第3話

文字数 3,390文字

 以前は寺院だったそうだが、今は聖地巡礼のためにやって来る信徒と、たまに迷い込んでくる旅人を支えるための宿として開業しているとのことだった。城壁は人ではなく砂から建物を守るため建てられた。建物は長い間に渡って増築され続け、今の姿に至ったという。宿の中は外よりひんやりとしており砂嵐のこともあり、価格も帝都新市街とさほど変わらないため、二部屋取り全員でこちらに移動をすることにした。宿の主人からは水や食事も出せるのでその時は申して出て欲しいとのことだ。食料の持ち込みは自由で、自炊のための炊事場もあるが薪は有料である。ゴトーは水と食料はこちらで持ち込むことを伝えておいた。

 水や食料を含めた荷物を運び終えた辺りで空が暗くなり始めた。砂粒は城壁の上を飛び反対側へと去っていく。いくらかは上空から降って来るが、直接砂の流れにさらされることがないため眼も呼吸もいくらか楽である。砂を玄関口で払い荷物を奥の客室へと運び込む。大きな荷物は大柄な使用人が運ぶのを手伝ってくれた。
「悪くないですね」
「これで十分よ」
 これがピリシキ、ウィルマン二人の女性が部屋の目にした時の反応だ。輸送機の硬い椅子ではなく小綺麗な寝台で眠ることができるからだ。水入れと洗面器が置いてあることに歓喜する。手と顔を洗い、足が拭ける、居留地を出ると水を確保することが大変になる。そのため、これだけのが皆喜びの対象となる。

 砂嵐が本格的になり、宿の方から外出を禁じられた。扉は閂と鎖により閉じられた。安全のため城壁の外へは出られないが、内部の建物はすべて通路により繋がっているため移動に問題ないとのことだった。

 帝都ならば皆お気に入りの場所や過ごし方があるのだが、ここは砂漠の宿で勝手も違う。通常は帝都につけば全員担当業務が違うため散開となる事が多い。全員が同じ宿にいる珍しい機会で、最初は盛り上がったもののさほどかからぬうちに手持無沙汰となり、まだ早めながら消灯となった。

 部屋の明かりは消されたが、ゴトーは眠れずにいた。明日の事を考えれば、強制的に睡眠モードに入る方がよいのはわかっている。指定の時間までぐっすりと眠り、脳を含む残っている生体器官を休ませるのだ。常に外部の状況はモニターしているため、何かあれば速やかに目覚めることもできる。今夜はそれはあまり使いたくはない。あっさりと眠る気にはなれない。寝台から起き上がり両隣の寝台に目をやる。シベリウスとクォハラはしっかりと眠りについているようだ。
「ちょっと外を見てくる。心配しないでくれ」
 ゴトーは部屋の入り口に置かれたランタンに灯をつけ、それを手に外へ出た。この建物群の探検をしてみたい、その欲求には勝てなかった。

 廊下に出て傍の階段を下りて受付前へと出た。壁のランプは点されているが受付には誰もいなかった。置かれた呼鈴を叩けば係が出てくるかもしれないが、案内係が必要なわけではない。宿は建物群の右端付近に位置している。ここより右にあるのは炊事場のみと聞いている。左側に位置している建物群に入るにはと考えていると、入り口の扉に並んで奥にもう一つ扉が見つかった。

 試しにそちらを開けてみる。ランタンの光に左側に向かう通路が浮かんだ。ゴトーはランタンを手に先に進んでみた。すぐに行き止まりとなり通路は左右に別れた。薄黄色い光に照らされる通路の両側には扉が並んでいた。右側に進み試しに二、三カ所開けてみるとランタンの明かりに映し出されたのは油の樽と薪、棚に収められた雑多な生活物資だった。他の部屋は塩や調味料他の食料品倉庫として使われていた。ここに置いておけば必要な物はすぐに調達できるだろう。通路端まで歩くと扉が見つかった。

 扉を開けるとそこからは屋外になっていた。風が吹きつけ砂が舞う。各建物は通路で繋がっている聞いていたが、すべてに屋根があるわけではないようだ。

 目の前に見えている建物のひさしの下に走って逃げこむ。かなり大きく横に長い建物だ。風向きの加減か、そこには砂はあまり入り込んでこない。壁には鎧戸と扉が交互に並んでいる。先には昇降口と見える階段がある。そうなるとこの大きなひさしは二階の通路のなのだろうか。ゴトーはひさしの外へと出た。吹き付ける砂粒に抗い、左手を目の前にかざし目を細め建物を見上げた。予想通り通路で二階にも鎧戸と扉が交互に並んでいる。三階、四階もありそうだ。構造から見て、ここは宿舎にでも使われていたのだろう。かなりの数の人が収容できそうだが、それを必要とした時期があったのだ。

 ぼんやり薄くなった月明かりに照らされ疾走する砂粒を眺めているうちに、ゴトーは雪を思い出した。こちらの世界に来る前は頻繁に目にしていたのだが、帝国領内では北東部高地に限られるため目にすることは少なくなってしまった。
 砂嵐をしばらく眺めた後ゴトーは出てきた扉から屋内へ戻った。軽く砂を払い中央のT字路を経て通路の反対側へと足を運んだ。こちらも行き止まりではなく扉が付いていた。扉を開け、目にしたのは短い通路とその先にあるもう一枚の扉、居留地内や探査船の実験室へ繋がるエアロックを思わせる。

 短い廊下を五歩で通過し扉を開ける。まず、ランタンの光に背の高い棚と通路が浮かび上がった。巻かれた羊皮紙が顔をのぞかせている棚には脚立が添えられている。不意に指を鳴らす音が室内に響き部屋全体が明るくなった。天井付近に光球がいくつも現れ浮かんでいる。ゴトーの世界ではどちらかと言えば不気味な存在だった火の玉だが、もう目に馴染み驚くこともなくなった。

「こんばんは、お散歩ですか?」

 棚の影から宿の主人が姿を現した。彼の背後の上空にも光球が浮かんでいる。

 居留地ではこれを羨ましく思った技術者が浮かぶ光球を模した球体の照明を作り出した。指による接触、音声や脳波による操作で浮かび点灯し、待機位置も自由に変更でき、ちゃんと後を追い先導もする。両手を自由にでき、指を鳴らし明かりをつけるという遊びもできる。さすがに召喚はできないが、それは仕方ないと割り切っている。帝国へと入り込んだ技術もあるが、魔法を着想に作られて物も多くある。

「ここは古い文書の保存庫となっております。ご覧になりますか」主人は棚を指差した。

「触ってもいいんだろうか」

「こちらの物なら害にはなりません」

 害が文書か自分に及ぶものかは不明だが、ゴトーは主人に促され棚に丸めて収められていた羊皮紙の一つを取り出した。

「では、こちらへ」

 案内された先には机があった。燭台もあるが光球のおかげで点す必要はない。机の上で羊皮紙を慎重に広げてみる。古い言語だが読むことはできる。内容はと見てみれば何のことはない、他の部署への発注書である。エールを入れるための新しい壺などのを要求している。紙ではないがゴトーもこのような文書はよく書く。 

「言葉はおわかりになるようですね」

「こっちに来て覚えたよ。時間もたっぷりとあったしね」

「そうですか。では、こちらはどうですか」

 主人は少し離れた棚に向かいそこから一つ取り出しゴトーに手渡した。

 今度は旅行記の一部か。道中の熱さを避けるため夜に移動したことや手に入れた干物が口に合わず困ったことが書かれている。ゴトーは軽く噴き出した。彼らもこちらに随分慣れたが、いまだに口に合わない物はいくらかある。元の世界でも旅行でも口に合わない食べ物に遭うのは珍しことではなかった。

「面白い。他にはどんなものがあるんだろうか」

 何通かの文書に目を通した。紙とインクを手に入れることができるならば、それなりの身分は有しての事だろうが、悩みや思いは共感できることが多いことがわかった。

 そこを出るとまた屋外となっていた。足元が砂に少し埋もれた建物のそばを通った。城壁の外からも目に入った細く背の高い建物で四階はあったと思う。内部の急な石造りの階段が見て取れる。

「その建物は以前は鐘楼として使われていました」主人は建物へ目をやった。「今は足元も暗く風も強い。登るのはやめておきましょう」

 こちらの考えはお見通しのようだ。
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