ナイフ男と奇術師 第1話

文字数 3,832文字

 昼過ぎに船を降りたにも拘わらず、夕刻になってもニック・コールドは港の通関事務所にいた。彼としてはいつものことで、ある程度の覚悟はしていた。しかし、今回は様子が違っていた。
 職員たちはコールドがいつもあれこれと尋ねられる尖り気味の耳や、首筋にある鱗状の文様には興味を示さない。彼らの興味はコールドが所持していた多数のナイフにあった。腰、脚、脛の鞘に納められた三対と背中の鉈と変わらない大振りの一本、この七本は明らかに魔力を帯びており、その力はコールドの容姿にも影響を与えていた。
 このような物品の流入に慎重な帝都とあって、コールドは相棒ベンソンとは離され別室での対応となった。更に同様の素材から作られた小柄一対を袖口の補強板の裏に隠していたことを申告しなかったことも職員の心象の悪化につながった。白い装束の魔導師や騎士に囲まれた事情説明と手続きを終えるのに二刻かかった。
 ナイフと共に解放されたコールドは人気のない廊下で大きく深呼吸した。職員の案内で客船の待合室へと戻る。夜の便を利用する乗船客でごった返す待合室の中を歩き、ほどなく木製の長椅子に座っている相棒のマーチン・ベンソンの姿を発見した。金糸、銀糸の派手な刺繍に覆われた魔導着を身に着けた瘦身長躯の男だ。腰には太い銃帯を締め銃鞘には大口径の回転式弾倉の連発銃が収まっている。
「早かったな。向こうで一晩留まって飯食ってくるかと思ってたぞ」
 ベンソンの目は魔導着のフードに隠れて見えないが、口元は機嫌よく笑っている。
「飯代までは惜しかったんだろ」コールドはベンソン横に腰を下ろした。
「街に入れるだよな?」
「問題ない」コールドは上着の内側から折りたたまれた滞在許可証を取り出した。「この紙切れがあれば、街中に出歩くことができる。手に入れるために頭の中を覗かれ、親父からソウリュウ一式譲り受けたことから何から話す羽目になったけどな」
「なるほど、いつもながら面倒だな」
「顔を見ただけで門前払いよりはいい」
「そういうものか……」ベンソンは立ち上がり相棒の姿を眺めた。
「コールド、お前のその姿を何とかした方がいいんじゃないのか?お前はまるで動くナイフの鞘だ。かなり怪しい」
 これは言い得て妙な表現である。彼が身に着けているのは重厚な革で仕立て上げられたジャケット。肩や背、袖口には金属板で補強が入っている。ボトムの膝、ブーツの脛にも同様の補強が施されている。それらを利用しナイフの鞘が取り付けられている。
「銃を使う魔導士もかなり怪しいと思うぞ」
「それはだな……」
「あぁ、もうなしだ。腹が減った。行こうぜ」これ以上行くと話が長くなってくる。コールドはベンソンの言葉を遮った。
 これは二人は硬い長椅子から立ち上がり待合室の出口へと向かった。

 食事と寝床、そして仕事を求めてコールドとベンソンの二人は陽が暮れた帝都旧市街へと出た。港の近くを彷徨い、豆のスープとエールを腹に入れ、食堂とパブで情報を聞き出した。手に入れた情報を総合すると、彼らのような今日船でやってきたようなよそ者が仕事のありつくとすれば、新市街ではないかという助言だった。
「そういっても新市街というのは吸血鬼の婆さんが住み着いてるって聞いてるぞ」コールドは二杯目のエールを大きくあおった。泡塗れの琥珀色の液体は半分に減った。
「まぁ、新市街はあのお人が作った街だからね」小太りで頭髪の薄い店主は笑いながら言った。「確かに最初は自分の餌場にと作ったんだろうが、今はあの通りさ。彼女も今じゃ人を手に掛けることはないよ。この何十年か誰も殺していない。食事以外の理由でもね。だから、危険はない。むしろ危険なのは人の方さ」
 ここは彼らが訪れた三軒目の店でカウンター席とテーブル席が五つほどのパブ。客は少なく彼らの他にはカウンター席の左端に一人、テーブル席に二人が座っている。
「あの人はいい人だよ。気に障るようなことをしなければの話だがな」カウンター端の男が口を挟む。
「あんた達がどこから来たのか知らないが、わざわざあっちに行くこともない。こっちでも仕事はある。あんた達なら港に行けば何かにありつけるさ」
「本当か」ベンソンが店主に目をやる。今はフードを外し茶色い髪が見えている。
「あぁ、請け合うよ。ただし二人ともその物騒な得物をまずどこかに預けてくることだ。それから港の近くの道具屋でつなぎと手袋、ブーツを買う。それに着替えて港の組合事務所で登録をする。そうすれば何か仕事が回してもらえるはずさ」
「それって船の荷運びとかだよな?」
「初めはそうだが、慣れてくれば割のいいのも回って来るさ」
「やっぱりそう来るか」
「どうしても腕っぷしでというなら警備隊に志願という手もある。仕事は砂漠で隊商警護と野盗の討伐、期間は二年」
「他に何かないか。楽してたっぷり儲けられる仕事」コールドは残っていたエールを飲み干した。
「知ってたらこんなところで酒を売ってると思うか」と店主。
「そりゃ違ぇね」端の客が呟く。
「あぁ、まったくなんかさ、仕事が目の前に降ってくるとかないかな」コールドは芝居がかった手振りで天を仰ぎ見る。目に入るのは蜘蛛の巣が垂れ下がる天井ではあるが。
「俺は金が降って方がいいな」とベンソン。
 全員が頷く。
 その時、天井で激しい物音がした。猫やネズミなどではなく遥かに重量がある物である。全員が黙り込み、細かな埃が落ちる天井を見上げる。コールドは背中の大振りな鉈にベンソンは腰の銃に手をかける。店主もカウンター裏の何かに手を伸ばしている。
 何かが当たったのは天井の梁ではなく天井板だった。脆弱な板はその衝撃に耐えきれず間もなく崩落した。天井から落ちてきたのは残念なことに金ではなく人だった。その人物は背中から落ちてきたが、素早く体勢を直し足から着地した。
 天井板と共に落ちてきたのは少年に見えた。背丈はコールドの三分の二ほどまだ幼い顔立ちから小柄な大人ではない。西方からの観光客が身に着けている厚手のジャケットで、帝都では少し暑苦しい。身なりはよいがどこにいたのか細かな埃が全身の布地に絡みついている。
 少年は無言のまま振り返り店内のコールドらを含めて客と店主を眺めた。彼らが武器に手を掛けている様子に脅威は感じていないようだ。少年は武装はしていないが誰も緊張は解かない。天井を突き破り、落ちてきたにも関わらず平気で立っている者に容姿は関係ない。
 少年が不安げな表情を浮かべ、店内から戸口へと目を移す。店内の皆もそちらに目をやる。
 帝都では聞きなれない言葉を発しながら斧や片刃剣で武装した男たちが、開け放たれた戸口からなだれ込んできた。人数は五人、コールドたちはその言葉と揃いの服装から西方からの船員と推測した。
 彼らの狙いが自分たちではないかと警戒をした。二人はつい三日前までそちらにいて、船に乗ってやってきた。追われるほどのことをした記憶はないが、トラブルがまったくなかったわけではない。そんな彼らが聞き取ったのは、ここにいたぞ、逃がすな、捕まえろなどの言葉。コールドは背中のナイフをベンソンは銃を取り出し身構えた。
 まず動いたのは先頭の斧の男である。男は斧を振り上げ少年に向かって駆け込むが寸前で交わされる。行き場を失った斧の刃はコールドのすぐ傍のカウンターに食い込み木片をまき散らした。コールドは男の顎を鉈の尻で殴りつけ、顎を打ち抜かれた男は気を失いカウンターに眠るように倒れた。
 ベンソンは銃弾で天井のシャンデリアのチェーンを破壊した。木製で六つのランプが吊られている。天井の取り付け用の金具からの拘束を逃れたシャンデリアは真下にいた片刃剣の男の頭を直撃した。力なく倒れた男にシャンデリアが床で跳ね追い打ちをかける。
「てっ、てめぇら邪魔する気か!」
「先にやっちまえ」
 やっちまえと言った男に向かいベンソンが銃弾を放つ。耳をかする程度にとどめておいたが耳たぶは無くなった。コールドは素早く背後に忍び寄り彼が痛みを強く感じないうちに鉈の峰で殴り倒した。
 頭上で物音を聞いたベンソンは天井を見上げた。少年が飛び込んできた穴から星空を背に男が二人こちらをのぞき込んでいた。二人とも銃を手に屋根から少年に狙いをつけている。ベンソンはその覗き屋二人の膝を銃弾で破壊し、突如膝の機能を失った男たちは悲鳴を上げつつ店の床に墜落した。二人はそれで静かになった。
 ベンソンは撃ち尽くした銃を手放した。その銃は手を離れ床に当たる前に姿を消した。そして彼の手元には同じ型で装填済みの銃が現れた。ベンソンは己が力を銃召喚のために使う。以前いた土地では彼を奇術師と呼ぶ者がいた。彼はそれが気に入り以来無断借用している。
 覗き屋が大人しくなった頃、残りの二人も床で伸びていた。
「ここはやばそうだ。逃げるとするか」ベンソンは相棒に目をやった。
「そうだな」
 袖を引かれる感覚に目をやると、少年がベンソンの袖を掴んでいた。
「お前もくるか」
 少年はベンソンの目を見つめ頷いた。
「わかった。ついてこい」
「おっさん、悪いかった。これ修理代の足しにしてくれ」コールドはポケットに入っていた何枚かのコインを、賽銭よろしく店主が隠れているカウンターの向こうに投げ込んだ。
 店主と客たちは三人が走り去っていた後、それぞれが隠れていたカウンターの裏、テーブルの後ろから這い出し警備隊に連絡した。
 慌ただしい夜の始まりである。
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