港町にて 第1話

文字数 3,354文字

 街を抜ける風が変幻自在の衣アラサラウスの裾を揺らす。教会の前では黒衣の男女が数カ所で十人ほどの集団を作り語り合っている。その周囲を事情が飲み込めていない子供が駆け回り、大人は総じてさみし気な表情を浮かべている。久しぶりの再会であっても、それを喜ぶ気にはなれない。彼らの話題は差し障りのない経過報告などに留められ時を待つ。ファンタマは少し離れた位置でその様子を眺めている。癖の強い黒髪の中年男、悲し気に一人佇む男に幸い声を駆けてくる者はいない。
 盗賊ファンタマがゲレシア共和国の港町であるアンディキラの教会までやって来たのは仕事のためではない。先日亡くなった男のために間もなく執り行われる葬儀に参加するためだ。彼の名はボブ・ポールライン、名の知れた建築家であった。教会や公会堂、劇場などの施設から資産家や貴族からの依頼を受け、その邸宅まで手掛けていた。彼は共和国内はいうに及ばず、周辺国にも多くの建築物を残している。だが、それはポールラインの表側の一面に過ぎない。
 ポールラインの裏の顔は巧みな意識の誘導と手先の器用さで盗みをこなすファンタマの同業者でもあった。他と毛色が違うのは、彼が未来の仕事についての備えだった。自分が手掛けた建物に隠し扉や戸棚を密かに組み込んでおいた。いざとなればそこから逃走し、盗品を隠すなどして追及をかわしてきた。ファンタマもその仕掛けを見つけて何度か利用し、難を逃れたことがある。ポールラインがそれを知っていたかは不明だが、ファンタマは一方的に彼への感謝の念を抱いていた。今回ポールラインの逝去の報を聞きつけ、参列のためにアンディキラにやって来たのもそのためだ。
 場の雰囲気を見るにポールラインは裏の顔を家族にも知られることなく、名のある建築家として一生を終えることが出来たようだ。最後には自分が設計し現場指揮を取った教会でこの世から旅立つ。上々の仕上がりと言えるだろう。
「今日はボブ・ポールライン様の御葬儀にお集まりいただきまして、まことにありがとうございます」
 教会の玄関口から出てきた喪服姿の教会従者がよく通る声で教会前に集まった参列者たちに挨拶を述べた。
 恭しく頭を下げる彼に続いて、後ろに待機している彼の妻と二人の娘と息子が頭を下げた。いよいよ葬儀が始まるようだ。
 従者に促され参列者が列を作り礼拝堂へと入っていく。ファンタマも適当な隙間を見つけ列に加わる。礼拝堂に入ると穏やかなオルガンの音が耳に届いてきた。身体を包み込む柔らかな音色に足を止め聞き入る者がおり列の流れが滞る。これもまた一興、優れた音楽堂を幾つか作り上げたポールラインのなせる技といったところだ。
 香が漂う中、参列者一同での祈願で葬儀は始まった。オルガンが奏でる聖歌の心地よさに眠り込み、幼児が騒ぎ出すなどの笑える騒ぎを交えながらも、聖典の朗読から司祭による説教、賛歌斉唱と式次第は滑らかに進んでいく。
「それでは、献花の時間とさせていただきます。ポールライン様と最後の対面をご希望の方はこちらにお並びください」祭壇の傍に待機していた従者が呼びかける。
 参列者の多数が立ち上がり祭壇へと向かう。ファンタマも静かに立ち上がった。実のところファンタマがポールラインと間近で対面するのはこれが最初である。そのおかげで彼に悪印象を受けずに済んだのかもしれない。仕事上でかち合うことになれば、何らかの遺恨が残ることは少なくはない。
 献花の列に加わり供え物の花を一輪受け取る。ファンタマは花を片手にポールラインが眠る棺を覗き込んだ。横たわっているのは白髪混じりの初老の男で肩まである髪には櫛が入れられきれいに整えられている。表情はよい夢をみているかのように穏やかだ。
「ありがとう。いろいろと助けてもらった。感謝している」ファンタマは顔をポールラインに近づけ呟いた。
 彼の仕掛けによって命拾いまでしたことがあるファンタマとしては言葉を尽くしても感謝の念は足りないぐらいだが、長居は出来ないためこれだけで留めておいた。
 ふと不穏な視線を感じ、ファンタマは棺から顔を上げた。身に纏うアラサラウスも気配を感じ臨戦態勢に移る。何者か。不審な振る舞いにならぬように加減し周囲を窺う。
「何です、あなた方は!」玄関口から従者の叫びが聞こえた。その直後に従者が背中から礼拝堂へと転がり込んできた。肩や頭の痛みを堪え、床から上半身を起こす。
「葬儀の最中なのですよ!」
「だから、きたんだよ」大声を上げ大柄の男が入ってきた。炎のような赤い髪を逆立てている長身の男だ。「死んだのは有名な建築家だろ。いい儲けになるだろうと思ってな」
「なりません、ここは神の家なのですよ」従者が気丈に男に向かっていく。
 男は無言で手にした銃の銃身で従者を薙ぎ払った。頭部に攻撃を受けた従者が床に転がり、それを目にした参列者から悲鳴が上がる。男は銃口を天井に向け発砲した。轟音が礼拝堂内に響き渡る。男の背後で後に付いて来た仲間の小男二人が玄関口の両開き扉を閉め内側から閂を差し込む。
「その袋に有り金全部入れていけ。黙って従えば命までは取らん」男は仲間の手に下げたずた袋を指差した。
 つまらない強盗に巻き込まれたようだ。一束幾らの連中を始末するのに手間はかからないが、葬儀が中止となっては大問題だ。何より、家族に血生臭い記憶を残したくはない。
 銃の男がゆっくりとした足取りで参列者へと迫る。参列者は押されるように奥の祭壇側に後ずさる。ファンタマはその中で怯えたように膝を着いた。ファンタマは右手で胸を押さえ、左手で身体を支える。うずくまるファンタマを気遣いながらも他の参列者は下がっていく。それでいい、これで視界は確保できた。
「身に着けている指輪に首飾りを外せ、金も出しておけ、それでこいつらが持っている袋に順番に入れていけ」男は銃口を左右に揺らし指示をする。
 男が手にした銃を降ろすと、袋を手にした男達が前に駆け出した。最初の獲物はファンタマが演じる中年男だ。だが、目の前でうずくまる中年男が浮かべる薄い笑みを目にして勢いが緩まる。
 ファンタマは鎧である一方で武器でもあるアラサラウスの左袖を床に沿わせて伸ばし男達に向け放った。アラサラウスは伸縮自在で変形自在、ファンタマの思いのままカラチを変える。
 伸びた袖は男達の周囲を幾重にも取り巻き、瞬時に収縮した。男達は祭壇へと向かう通路で互いに引き寄せられ激しく衝突し気を失った。つかの間宙に漂った後男達は顔から床に落ちた。
「きゃぁぁ……」
 祭壇側から短い悲鳴が響いたが、それ以外声を出す者はいない。アラサラウスの袖は色も周囲に溶け込むように合わせており、動きも尋常な速さではない。同族と呼んでいる者たちでもそれを捕らえるのは困難だろう。そのため、強盗犯二人が互いに衝突し自滅したようにしか見えない。呆気にとられるだけだ。たとえ何かを目にしたとしても、それが蹲る中年男と関係があるとは思いもしない。
 銃の男も呆気に取られ動けずにいた。ファンタマは左の袖口を使い、男が銃を手にした右手を後ろに捩じ上げて、銃を取り上げ床に落とし右手袖を使い滑らせ遠ざけた。その後、両袖を三つに分割し拳を作り丸腰になった男を殴りつけた。参列者は見えざる何者かに取り囲まれて殴られ倒れる男を無言で見つめていた。ほどなく、男は膝を折り俯きに倒れた。今度は誰も声を発することはなかった。ややあって、彼らは自分たちは難を逃れたと確信しようやく動き出した。
 司祭は参列者を落ち着かせ、教会の扉を開け放ち、従者に地元警備隊への通報を命じ、付近にいた通行人にも協力を求める。強盗に殴られた従者を介抱し、床に倒れている強盗犯たちの様子も窺う。ファンタマの元にも様子を気遣う参列者がやって来た。
「どうにも刺激に弱いもので……」ファンタマは心配気に顔を覗き込む喪服の男女に答えた。
 そうしながらも礼拝堂内の気配を探る。不穏な視線の主は消えていた。アラサラウスが感じたのはあの三人組だったのか。それについてはどうにも納得がいかない。あの視線は銃の力に溺れた男が放つものではない。さらに剣呑な存在と思われた。
 それならば、狙いは誰なのか。用心は必要かもしれない。
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