第10話

文字数 4,627文字

 夕日を受けて輝く巨大なガラスの森、淡い光の中に浮かぶその荘厳な姿はエリオットであっても、噂に聞く転生の輪を連想した。状況さえ許せばしばらく眺めていたかったが、今はその時ではない。事が落ち着けば、人をここに連れてくるだけでいい金儲けになるかもしれない。ただし昼間に動くのは避けた方がいい。ここの暑さは尋常ではない。
 エリオットは巨大なガラスの柱の陰に馬車を止めた。ここならまだ多少なりとも涼しさを感じられる。
「本当にここまででいいのか?」
「問題ない。ここからは歩くとしよう」客車からボーデンが飛び降り、アイリーンが後に続く。
「道はわかるのか?」とエリオット。
「心配することはない。道は帝都の連中と盗掘団が踏み固めている事だろう。アイリーンに任せば無事導いてくれる」
 エリオットの読み通り、ボーデンが求める品は博物館地下に集められていた。もっとも重要な起動鍵の一角をなすメダリオンとボーデンの片手刀トモ・ヒロシゲ一対は、ボーデンが持ち前の力を行使することで、拍子抜けなほど簡単に持ち出すことができた。ボーデンに操られた騎士や博物館の職員は、彼女の求めによりその場まで案内し、自ら求められた物品を手渡したという。
 実際、それよりも遥かに手間がかかったのは彼女のための装備を揃えることだった。彼女が身に着けていた当時の武具は、石化、解呪を経て使用に耐えないほどに劣化していた。
 並みの装備ならエリオットでもすぐに集めることができるが、高位魔導士が扱うその力に耐える装束一式となれば全く話は変わってくる。本来なら旧市街のそれなりの店に出向き、彼女のためにあつらえてもらう必要があるが、今回はそのような余裕はない。
 アイリーンのローズならいい物を持っているのではないかという言葉と、ボーデンのあの女の居場所がわかるなら案内せいという要請を受け、エリオットはまたもや簡単な連絡のみでローズと会うこととなった。
 エリオットとしては緊張の絶えない一時であったが、ローズはボーデンとの再会を喜び武具の貸し出しを快く承諾した。ローズもボーデン達の空中庭園を空から落とすという大胆極まりない計画に興味を示したが、立場上帝都を離れることはできず、計画達成後の土産話で我慢することにした。ただし今回は二百年後ではなく、可能な限り早急に戻り帝都へ魔道着一式を返還することを条件とした。
「わかった。それじゃ、俺はバダの村に戻ることにする」
「今夜中に片付くとは思うが、もし二日経っても連絡がないようなら、さっさと帝都に引き上げろ。帝都の空に見慣れぬものが現れたら仲間と共に逃げるとよい。そなたがあれに関わることはない」
「そうならないように祈っとくよ」
「そなたに祈る神などおったのか?」
「そういえば、いねぇな。まぁ、がんばってくれ」
 エリオットは軽く手を振り馬車で去っていった。二人はしばらく去ってゆく馬車を眺めていた。そしてそれが砂漠の砂に紛れた頃ようやく動き出した。
「そろそろ、わたしたちも発とうとしよう。だが、その前にアイリーンお前の血を少し分けてもらえないか。この刀の切っ先に塗りつけてほしい」
 ボーデンは腰の左側に掛けられた片刃刀を鞘から取り出しアイリーンに手渡した。受け取ったアイリーンは刃先に人差し指を滑らせる。切れた指先から血が流れ出し刃先赤く染める。刃が一部赤く染まった刀をアイリーンはボーデンの手に戻した。
「お母様、どういうお考えかはわかりませんが、これは人にとっては非常に危険なものです。それはお母様のようなお方であっても同様です。扱いには十分お気を付けてください」
「わかっておる。あの要塞をブロック共々葬るのはアイリーンお前の力が必要なのだ。お前の力期待しておるぞ」ボーデンは娘に微笑みかけた。
 ガラスの森を歩くこと一刻ほどで、ブロックの地下に埋没した研究所を発見した。ガラスの森の只中に現れたゆるい球面を持つ石造りの建造物。その建造物の中央部には歪な突起物が見られた。近づいてみるとそれは地上からの出入り口の残骸とわかった。その内部は少し砂に埋まってはいるが、下に向かう階段が見える。
「この先がブロックの研究所、そして空中庭園……」
「そうだ。ここからは先に話した通りに頼むぞ」
「はい。お母様がそれでよいのなら」
「もちろんだ。事が済めば楽園再建についてゆっくり考えることとしよう」
 ランタンの光に浮かぶ研究所内部は荒れ果てていたが、それはボーデンの記憶にあるものではなく、ごく最近に行われた行為に思われた。エリオットの言っていたようにブロックの傀儡となった盗掘団が荒らしまわったに違いない。なくなっている物は帝都の関係者が持ち去ったのだろう。あれほどの惨事が起こった現場が今なお荒らされている。それを目の当たりにするのはボーデンとしても耐え難い事だった。ここへと逃れた者達を苦難とその先の悲劇を思えば尚更である。世間ではおよそ二百年経っているといっても、その間眠りについていた彼女にとっては僅か二カ月前しか経っていない。
 空中庭園へと至る転送器は問題なく稼働しており、施設内の目玉はボーデンの姿をなめまわすように観察をしていた。これにより空中庭園へのボーデン侵入の報がそれに接続するブロックにも伝えられたことだろう。
 空中庭園に降り立つと歓迎のつもりか足元が見える程度の照明が灯されていた。空中庭園内部は降り積もった埃が盗賊団の足跡などで荒れてはいたが、それ以外は変わりはないように思えた。ただ、時が経っただけだ。しかし、ブロックがいる中央制御室前は違った。施錠しておいたはずの大扉は解放され、脱出時に並べ直した甲冑人形はバラバラになっていた。大方、忍びこんだ盗掘団が甲冑人形の対処に困り力技で突破したのだろうボーデンは理解した。
 中央制御室はあの日と変わらず、ボーデンの心を揺さぶった。異形の神を祭る神殿に相応しい。床には生贄の死体が並べられ、壁には聖像の如く埃まみれのモーテン・ブロックが貼り付けられている。その表情は落ちつき眠っているようだ。床には指輪やネックレスなどの装飾品、贅を凝らした武具が一か所に集められ山となっている。盗掘団の連中が亡骸を物色し、集めはしたが持ち帰ることはかなわなかった宝物だ。
「わかっているぞ。寝たふりはやめたらどうだ」ボーデンはしきりに彼女の中を覗こうとするブロックに声を掛けた。
「はっはっは、二百年待っていたんだ。少しぐらいはふざけてもいいだろう」ブロックの意識がボーデンし直接語りかけて来た。しかし、壁の男は表情を変えることはない。「お前も長い間寝ていたようだが、何をしに来た?」
「それはわかっているだろう。決着をつけにきた」
 ボーデンは芝居がかった手付きで懐からメダリオンを取りだした。そして、それをブロックに見えるように掲げた。そこに描かれているのはイングウェイ三世の肖像画、裏面には迷路を思わせる複雑な文様が彫り込まれている。手のひらサイズの金属盤だ。
「これが欲しかったのだろう。持って来てやったぞ」
 室内をふらふらと歩きまわりボーデンはブロックの足元にある祭壇の前で足を止めた。石板上に多くの文字が刻みこまれていることから、それは墓碑といった方が適切かもしれない。
「海に捨ててしまえという声もあったが、その前にもう一度お前に会いたくてな」
 盤上に円形の浅い穴が三つ、二つはメダリオンが既に填められている。ボーデンは空いている穴にメダリオンをはめ込んだ。
 メダリオンに描かれた肖像画が輝き、その上方に魔紋様が浮かび激しく回転を始める。それに呼応し床と壁が発光する。室内が唸りに包まれ、光は淡い燐光から強い白色光へ、目もくらむ光が落ち着くとボーデンは天空の只中にいた。
 床に浮かび上がった魔法陣の下に見えるのは闇に包まれた大地。雲間で輝く稲光が見えるがそれは遥か下方での出来事。ここは生き物が宿る大地が球形であることを感じることができるほどの天空の果てだ。ボーデンも戯れに雲の上まで昇ったことはあるが、この高さには遥かに及ばない。壁面からは陽光に輝く広大な地平線、そしてその向こう側に漆黒の夜空が見て取れる。これらがこの浮遊要塞を空中庭園と呼ぶ所以となっている。
「これはこまったな。事が終われば飛び降りて帰るつもりだったが、すこし高すぎるようだ」
「何が不満だ。俺から空中庭園の制御を奪ったのはお前だろう。そのせいで今ではこんな空の果てだ」
 空中庭園が再起動したことにより、モーテン・ブロックが生気を取り戻した。意識に語りかけるのではなく、喉から発する肉声である。ブロックの背中に接続された要塞の体組織も活性化を始める。グロテスクな彫刻から脈打つ血管や筋組織へと姿を変える。長きに渡り要塞の生体機関と同化していたためブロックの皮膚は濃い緑に黄色の斑点という病的な色合いだが、およそ二百年ぶりに壁から剥がれ床に降り立った姿に衰えは見られない。
「まぁ、いいだろう。お前が相手をするのはこの浮遊要塞、空中庭園そのものだ」
 床に纏められた宝物の山が動き、下敷きになっていた剣が一振りブロックに向かい飛び出した。彼はそれを宙で受け止め、はずみで転がり出した指輪をボーデンの傍まで蹴り飛ばした。
「それを踏まえてかかってこい」
「お前こそ、わたしが何者か忘れていないか」
 ボーデンは大仰に芝居がかった構えを取るブロックに対し、微笑みかけ腰の鞘から左右の片刃刀を引き抜いた。
 魔導師同士の戦いといえども、終始互いに魔法を放ちあうわけではない、至近距離となれば詠唱が必要な魔法より剣術、格闘術などが必要となる。この場合がそれに当たる。
 ボーデンを知るものは彼女とブロックの立ち合いに違和感を感じたかも知れないが、とりあえずは多数の者は彼女が優勢なのではと見たのではないだろうか。
 漆黒の刀身を持つトモ・ヒロシゲの斬撃は、経年劣化が著しいブロックの魔導装束をたちまち破壊した。上半身裸となったブロックに容赦なくボーデンの二振りの黒い刃が斬りつける。切り裂かれたブロックの皮膚から血飛沫が舞い散り、その帰り血はボーデンが浴びる直前で、彼女の防御壁に触れ燃え上がる。星の上空で行われる鮮血の花火祭り。
 絶え間ない斬撃を受けブロックは極めて劣勢に見えた。しかし、空中庭園の加護は大きく彼の受けた傷を瞬時に修復した。噴き出す血を固め、裂けた皮膚を張り合わせる。腕、胸、腹、そして首筋であっても同じことである。
 やがて、回復量に勝るブロックに押されたのか、ボーデンの手数が目に見えて減少してきた。そして、ブロックを傷つけることなく、彼の剣撃を片刃刀で受け止めるのことが多くなってきた。それに気が付いたブロックは勢いづき、防御を捨てボーデンとの間を詰めた。要塞の加護があれば斬撃などものの数ではない。
 ブロックの勢いに押されたのか、ボーデンは後ろに一歩引き、その折床に流れたブロックの血に足を取られ僅かによろけた。その隙を捕らえブロックはボーデンに向かい斬撃をを放った。それは渾身の一撃となり、彼女を魔道着諸共、右肩口から左腰まで袈裟掛けで切り裂いた。つかの間、放心状態でブロックを見つめていたボーデンは膝から崩れ落ち、うつ伏せに倒れ動かなくなった。
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