり、マティアスがこっちにやって来たところまでは突き止めたようだ。ハルミタ家の使者はマティアスの捜索に当たり帝都に詳しい者を求めた。そこで何の流れか俺にお鉢が回ってきた。マティアスを見つけ出しオキシデンの先の西まで連れて来いってわけだ」

「なるほど……」

「マティアスが無事なのはさっき聞いたが、そっちも何があったか知っていることがあれば教えて貰えないか。こちらも使者に報告する必要がある」

 フレアは軽く頷いた。

「最初、彼を見かけたのは昨夜の歌劇場でのこと。ローズ様は彼を見るなりわたしに後を追いかけるように命じられた。指示通りに後を追い、ここまで来てみると彼が階段の下に倒れていた」

「本当にそれだけなのか、容態はどうなんだ」

「お医者様の見立てに寄れば大事無し。出血はあったけどそれは転がり落ちる途中で負った擦り傷で問題なく治る」

「事故なのか?」

「ローズ様はそうは思っていないようね。だから、手掛かり求めてわたしがここに来た」

「見つかったのか、手掛かりは?」

「それなら、あなたね」フレアはそっとボウラーを指差した。「あなたのおかげでマティアスが腕のいい家具職人というだけでなく、資産家の跡取りとわかった。有り余る額のお金は殺害の十分な動機になる。名家の当主という立場もね」

「マティアスがハルミタ家のお家騒動に巻き込まれ狙われているということか」

「わからないけど、少なくともローズ様は昨夜の時点で事件性を感じ取っているわ」

「そこに俺が姿を現して、あの人の事前の主張が裏付けられてきたというわけか。まいったな。マティアスがあっけなくに見つかって、うまい依頼だと思っていたんだ」

 ボウラーが頭を掻きむしる。「あの人の思い過ごしじゃなかったら。もし、マティアスに何かあったら全部消し飛ぶぞ」

「わたしもよく感じるんだけど、あの方のいうことはどんなに的外れに見えても、思い過ごしだったためしがないから面倒よ」

 フレアは軽く微笑みを浮かべた。
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