第3話

文字数 2,730文字

 吸血鬼が日中に行動不能に陥るのはよく知られている。メイドのフレアがよく知る吸血鬼はローズのみだが、彼女が日中に姿を見せることがないため、それは事実なのだろうと思っている。しかし、棺に入って眠るなどの話は信じてはいない。寝室の代わりに使っている者はいるだろうが、必須の物とは思っていない。ある程度力を持つ者なら住居を持ち、寝室があるだろう。その内部はどうなっているのか?ベッドが置かれた寝室か。棺桶が置かれているか。それとも何も置かれていない部屋か。

 フレアは就寝前にローズが残していった部屋着などを片付けながら、閉ざされた扉の向こうに思いを巡らせた。フレアは帝都に訪れてローズに仕え始めてから五十年になるが、あの扉の向こうをまだ見たことはない。掃除のために立ち入るどころか、扉が少しでも開いている所も見たことない。興味はあるが、もし扉を開けた時に目の前や背後にローズがいたらと考えると、もうそれは恐怖でしかない。

 今日は忙しい、フレアはつまらない妄想を振り払い洗濯室へと向かった。

 
 昼前までに塔内の用事を済ませ、フレアは月に一回の集金へと向かった。

 新市街の大地主であるローズには毎月多額の賃料が入ってくる。塔の周辺とその西側にある店舗や借家は取引銀行を経由する形となっているが、昔浜辺の集落があった東側の地区は昔からローズの代理人が集金を行っている。今の代理人はフレアである。

 集落はこの二百年で大歓楽街へと発展を遂げた。そこを仕切っているのは昔からの地元民や属州からの移民を中心としたゴロツキ集団。移民の流入により荒れた時期もあったが、ローズのみんな仲良くとまで言う気はないが、帝都に利する無駄な喧嘩はするな、という警告のため治安は落ち着いてきている。帝国は命まで取ることは少ないが、ローズはとなるとそうはいかないことを彼はよく知っているからである。

 賃料は地域の顔役の元に集められる。それをフレアが立ち会い確認、封印を施した後フレアが持ってきたカバンに詰められる。これが五か所で行われる。かなりの金額を運ぶことになるが、運ぶのは人の頭を一撃で打ち砕くことができる少女もどきである。襲う者はいない。

 ここは人気のダンスホールの事務室。スキンヘッドの男達が小分けされた紙幣と貨幣を計数し、一か所に纏めている。

 その後ろで店主のジョニー・エリオットとフレアが彼らの作業を眺めている。

「お嬢さん、変なことを聞くと思うかもしれませんが、姐さんが御一人で外出することはあるんですか?」

 ジョニーの言う姐さんとはローズを指し、そのメイドのフレアはお嬢さんとなっている。

「夜ベランダに出た時は上空へ飛んだり、海まで飛んでいくことはあるわね」フレアは男達の様子を見ながら答えた。

「そうではなく、一人で街を歩くことです」

「わたしが来る前、コバヤシの人達と付き合う前は、たまに出歩いていたそうだけど、今はどうなのかしら……。気が付いたらいなくって、突然目の前に姿を現すって方だから……」あえて、何のために出歩いていたかは言わないでおいた。

「昼間はどうなんですか?」

「寝室の中よ。あの方は吸血鬼よ」

「それは普通の奴らの話でしょう。姐さんほどになれば昼間でも起きてられるってことはありませんか」

「何、あの方を化け物扱いしてるの!そんなことあるわけないでしょ」フレアはあきれ顔で言った。

 しかし、フレアもローズの寝室の中を見たことはない。着替えを手伝い、おはようやおやすみと声を掛けられるが、部屋の出入りは見たことはない。

「あなた、変なこと企んでるんなら、今からでもいいからやめておいたほうがいいわよ。ろくなことにならないから……」

 フレアの言葉に作業が止まり、男達がジョニーを見た。そして、すばやく目をそらせた。

「違いますよ、落ち着いてください」

 フレアとしてはお前が落ち着けといいたい気分である。スキンヘッドの強面男が脂汗を流しているのだ。

「最近、この辺りで背中に紋章が入った外套を着た奴がうろついているって噂が出回ってまして……」ジョニーは仕事中の部下達に、同意を求めるように視線を投げかけた。部下達が軽く頷く。

「変な話ね。そんな噂を確認は取ったの?」

「いいえ、……俺たちにそんなことができると思いますか?」

 間違いなく彼らにはできないだろう。

 それからも他の立ち寄り先と道中でフレアは同じ質問を受けた。そちらは顔を確認しようとした者が姿を消したという尾ひれまでついていた。フレアはそれら全部を笑顔で否定をしておいた。

 無理もないかもしれない。ローズのことは誰もが知っていても、その姿を見ることは少ない。背中に派手な紋章が描かれた外套を着ている長身の女性で、その肌は石膏像のように白い。皆が持っているローズに関する知識はその程度である。そして、この辺りでは夜に一人で静かに狩りをしていたローズの伝説が、今も息づいているのだろう。


 日没まであと少し、ローズのための着替えを整え終わった頃、フレアは呼び鈴の音を耳にして玄関先まで降りて行った。外にいたのは取引のある肉屋で大きな豚の脚を届けに来たところだった。フレアは少し会話を交わした後、脚を受け取り塔内に運び込んだ。玄関先には帰宅した後に届いたとみられる封筒が二つ落ちていた。フレアはそれらを拾い上げ、豚の脚を担ぎ最上階へと階段を登った。

 塔の冷暗所に豚の脚を置き、居間に戻ったこと時には既に陽は沈み、室内は薄暗くなっていた。しかし、まだローズの姿はなく、ランプもまだ灯されてはいない。二人とも夜目が利くため照明は特に必要ないが、ローズの趣味で灯されている。

 背後で気配がした。しかし、誰も何もいなかった。そして向き直ると目の前に寝間着姿のローズが立っていた。

「おはよう」

 ローズは手にしていた封筒をフレアに渡すと、寝間着を脱ぎ始めた。封筒はさっきまでフレアが持っていたはずの物で、既にその封は切られ、いつの間にかすべてのランプか灯されていた。

 ローズと過ごしていると彼女はよくこの手の悪戯を仕掛けてくる。

 ローズが目にもとまらぬ速さで動いているというわけではない。対象者の意識の中に侵入するのだ。そして操られ、あるはずの物を消され、ありもしない物を見ることになる。

 これらの出来事が日中に起こったことはない。それが吸血鬼は日中は行動不能になる。ローズであっても例外ではないという説を強固にしている。ローズが日中だという理由で悪戯を控えるなどフレアには考えられないからである。
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