母を探して 第1話

文字数 4,074文字

 帝国東北部の砂漠地帯に爆心地と呼ばれる地域がある。表土がガラスと化し植生がみられなくなった荒涼とした一帯である。二百年前のある日上空から落ちて来た巨大な火球が、その高熱をもって生きとし生けるものの全てを焼き払い、砂漠を溶けたガラスの海に変えた。それ以来、表面を覆うガラスの層は砂漠の地下にあるものを封じ込めてきた。
 つい数日前までの話だが……。
 
 夜明け過ぎに砂漠の直下で起きた激しい震動は付近に点在するオアシスの住民達を恐怖に陥れ、表面を覆ってきたガラスを破壊し、地下に長らく封じられた存在を解放した。

 爆心地の中央付近、振動に耐えきれず砕けたガラスは、砂嵐によって表面に薄く積もった砂の中から顔を出していた。砂の中から浮き出した巨大なガラスは、林や丘を構成し、透き通る破断面が陽光を受けて七色に輝き、この世の物とは思えない幻想的な光景を作り出している。

 今、輝くガラスの中の一本がゆっくりと倒れ砂煙をあげた。そして、その根元から鉛色の液体が噴き出し、すぐ傍の砂溜まりに堆積した。液体は噴出し終わると、一度震えた後変形を始めた。風船のように膨れ上がり下部と上部に突起が飛び出し、程なく鉛色の人形へと変化した。やがて色が加わり最終的には人と変わらぬ姿となった。浅黒い肌に短い黒髪に漆黒の瞳、凝った意匠が施された真っ赤な衣装を纏った小柄な女性。
 女となったそれは自分の指先や衣装の裾などを少しの間眺めた後歩き出した。


 フェルの旦那に爆心地の様子を伝えたところ、すぐに中の様子を確かめてこいという指示が戻って来た。また急ぎの仕事だ。

 盗掘団を率いて二年、帝都との繋がりを持ったのはいいが、タローはフェルの人使いの荒さに少々うんざりしていた。今日も灼熱の砂漠を仲間と共に行軍である。

 理由を聞いても、何も言わずとにかく急いで見てこいの一点張りだ。あそこにはガラスしかない。バダの連中がガラス拾いに行くだけで他に足を踏み入れる奴なんて誰もいない。旦那はガラス売りでも始めるつもりか。そんなものに俺達まで付き合わされちゃたまったもんじゃねえ。

 タローが密かにいらだちを爆発している時、前を進んでいたケンが前方に赤い物を発見した。言われて見ると確かに遥か前、蜃気楼の中で何か赤い物がゆらゆらと揺れている。

「人だ。女だな、あれは」望遠鏡を覗いていたマコが笑い出した。

「本当か?」

「ああ、間違いない」

「そりゃいい、いくぞ」タローはラクダに鞭をあてた。

 仲間も武器を取り出し、雄たけびを上げ我先にとラクダで走り出した。いい気晴らしになりそうだった。どんな女だろうと捕まえて売り飛ばせば、いいこづかい稼ぎになる。

 ラクダを駆り立てタロー達はまもなく赤い女の傍へとたどり着いた。ケンが発見した女の身なりは思いのほかよく、かなり高く売れることは間違いなかった。そのことに女を盗掘団の男達は興奮し、冷静さを失い駆けまわっている。

 だが、タローだけはなぜか女に胸騒ぎを感じた。何かが妙だった。女は押し寄せるタロー達に驚き取り乱すことなく逃げもぜずその場に佇んでいた。ラクダに乗り武器を掲げ、目の前を駆け回る男達を恐れることなく眺めている。

 ただ気が強いだけなのか?容姿と身なりからして近くの部族長の跳ね返り娘といったとことか?それならどうしてそんな娘が供も付けず、砂漠のただ中をよりによって爆心地の傍などを一人歩いているのか。表情や服装の乱れから見て、供とはぐれ一人彷徨っていたとは考えられない。女は何者だ。ただイカれているだけか?

「お前達はわたしに危害を加えるつもりか」黙り込んでいた女が口を開いた。

「黙ってついてくるなら、手はださねぇよ。だが、逆らうと容赦はしねぇぞ」
 マコが女の眼前に大鉈を振り下ろし、顔の寸前で止めた。普通なら威嚇として十分効果はあるはずだが、女はそれを見て微笑んだ。

「わかった。では、殺してもかまわんということだな」女は嬉しそうに言った。
タローにはそう聞こえた。

 その直後、マコやケンの他女を取り囲んでいた男達の笑い声が消えた。ケンは力を失いラクダにだらしなくもたれかかった。マコも他の連中も同様で手綱と武器を放しラクダの上でゆらゆらと揺れている。取り落とした鉈や棍棒、剣が砂に突き刺さる。制御を失ったラクダ達がお互いぶつかりそうになり前足立ちになる。それでも仲間達は皆無言でラクダの背でゆらゆら揺れている。

 タローには最初、何が起こっているのかわからなかった。ようやく事態が掴めたのは背後のいたソダの悲鳴からだった。女の指がどうのと鳴き声混じりで騒いでいる。女の鉛色をした指が伸び触手となって、マコ達の胸に突き刺さっていた。鉛色の指が彼らを捕ら、繋ぎとめ、支えているのだ。そのためラクダの上で踊っていられるのだ。

 ととっと逃げるべきだ。タローは気づいた時はもう遅かった。マコや他の男達の身体が震え、彼らの背中や腰、そしてわき腹から血しぶきと共に鉛色の触手が飛び出して来た。ケンの背中からの一本がタローの胸を貫き体内に入って来た。叫び声を上げた者もいたが、すぐにおとなしくなった。

「どれぐらい眠っていたのか。わからないがひどく渇いて仕方ない。この渇きを癒すためお前達の身体、ありがたく使わせてもらうぞ」女の声が聞こえる。

 身体の中で何かが這い回っているのことがわかる。しかしタローはもう何もできなかった。
 そうか、これはあの女の指か、なるほど。タローは他人事のように納得してから目を閉じた。

「お前たちはこれからどうする?こんな所にいては干からびてしまうぞ」

 薄れゆく意識の中で、これがタローが最後に聞いた言葉となった。



 雑用係のリカルドが妙な音聞きつけたのは、朝飯の後で入都手続きを終えた荷物が届き始め、倉庫内が活気づく少し前の頃だった。まず何かが軋むような音が一回聞こえた。気のせいかと思ったが、間を置かず同じ音が二回聞こえた。

「何か聞こえなかった?」

 このリカルドの問いに仲間の答えは、「何にも」「知らねぇ」だった。

 仲間から否定され、納得がいかないリカルドはこの後少し食い下がった。そんなにいうのならと、リカルドは念のための見回りを皆から押し付けられた。
 侵入者に注意が必要なのは皆わかっているのだが、夜勤が終わって朝飯、そして今はその後の短いくつろぎの時間である。上役の目もない今、わざわざ吸っている煙草を消してまで外に出たくはない。

 リカルドは大型くぎ抜きを手に休憩室を出た。くぎ抜きはいい。道具ありながら武器としても十分に役に立つ。相手が迷い込んできた客でも言い訳が立つ。

 音は部屋の中から聞こえたぐらいだ。もし何かあったなら、すぐのそばに違いないと視線を巡らせる。それはすぐに見つかった。出入り口付近に差し込む陽光の中に人影が浮かんでいる。

 近づくとそれは小柄の女だとわかった。女はリカルドに驚く様子もなく見つめている。

「何の御用ですか?」とりあえず、リカルドは女に無難に声をかけてみることにした。

 短く黒い髪で褐色の肌の女だ。女の身なりは少し古臭い気はするがリカルドの目から見てもかなり良いものだった。ここに荷物を運んでくる連中がよく着ている。頭からかぶる一枚布の奴、それの超豪華版といったところか。

「ここはどこだ?」女が言った。

「エリオットさんの倉庫です」女の物言いでリカルドは要件の察しがついた。いつものセリフを続ける。「荷物の受け取りですか。それとも集配ですか」

 時々こういう金持ちや貴族がやってるのだ。公にしたくない荷物の持ち込みや持ち出しをエリオットさんに依頼した客が倉庫の方に直接やってくる。若い女は珍しいが無いわけではない。女もその一人だろうと思った。朝早くからご苦労なことだ。

 客との対応は自分の仕事ではない。担当のフリンを呼び、残り僅かだが休憩を再開しよう。一言ここで待っていてくれと言えばいい。

「ここは帝都のどのあたりだ?楽園までの道を教えてもらいたい」

「楽園ですか?」

 確か七番街にそんな名前に売春宿があった気がする。まさかそこで働くつもりなのか?荷物が関係ないならなぜここにいる。本当に道に迷ったのか?

「七番街の店ですか?」リカルドは恐る恐る聞いてみた。

「七番街、何だそれは、楽園だ、楽園。お母様が皆と共に暮らしている、あの楽園だ」

 どうやら楽園が店名ではなく女の実家らしいのは分かった。リカルドも貴族や金持ちが自宅に洒落た名前を付けるのは知っている。しかし、それは旧市街でのこと新市街にはいないはずだ。あのローズさんでさえ住んでいるのはただの塔なのだ。

 女の雰囲気からして無碍な対応はできないが、旧市街のことなど見当もつかない。どうしたものかと考えた。もうフリンに投げつけて逃げ出すのが一番かとリカルドは考えた。

 何といって逃げ出そうか言葉が出ず、リカルドが視線を彷徨わせている最中、女の背後に積まれた荷物の異変に気がついた。昨夜到着した荷物だが、一番上に積まれた木箱がこじ開けられている。蓋に打ち付けられた釘が酷く曲がっているのが見て取れる。

「何だ。あれは」思わず声がでた。女がリカルドの視線を追う。

「出るのに邪魔だったので外した。すまなかった」

「入ってたのか?」

「そうだ」

「なんで?」

「ラクダが悪いのだ?」

「ラクダ?」

「ラクダでここまで来ようと思ったのだが、奴ら最初こそ機嫌よく歩いていたが、少しも行かないうちに水だ、食事だと騒ぎ出した。途中でうんざりして全部ラクダ屋に押し付けてきた。幸いその近くで馬車を見つけたのでな、荷物の中に紛れ込んでここまでやって来た」

 リカルドもうんざりした。しかし、彼には彼女を押し付ける知り合いのラクダ屋も馬車も近くにはいなかった。
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