第4話
文字数 5,347文字
一通りの聴取を終えた頃、麓の班から画商イマギナを無事拘束したとの連絡を受けた。少しの間自白を渋ったイマギナも司法取引の有用性を説かれるとあっさりと口を割った。殺人事件に巻き込まれるか、減刑を伴う盗品または偽物売買で済むか。違いは大きすぎる。
彼によると、今回の取引はあるやんごとなき身分の方の依頼だそうだ。その依頼主は一度も姿を現したことはなく、その代理人を名乗る若者が「聖ケルアックの登場」持ちこんできたという。
奇妙な依頼だったが前金が支払われ、絵の現物も持ち込まれた。そのため、もし逆らって何かあればという恐れがイマギナをこの取引を続けさせた。
「確かに面倒な奴もいるからな」とオ・ウィン。
「取引相手、場所、期日などについてはすべて依頼主が指定し、イマギナはそれに従っていただけといっています」 と頭蓋に響く声。
「勝手な言い逃れに過ぎん気もするが、絵は無事確保できたか?」
「はい、問題なく。本物の上に一枚別の絵を被せて、安価な風景画に偽装していました」
「手ごろな額を付けておけば目立たないと思ったか」
「一時的な目くらましにすぎないし、痛みかねない。まったく馬鹿な真似はやめてほしいですね」 ブラストが吐き捨てるように呟く。
「……偽物なら気軽にできるな」
「そうですが……」
「……また何かあったら連絡を頼む。連れ帰る時、必要ならこっちも手を貸す。遠慮なくいってくれ」
これについてはオキデシデン側は丁寧に断ってきた。あまり帝都を頼りたくもないのだろう。オ・ウィンの招聘も彼らのはるか上で決められたことだ。
麓の班との連絡の後、オ・ウィン達は再度ドラゴの部屋へと向かった。家具などはまだ現状のまま動かされてはいない。オ・ウィン達が入ってほどなくブラストが現れた。
「隊長殿。まだ、ここに用があるんですか」
「気になることができてね」
ブラストはエブリーに目をやった。エブリーは首を振る。
「支配人も呼んである。彼に話を聞いてからだ」
その言葉を合図にしたかのように扉が叩かれ支配人が姿を現した。彼には昨夜のうちに三人の正体は告げてある。部屋に客のはずの三人がいても動じることはない。
「どのような御用でしょうか」支配人は落ち着き払い、泊り客に対応する声音と変わらない。
「支配人、わざわざありがとう。早速なんだが、この部屋から消えた物はあるだろうか」 とオ・ウィン。
「消えた物ですか……」
支配人はオ・ウィンの不思議な声音にも反応を示さず、戸口から寝台の前を通り過ぎゆっくり窓際まで歩いてきた。 その後を三人もついていく。
彼は窓際までゆっくり歩きそこで立ち止まり壁に目をやった。
「こちらに掛けてあった絵が無くなり、掛け金だけになっています」
支配人は壁に残った少し錆の浮いた掛け金を手で示した。壁にも薄っすらと跡が残っている。 オ・ウィン達の部屋の壁にも風景画が掛けられていた。
「初めからなかったということはないかね」
「それはあり得ません。そこの絵は気に入ってくださった方が、お買い取りいただくことがありまして、その折にはすぐに代わりを掛けるようにしております」支配人は口角をあげ今にも絵画販売の営業を始めそうな笑顔を浮かべた。
「誰が掛け換えるのかね?」
「部屋係が予備を掛けることになっております。新しい絵への交換は専属の画家が随時行っています」
「直近で取り換えに来た期日を覚えているだろうか?」
「はい……あぁ、つい三日前に何点か取り換えて帰りました」
「画家の名前を教えてもらっていいだろうか?」
「リカルドといいますが、彼が何か……」
「あぁ、今回の件には悪い関りはないだろう。ただ、何点か聞いておきたいことがあるだけだ」
「そうですか……」
支配人は画家リカルドの住居兼工房の位置を告げると部屋から出ていった。オ・ウィンはすぐさま麓の班にそこに人をやるように命じた。
「リカルドは何と答えるか。こちらの部屋係にも話を聞こう。さて、どうなるか」
「裏を取ることは当然としても、隊長は支配人の言葉を信じていないんですか?」
「もちろん、信じているさ。正しいことを期待している」
昼下がりのラーラパジャ山荘へよい知らせと悪い知らせがもたらされた。よい知らせは土砂崩れのより塞がれた山道が、工夫たちの懸命の作業により明日にも通行可能になりそうだという。客を迎えるにはまだ少しかかるが、下山や物資の運び込みは問題ないと言われている。
悪い知らせは行方不明だったペル・ラサトが遺体で発見されたことだ。これで死者は二人となった。薪の貯蔵庫に入った雑用係が薪の山の中に埋まっている彼を発見した。調理場や部屋に配るための薪を集めに訪れての事だった。崩れた薪の山を片付けつつ必要分を集めていると、薪の下から人の足が現れ慌てて警備隊を呼びに行ったという。
ラサトは壁を背に足を延ばした状態で座っていた。そこに崩れた薪の山が被さっていた。雑用係としては乱雑の積み上げは収納量の確保に問題が出てくるため終始整理をしており、前回来た時は薪山は整っていた。
「もう、運び出せそうだな」貯蔵庫内の声がオ・ウィンの頭蓋に響いてきた。「あと一人、頭の方に行ってくれ」
「あ、待てよ。背中の武器に気を付けて、それを取り出してからだ」
「あぶない、忘れるところだった」
ラサトは薪の中に隠れようとして崩れてきた薪に押しつぶされたのか?確かに出入り口や山道はオキシデン、公国の警備隊が固めていた。楽に外には出られなかったために、彼らをやり過ごすつもりで隠れたのか。
「オ・ウィン殿、ラサトを外に運び出しました。今のところ傷は……あぁ、背中にあります。上着に裂け目が、背中から何者かに刺されたのは間違いないようです」
「ありがとう、後もよろしく頼む」
オ・ウィンは軽く息をついた。
「聞いての通りだ」
「振り出しに戻る、ですか」とブラスト。
「んン、……」
更に入信が来た。 麓の班からである。
「リカルドに話が聞けたか。それでリカルドはこの十日こちらには来ていない。なるほどありがとう。助かったよ」
オ・ウィンは子供らしからぬ笑みを浮かべた。
「もうゲームも上がり間近だ。だが、わかっているな。上がりの傍は要注意だ」
ラーラパジャ山荘の最上階にある四階の展望台は客室を少し広くしたほどの面積で中央には暖房用の炉床が組まれている。昔は焚火だったが、今は鋳鉄製の薪ストーブが持ち込まれる。ほぼ野外のため換気は気にならない。風が通り抜けていく。
夜も格別だそうよ、ゴドゥが言った通り見事な夜景である。闇に沈んだエディルネ山の背後から星の河が湧き出し天頂へ、そして南方へとその流れが続く。星ならば帝都でも目にすることはできるが、こちらの方が数も多く空も澄んでいるように思える。
展望台で待機するオ・ウィンの元に連絡が入った。空を見上げる時間は終わりのようだ。彼は椅子から降りて入り口の階段に目を向けた。エブリーとブラストも立ち上がり来訪者に備えた。
待ち人は微かな足音だけでやってきた。展望台に入り、そこにいる面々を目にしても動揺している様子はない。
「よく来てくれた。待っていたよ。どこぞの探偵のように謎解きの折に堅気の客まで同席させるわけにいかんのでね。支配人に頼みここを貸してもらった」
オ・ウィンは小さな手を大きく広げ、歓迎の意を表した。
「まぁ、ゆっくりしてくれ。昨夜は忙しくお互い星を眺めている暇もなかった」
彼は再び背後の椅子の腰を掛けた。
「もうわかっているだろうが、この場で本来の姿をさらしている者は一人もいない。俺は見ての通りのガキではなく、エブリーは俺の母親なんて気の毒な立場でもない。そこのブラスト少尉も侯爵家の嫡男ではない。皆化けている」
紹介された両者とも目前の人物を見据え軽く頭を下げる。
「君も同様だな。まず貴族の代理人になりすましイマギナを使い取引を装い、ドラゴをここまで呼び出した。そして画家のリカルドに化けドラゴが泊まる部屋に「キャタ・ヴァロレ」を置いていった。最後はラサト化けてドラゴと共に部屋入り刺殺した」
「ちょっと待って、わたしはこれに興味があったから来ただけよ」
アンジェラ・ゴドゥは手にしていた小物入れから紙切れを取り出した。
「今宵余人を交えず、貴殿と話し合いたく候……わたしはこれを寄こしたのが誰なのか知りたかっただけ。それを殺人犯扱いどういうこと?」
オ・ウィンは問いの答えず先を続けた。
「状況はラサトを殺人犯と指していたがどうにも釈然としなかった。しかし、誰かがラサトに化けて部屋に入ったなら納得だ。俺たちが部屋の前で目にしたときは彼はもう死んでいたんだ。置かれた絵についても、イマギナが絵にした細工を知り、ここへの絵の持ち込み方も察しがついた。画家に化け事前の持ち込んでおけば、後は上張りを剥がすだけで事足りる。動機も絵の意味もまだ不明だが今は置いておこう。
ここまでの段取りが見えてくれば後は消去法だ。イマギナに指示を出し、山荘に絵を持ち込むなど自由に動ける者だ。そして不意打ちにしてもラサトを殺害できる力がある。テンキョーホ夫妻はまず無理だろう。リポルブ夫妻も酔っぱらっていて無理だ。レオナルドにラサトに対抗する力があったとしても使用人の彼に事前の段取りに費やす暇などない。残るのは君だ」
「馬鹿馬鹿しい。他にも人は一杯いるでしょう。従業員にも化けるなら外からの侵入者でもいい」
「決定的な点があるんだ」
「何?」
「ラサトという男、ゴロツキとしては切れ者だ。俺たちのように武器を召喚できないにしても巧みに隠し持つことができた。短剣などではなく直刀だ。それを知っていたのは俺たちとブラスト少尉の班。それも事前情報があってのこと」
ブラストは頷いた。
「実に自然に振る舞っていた。あの技は人斬りではなく芸として見せていればよかったんだ。居合切りで十分金はとれたはずだ」
「そうだな。それを君はなぜ知っていた?ムラサメの聴取の際にラサトの大きな武器、刀について言及しているだろう」
「したかしら」
「したとも、刀の存在を知ったのはラサトを殺ってからか?」
「口が滑ったのね。しゃべり過ぎに注意しないとね」
ゴドゥの上着の袖口が不自然に揺れ、次の瞬間に袖の一部が刀身となって伸び、その切っ先はさっきまでオ・ウィンが座っていた椅子の座面を貫いた。ユウナギを召喚したオ・ウィンは持ち前の素早さでそれを交わし間合いを詰め、袈裟懸けの一撃でゴドゥの表面を断ち切った。
奇妙だがこの表現が当てはまる。ユウナギが切り裂いたのはゴドゥが身に着けているコートでもブラウスでもない。それらを模した膜のような何かである。衣服や髪がそれ自体が生き物のようにゆらゆらと蠢き、裂けた裁断部から覗く内部は闇でうかがい知れない。
「こいつ人の皮を被っているのか」ブラストが顔をしかめる。
「失礼な言い方ね」
切断面が修復され元通りのゴドゥへと戻った。
「これはわたしの魔器、変幻自在の衣アラサラウスのなせる技。化け物呼ばわりはやめておいて」 ゴドゥは口が裂けてしまいそうに大げさな笑顔を浮かべる。
「ラサトも女の服の袖が武器なるとは思いもしなかったわけだな」
「誰でも初めての時はそうよ」
エブリー、ブラスト共に武器を召喚したが、どこから切っ先が向かってくるか知れず、うかつに近づけない。
「隙の無い男だった。だから、彼を倒して入れ替われたのは部屋に帰る直前よ」
「防具にして武器、そして変装道具というわけか」とオ・ウィン。「なぜ、ドラゴを殺した?」
三対一の睨み合いは続く、下手に動けば不利になる。
「盗んだ絵が偽物でえらい恥をかいたわ。ほら、あの絵「キャタ・ヴァロレ」よ。だから付き返してやったわ」
「何だと!」
飛び出しかねないブラストをオ・ウィンが片手で制する。
「本当よ。誰かが先に偽物と取り換えてたのね。よく調べてみるといいわ」
「つまり、盗賊ファンタマの沽券にかかわるということか。だから殺った」
「そういうこと。あぁ、がけ崩れはわたしじゃないから、あれのおかげでわたしの計画も大きく狂ったわ。彼の遺体はイマギナが来た時に奴に見つけさせるつもりだったのよ」
ゴドゥのコートの袖口と裾が十数本の刃に分かれ三人の眼前の床に刺さった。その反動によりゴドゥは背後の空へと展望台の外へと勢いよく飛び出していった。刃を避けつつオ・ウィンはゴドゥに飛び掛かるが、アラサラウスに僅かに傷を入れるだけのとどまった。
「楽しかった。また会う時を楽しみにしてるわ」
空に飛び出したゴドゥは軽く手を振り仰向けで展望台から麓へと落ちていった。三人はそれを見送る以外すべはない。まもなく、アラサラウスは翼に姿を変え、ゴドゥはエディルネ山へと飛び去って行った。
「とんでもない女ですね」とエブリー。
「あぁ、だがあの眼は憶えたぞ。今度は逃がさん」
オ・ウィンの言葉通りファンタマ対応も特化隊扱いとなるがそれはまた別のお話である。
彼によると、今回の取引はあるやんごとなき身分の方の依頼だそうだ。その依頼主は一度も姿を現したことはなく、その代理人を名乗る若者が「聖ケルアックの登場」持ちこんできたという。
奇妙な依頼だったが前金が支払われ、絵の現物も持ち込まれた。そのため、もし逆らって何かあればという恐れがイマギナをこの取引を続けさせた。
「確かに面倒な奴もいるからな」とオ・ウィン。
「取引相手、場所、期日などについてはすべて依頼主が指定し、イマギナはそれに従っていただけといっています」 と頭蓋に響く声。
「勝手な言い逃れに過ぎん気もするが、絵は無事確保できたか?」
「はい、問題なく。本物の上に一枚別の絵を被せて、安価な風景画に偽装していました」
「手ごろな額を付けておけば目立たないと思ったか」
「一時的な目くらましにすぎないし、痛みかねない。まったく馬鹿な真似はやめてほしいですね」 ブラストが吐き捨てるように呟く。
「……偽物なら気軽にできるな」
「そうですが……」
「……また何かあったら連絡を頼む。連れ帰る時、必要ならこっちも手を貸す。遠慮なくいってくれ」
これについてはオキデシデン側は丁寧に断ってきた。あまり帝都を頼りたくもないのだろう。オ・ウィンの招聘も彼らのはるか上で決められたことだ。
麓の班との連絡の後、オ・ウィン達は再度ドラゴの部屋へと向かった。家具などはまだ現状のまま動かされてはいない。オ・ウィン達が入ってほどなくブラストが現れた。
「隊長殿。まだ、ここに用があるんですか」
「気になることができてね」
ブラストはエブリーに目をやった。エブリーは首を振る。
「支配人も呼んである。彼に話を聞いてからだ」
その言葉を合図にしたかのように扉が叩かれ支配人が姿を現した。彼には昨夜のうちに三人の正体は告げてある。部屋に客のはずの三人がいても動じることはない。
「どのような御用でしょうか」支配人は落ち着き払い、泊り客に対応する声音と変わらない。
「支配人、わざわざありがとう。早速なんだが、この部屋から消えた物はあるだろうか」 とオ・ウィン。
「消えた物ですか……」
支配人はオ・ウィンの不思議な声音にも反応を示さず、戸口から寝台の前を通り過ぎゆっくり窓際まで歩いてきた。 その後を三人もついていく。
彼は窓際までゆっくり歩きそこで立ち止まり壁に目をやった。
「こちらに掛けてあった絵が無くなり、掛け金だけになっています」
支配人は壁に残った少し錆の浮いた掛け金を手で示した。壁にも薄っすらと跡が残っている。 オ・ウィン達の部屋の壁にも風景画が掛けられていた。
「初めからなかったということはないかね」
「それはあり得ません。そこの絵は気に入ってくださった方が、お買い取りいただくことがありまして、その折にはすぐに代わりを掛けるようにしております」支配人は口角をあげ今にも絵画販売の営業を始めそうな笑顔を浮かべた。
「誰が掛け換えるのかね?」
「部屋係が予備を掛けることになっております。新しい絵への交換は専属の画家が随時行っています」
「直近で取り換えに来た期日を覚えているだろうか?」
「はい……あぁ、つい三日前に何点か取り換えて帰りました」
「画家の名前を教えてもらっていいだろうか?」
「リカルドといいますが、彼が何か……」
「あぁ、今回の件には悪い関りはないだろう。ただ、何点か聞いておきたいことがあるだけだ」
「そうですか……」
支配人は画家リカルドの住居兼工房の位置を告げると部屋から出ていった。オ・ウィンはすぐさま麓の班にそこに人をやるように命じた。
「リカルドは何と答えるか。こちらの部屋係にも話を聞こう。さて、どうなるか」
「裏を取ることは当然としても、隊長は支配人の言葉を信じていないんですか?」
「もちろん、信じているさ。正しいことを期待している」
昼下がりのラーラパジャ山荘へよい知らせと悪い知らせがもたらされた。よい知らせは土砂崩れのより塞がれた山道が、工夫たちの懸命の作業により明日にも通行可能になりそうだという。客を迎えるにはまだ少しかかるが、下山や物資の運び込みは問題ないと言われている。
悪い知らせは行方不明だったペル・ラサトが遺体で発見されたことだ。これで死者は二人となった。薪の貯蔵庫に入った雑用係が薪の山の中に埋まっている彼を発見した。調理場や部屋に配るための薪を集めに訪れての事だった。崩れた薪の山を片付けつつ必要分を集めていると、薪の下から人の足が現れ慌てて警備隊を呼びに行ったという。
ラサトは壁を背に足を延ばした状態で座っていた。そこに崩れた薪の山が被さっていた。雑用係としては乱雑の積み上げは収納量の確保に問題が出てくるため終始整理をしており、前回来た時は薪山は整っていた。
「もう、運び出せそうだな」貯蔵庫内の声がオ・ウィンの頭蓋に響いてきた。「あと一人、頭の方に行ってくれ」
「あ、待てよ。背中の武器に気を付けて、それを取り出してからだ」
「あぶない、忘れるところだった」
ラサトは薪の中に隠れようとして崩れてきた薪に押しつぶされたのか?確かに出入り口や山道はオキシデン、公国の警備隊が固めていた。楽に外には出られなかったために、彼らをやり過ごすつもりで隠れたのか。
「オ・ウィン殿、ラサトを外に運び出しました。今のところ傷は……あぁ、背中にあります。上着に裂け目が、背中から何者かに刺されたのは間違いないようです」
「ありがとう、後もよろしく頼む」
オ・ウィンは軽く息をついた。
「聞いての通りだ」
「振り出しに戻る、ですか」とブラスト。
「んン、……」
更に入信が来た。 麓の班からである。
「リカルドに話が聞けたか。それでリカルドはこの十日こちらには来ていない。なるほどありがとう。助かったよ」
オ・ウィンは子供らしからぬ笑みを浮かべた。
「もうゲームも上がり間近だ。だが、わかっているな。上がりの傍は要注意だ」
ラーラパジャ山荘の最上階にある四階の展望台は客室を少し広くしたほどの面積で中央には暖房用の炉床が組まれている。昔は焚火だったが、今は鋳鉄製の薪ストーブが持ち込まれる。ほぼ野外のため換気は気にならない。風が通り抜けていく。
夜も格別だそうよ、ゴドゥが言った通り見事な夜景である。闇に沈んだエディルネ山の背後から星の河が湧き出し天頂へ、そして南方へとその流れが続く。星ならば帝都でも目にすることはできるが、こちらの方が数も多く空も澄んでいるように思える。
展望台で待機するオ・ウィンの元に連絡が入った。空を見上げる時間は終わりのようだ。彼は椅子から降りて入り口の階段に目を向けた。エブリーとブラストも立ち上がり来訪者に備えた。
待ち人は微かな足音だけでやってきた。展望台に入り、そこにいる面々を目にしても動揺している様子はない。
「よく来てくれた。待っていたよ。どこぞの探偵のように謎解きの折に堅気の客まで同席させるわけにいかんのでね。支配人に頼みここを貸してもらった」
オ・ウィンは小さな手を大きく広げ、歓迎の意を表した。
「まぁ、ゆっくりしてくれ。昨夜は忙しくお互い星を眺めている暇もなかった」
彼は再び背後の椅子の腰を掛けた。
「もうわかっているだろうが、この場で本来の姿をさらしている者は一人もいない。俺は見ての通りのガキではなく、エブリーは俺の母親なんて気の毒な立場でもない。そこのブラスト少尉も侯爵家の嫡男ではない。皆化けている」
紹介された両者とも目前の人物を見据え軽く頭を下げる。
「君も同様だな。まず貴族の代理人になりすましイマギナを使い取引を装い、ドラゴをここまで呼び出した。そして画家のリカルドに化けドラゴが泊まる部屋に「キャタ・ヴァロレ」を置いていった。最後はラサト化けてドラゴと共に部屋入り刺殺した」
「ちょっと待って、わたしはこれに興味があったから来ただけよ」
アンジェラ・ゴドゥは手にしていた小物入れから紙切れを取り出した。
「今宵余人を交えず、貴殿と話し合いたく候……わたしはこれを寄こしたのが誰なのか知りたかっただけ。それを殺人犯扱いどういうこと?」
オ・ウィンは問いの答えず先を続けた。
「状況はラサトを殺人犯と指していたがどうにも釈然としなかった。しかし、誰かがラサトに化けて部屋に入ったなら納得だ。俺たちが部屋の前で目にしたときは彼はもう死んでいたんだ。置かれた絵についても、イマギナが絵にした細工を知り、ここへの絵の持ち込み方も察しがついた。画家に化け事前の持ち込んでおけば、後は上張りを剥がすだけで事足りる。動機も絵の意味もまだ不明だが今は置いておこう。
ここまでの段取りが見えてくれば後は消去法だ。イマギナに指示を出し、山荘に絵を持ち込むなど自由に動ける者だ。そして不意打ちにしてもラサトを殺害できる力がある。テンキョーホ夫妻はまず無理だろう。リポルブ夫妻も酔っぱらっていて無理だ。レオナルドにラサトに対抗する力があったとしても使用人の彼に事前の段取りに費やす暇などない。残るのは君だ」
「馬鹿馬鹿しい。他にも人は一杯いるでしょう。従業員にも化けるなら外からの侵入者でもいい」
「決定的な点があるんだ」
「何?」
「ラサトという男、ゴロツキとしては切れ者だ。俺たちのように武器を召喚できないにしても巧みに隠し持つことができた。短剣などではなく直刀だ。それを知っていたのは俺たちとブラスト少尉の班。それも事前情報があってのこと」
ブラストは頷いた。
「実に自然に振る舞っていた。あの技は人斬りではなく芸として見せていればよかったんだ。居合切りで十分金はとれたはずだ」
「そうだな。それを君はなぜ知っていた?ムラサメの聴取の際にラサトの大きな武器、刀について言及しているだろう」
「したかしら」
「したとも、刀の存在を知ったのはラサトを殺ってからか?」
「口が滑ったのね。しゃべり過ぎに注意しないとね」
ゴドゥの上着の袖口が不自然に揺れ、次の瞬間に袖の一部が刀身となって伸び、その切っ先はさっきまでオ・ウィンが座っていた椅子の座面を貫いた。ユウナギを召喚したオ・ウィンは持ち前の素早さでそれを交わし間合いを詰め、袈裟懸けの一撃でゴドゥの表面を断ち切った。
奇妙だがこの表現が当てはまる。ユウナギが切り裂いたのはゴドゥが身に着けているコートでもブラウスでもない。それらを模した膜のような何かである。衣服や髪がそれ自体が生き物のようにゆらゆらと蠢き、裂けた裁断部から覗く内部は闇でうかがい知れない。
「こいつ人の皮を被っているのか」ブラストが顔をしかめる。
「失礼な言い方ね」
切断面が修復され元通りのゴドゥへと戻った。
「これはわたしの魔器、変幻自在の衣アラサラウスのなせる技。化け物呼ばわりはやめておいて」 ゴドゥは口が裂けてしまいそうに大げさな笑顔を浮かべる。
「ラサトも女の服の袖が武器なるとは思いもしなかったわけだな」
「誰でも初めての時はそうよ」
エブリー、ブラスト共に武器を召喚したが、どこから切っ先が向かってくるか知れず、うかつに近づけない。
「隙の無い男だった。だから、彼を倒して入れ替われたのは部屋に帰る直前よ」
「防具にして武器、そして変装道具というわけか」とオ・ウィン。「なぜ、ドラゴを殺した?」
三対一の睨み合いは続く、下手に動けば不利になる。
「盗んだ絵が偽物でえらい恥をかいたわ。ほら、あの絵「キャタ・ヴァロレ」よ。だから付き返してやったわ」
「何だと!」
飛び出しかねないブラストをオ・ウィンが片手で制する。
「本当よ。誰かが先に偽物と取り換えてたのね。よく調べてみるといいわ」
「つまり、盗賊ファンタマの沽券にかかわるということか。だから殺った」
「そういうこと。あぁ、がけ崩れはわたしじゃないから、あれのおかげでわたしの計画も大きく狂ったわ。彼の遺体はイマギナが来た時に奴に見つけさせるつもりだったのよ」
ゴドゥのコートの袖口と裾が十数本の刃に分かれ三人の眼前の床に刺さった。その反動によりゴドゥは背後の空へと展望台の外へと勢いよく飛び出していった。刃を避けつつオ・ウィンはゴドゥに飛び掛かるが、アラサラウスに僅かに傷を入れるだけのとどまった。
「楽しかった。また会う時を楽しみにしてるわ」
空に飛び出したゴドゥは軽く手を振り仰向けで展望台から麓へと落ちていった。三人はそれを見送る以外すべはない。まもなく、アラサラウスは翼に姿を変え、ゴドゥはエディルネ山へと飛び去って行った。
「とんでもない女ですね」とエブリー。
「あぁ、だがあの眼は憶えたぞ。今度は逃がさん」
オ・ウィンの言葉通りファンタマ対応も特化隊扱いとなるがそれはまた別のお話である。