第9話

文字数 4,455文字

 夕方となり日勤職員の退勤時間となった。事務方では今日の仕事を済ませた職員が順に席を立っていく。コラビも与えられた書類の整理を終え、署を後にした。
 街路を行き自宅へと向かう。歩いていると路地から一人の男が勢いよく飛び出しコラビの前に立ちはだかった。波打つ黒い髪の小男だ。どこかの店の客引きだろうと思い関わらないことにした。この辺りには路地の奥にある店へ誘う客引きがよく出没する。署に苦情がくるため夜勤担当の隊士が巡回し対処しているはずだが、効果は思わしくようだ。
 男の脇を抜けて行こうと歩を進めたが、うまく行く手を遮られ振り切ることが出来ない。
「コラビ・フレイベルさんですね」男は口角を上げコラビに問いかけてきた。その言葉に思わず足が止まる。
「……そ、そうだが」見知った男か記憶を手繰るが覚えはない。
「これを預かってきました」
 男は手にした封筒をコラビの顔前に突きつける。コラビはそれを払いのけるように手をやった。男は素早く身を後ろに引き、封筒を投げつけてきた。よければよかったのだろうが、反射的に手が出ていた。つかみ損ねて手のひらで跳ね、宙に浮いたそれをお手玉のように何度か弾いた後にようやくつかみつかみ取ることができた。
「確かに渡しましたよ」男は踵を返し傍の路地へと駆け込んでいった。
 封筒の宛名はコラビ・フレイベルとなっており、裏返してみると差出人はジセイ・キハチとなっていた。
「おい、待ってくれ」
 コラビは男が姿を消した路地へと向かい、その先を覗き込んだ。男の姿はない。行き交う人々をかわしつつ駆け抜け。先の通りへと出て左右を確かめる。男の姿は見えなかった。逃げられたようだ。仕方なく引き返しつつもう一度封筒を確認する。筆跡には心当たりはないが、とりあえずキハチからの手紙らしい。その場で封を開け、中身を確かめたい衝動に駆られたがそれをこらえて広い通りへと戻った。


「こんにちは、コラビ様はどう過ごされておられるでしょうか。わたしは難を逃れることができました。ついてはあの日の事でお話をしたいことがあり、ご連絡いたしました」
 キハチからの手紙はこのような書き出しで始まっていた。次いであの時のキハチの行動が綴られている。
 やはり自宅まで持って帰る気にはなれず、コラビは近くの店に入りそこで封筒を開け中身を取り出した。封筒も便箋も署で見かけるような飾り気のない安物だ。
 キハチによると届いた手紙を父ダミアンに渡すために部屋の前に立ち、いつも通り扉を軽く叩こうと手を上げた時、扉の中から何やら物音が聞こえた。先客がいるのかと扉に耳を当て中の様子を窺う。声にならぬ呻きと荒い息、それはほどなく収まった。これは只事ではなさそうだと思い切って扉を開けると旦那様が倒れていた。そして、窓は大きく開いたままとなっていた。
「そこから、身を乗り出すと小脇に砂色の反物を抱え、裏口へと急ぐ男の姿を見かけました。その男はコラビ様によく似ていたように思われます」
 これらの情報をキハチは警備隊には黙っていたようだ。それはなぜか。答えとしてはこれからの生活の役に立つと考えたからだ。キハチはこの街を出て、しばらくゆっくりと暮らしてみたいと書いていた。そのためにはまとまった金が要る。今夜会ってその話ができないかとも書かれていた。


 キハチが待ち合わせ場所として指定してきたのは港の酒場だった。コラビは店の名を確認して店内へと入る。客はテーブル席に二人だけだ。
「いらっしゃい」酒樽のような体格の店主は歓迎の言葉だけ投げかけ、目の前の酒に視線を戻した。琥珀色の液体がグラスの半分ほどまで注がれると、それはカウンターに座った男の前に置かれた。
 コラビは壁際のテーブル席に腰を降ろした。キハチの姿はない。
「やぁ、君もここに来ていたのか」ややあって聞き覚えのある声が聞こえた。
 大きく開いたままの両開きの扉から入って来たのは小柄な男と長身の二人組。コラビもよく知っている男たちだ。同じ湾岸中央署に勤めているハンネ・ウィルマンとサミー・ピリショキだ。彼らはテーブルの開いた席に腰を下ろした。
「誰かと待ち合わせかな」ウィルマンが口角を上げた。
「あぁ……それは」コラビは考えた。キハチの動きは読まれているのか。自分はわざわざ罠に嵌りに来たのか。
「あぁ、もう芝居はやめよう。これは自分でやるもんじゃない。見るにかぎる」とウィルマン。
「キハチを待っているのなら、悪いが奴は来られない。中央署からは釈放されたが、今は南署に入っている。だが、うちにいるよりは好待遇のはずだ」ピリショキはコラビの目をじっと覗き込んできた。
「奴にはここまで君を誘い出すのに少し手伝ってもらったんだ。一芝居うてば芝居好きの君の事だ、必ず、乗ってくれるだろと思ってね」ウィルマンは口角を上げた。
「通りで受け取った手紙の出来はどうだった。キハチは犯行を見ていたわけじゃない。俺達がかき集めて作った筋書きだがいいところまで行っているだろ」
「僕が父さんを殺したと言いたいんですか」
「そう言っている」とウィルマン。「まず君は隠れ蓑を使い勝手口に配達員が来た時にでも隙を突いて屋敷に入ったんだろう。そのままダミアンさんの部屋に行き、いつも通り部屋に入った。そして隙を突いて彼を絞殺した。あの人の体調は万全なものではない。若い君なら何の造作もなく手に掛けることが出来ただろう。部屋から出るのに使ったのは窓だ。窓の外の通路は使われることは少なく、隠れ蓑で姿を隠せば目に着くことはないだろう。残念なことに君はそれをはみ出した木の枝で破いてしまったようだがね。こちらとしては痕跡を手に入れることができて幸いだった。後は裏口から出てもう一度表から食事前を狙って入ればいい。そこでパンが欲しいと理由を付け、あの人の部屋の前にある食堂で執事のワルタリたちと話をする。時間を見計らい何か音が聞こえたといい二人を連れダミアンさんの部屋に行く。扉を開ければ神出鬼没のベレロフォンによる殺人事件の完成だ」
「馬鹿な僕がベレロフォンだなんて、それなら僕が父さんと他の二人まで殺したっていうんですか?」
「そこまでは言ってない。君が殺害したのはダミアンさんだけだ」とピリショキ。
「それに気が付くのにかなり時間が掛ったよ」とウィルマン。「危うくベレロフォンが単独犯ではなく、本当に組織犯罪の犯行かと推理があらぬ方向に飛んでいきそうになった。だが、連続殺人犯のベレロフォンなんていないことに気づけば簡単に謎は解けたよ。「わたしはベレロフォンとなるためキマイラを作り出した」君も観たであろう芝居の一節だ」
「……どういうことです」
「一件目のストックトン氏は検死通りの病死だ。二件目は不幸な転落事故でなんの嫌疑もない。ベレロフォンはそれをいかにも自分が殺したと主張しただけだ。奴は一件目は傍で見ていたが、二件目はクオファラ家にさえいなかった。だから真相に触れることはできずアレックスの虚偽の供述をなぞることになった」
「虚偽の供述?」
「そう、事情があってアレックスは家族や使用人と口裏を合わせ母親の死亡時間を偽った。彼女の本当の死亡時間は一刻以上も早いんだ。殺害犯なら絶対知っているはずの死亡時間をベレロフォンはなぜ間違えたのか。それはこちらの調書を元にして声明文を書いたからさ」
 コラビは息を飲んだ。虚偽の証言、その意味が頭にしみこんでいくまで少し時間がかかった。そんな中でもウィルマンの言葉は続く。
「そこから導き出される犯人像はストックトン氏の死亡時に歌劇場に居合わせ、我々の調書や捜査資料に目を通すことが出来て、ダミアンさんの書斎に簡単に出入りできる人物だ。そんな人物となるとコラビ・フレイベル、君しかいないんだよ」
「なぜ、僕がそんな手の込んだことをしなければならないんです?」
「君自身が罪を逃れるため、捜査をあらぬ方向へ持って行くためさ。そのためベレロフォンとその討伐対象となるキマイラを作り出した。謎の犯罪組織キマイラを追うベレロフォン、それは巧みな犯罪行為で世間を煽る。ありもしない連続殺人の中にダミアンさん殺しも混ぜてしまえば迷走は間違いなしと考えたんじゃないか。実際、アレックスとキハチがいなかったら捜査は危ない方向に走っていたかもしれない」 
「そんなの一方的な妄想に過ぎないでしょう」
「確かに証拠が無ければいい加減な新聞記事と変わらない。だが、俺達は警備隊だ。既に証拠は固めてある」とピリショキ。
 その声と共にテーブル席の二人組が立ち上がり、店主がこちらに身体を向けた。
「彼らは湾岸南署の警備隊士で、今夜この店は我々の貸し切りだ」
「俺達はアレックスの偽証の発覚から後は南署の協力を得て秘密裏に捜査を続けていた。何しろ容疑者が身内にいるときていたからね」
 ここで一つ咳払いが入った。
「その結果得られたのはまず……」店主がカウンター内から木箱を取り出し、その中から砂色の反物を掴みだし両手で広げる。 
「それは君が住んでいる部屋から発見された。左端を見てくれ、穴が開いているだろう」店主がわかりやすいよう持ち手を変える。「ダミアンさんの部屋から逃げる時に裏手の通路にはみ出ている枝にひっかっけたんじゃないか。枝に切れ端が絡まっていたよ」
店主が箱から封筒を取り出し、そこから細かな端切れをつまみだす。
「次に新聞社に届いていた声明文の筆跡と君の筆跡が一致した」テーブル席の男が鞄から封筒を取り出し、中身を広げる。
「あれが鑑定書だ。それに加えて声明文に使われた同じ紙とインクも君の部屋から見つかった。鑑定に使ったのは君が君の彼女に送った手紙だ。これらについてはもう少し注意を払うべきじゃなかったかな。我々としては助かったがね」
「彼女によるとストックトン氏が倒れた夜も君は歌劇場に訪れていたそうだ」
「……あぁ」コラビは頭を抱えた。
「彼女に君について聞いたんだが、彼女が求めていたのは君自身なんだ。金や家柄なんてどうでもいい。だから、君がやるべきだったのはあの家を出ることだったんだ。彼女の事を本当に思っていたのならダミアンさんを殺すのではなくな」とウィルマン。
「そろそろ行こうか、後は署で聞くことにしよう」ピリショキに促されコラビは席から立ち上がった。
 この期に及んで往生際悪く暴れだすという展開をよく耳にしたが、コラビは抵抗する気が一切失せてしまっていた。湧いてきたのは激しい後悔の念だけだ。自分では最高の出来だと思って演じたが、とんだかませ役で終わってしまった。
 当然のことだが、芝居と現実はまるで別物だ。コラビはそれを完膚なきまでに思い知らせれることなった。 

 ピリショキと他の隊士達に囲まれ、コラビは項垂れ店の外に出て行く。ウィルマンはそれを眺めながら天井に向かい小声で呟いた。
「どうだい、事件は解決したよ。手紙は助かった、ありがとう。だが、次に会うのは劇場にしてもらいたいね」
 ウィルマンは彼らの後を追って歩き出した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み