第8話

文字数 4,895文字

 優しい風がフレアの背後から流れ、彼女はそちらに目をやった。スレッティーの手元に優美な両手棍が現れていた。柄は瑞々しい木の葉を思わせる深緑で両端は大樹の枝葉を意匠とした金細工で覆われている。
「神槌マサカキです。この状況においてもわたしの手元に来てくれました。わたしもまだ諦めたくはありません。フレアさん、この扉自体はごくありきたりの品ですよね」
「確信はないですが、たぶん……」
「要は相手の身体に攻撃が届けばいいんですよね」
「えぇ……」と応じるが自信はない。
「ローズさんが相手なら躊躇しますが、これは動くことのない扉で稽古用の木人と変わらないはずです」
「でも、それは扉に当たればの話でしょ」とオーラ。
「もちろんそうよ」スレッティーは扉に正対し両手棍を構える。 眼差しが戦士のそれに代わっている。
「二人とも後ろに離れておいて、当たるとただでは済まないわ」
 両手棍の初撃は鍵の少し上に打ち込まれた。激しい激突音と同時に屋敷が揺れた。
「何っ?」オーラは周囲を見回した。
「効いているんですよ。彼女の棍棒が……」フレアは僅かに頬を引きつらせた。
「神槌マサカキに砕けぬ物無し」スレッティーは笑みを浮かべた。口角が上がり犬歯が大きく覗く酷薄な笑みだ。
「マサカキはいかなる防壁も貫き通す。これを譲り受けた時、わたしには持て余す存在と思った事もあるけど……彼との出会いはこの時にあったのかもしれない。ローズさんに効くのなら、効かないものの方が少ないはず。扉の一枚や二枚ぶち破って見せます」
 スレッティーは手元で両手棍を一回転させ扉に打ち込んだ。続けて一撃、更に一撃と続けざまに打ち込んでいく。扉には打撃痕が残り光沢のある塗装は剥がれ、木っ端が弾けて舞う。屋敷もスレッティーの打撃に身震いするように屋敷が大きく揺れる。フレアはオーラを守るように抱き床に膝を付けた。ついには鍵が破壊され扉は内側に開いた。
「何事だ!」
 叫びを上げ駆けつけてきたのはアンドレだった。廊下の先にある居室から飛び出し、隣からは妻のフランセルが這い出てくる。他にもヨアキムやマイケルも外へ出て来た。
「その扉が開いたのか……」アンドレが目を見開き、慎重に一歩ずつ近づいてくる。
「はい……」スレッティーはマサカキを抱えたまま答えた。まだ屋敷の動きに油断できず辺りを窺っている。
 開いた扉から見えるのは月明かりに照らされた薄暗い部屋だ。流れてくる湿り気を帯びた空気は埃っぽい匂いを纏っている。住人達が長く嗅いでいない匂いだ。
「外なのか。この先は外に繋がっているのか」扉の傍からアンドレが警戒しつつ室内を覗き込む。他の家族とフレア達もその後ろから様子を窺う。
 そうしているうちに使用人と客人たちが集まり始めた。家人達がやって来た者たちに現在の状況を伝える。
「中に入ってみるか」とアンドレ。
「そうですね。でも慎重に……」アンドレの言葉にスレッティーが答える。まだ、マサカキは戻さない。
「何がある……」
「誰かが椅子に座っています」とスレッティー。
「あぁ……」
 スレッティーとアンドレが室内へと歩を進めていく。
「その近くにうつ伏せで倒れている人がいます。残念ながらお二人とも亡くなって長く経つようです」
 誰の目にもそれは確認できた。二人ともぼろを纏った骸骨と化している。すべてが黴に喰われ酷く変色している。
「母さんなのか。やはりここにいたのか」アンドレの悲痛な声が響く。
「ジャニス……」背後でヨアキムの喉奥から絞り出たような声が聞こえた。
 アンドレの言葉を聞いた家族や使用人達が動揺し悲鳴を上げる。客人たちも表情を歪める。
「待ってください」
 二人の亡骸を確かめようと歩き出したアンドレをフレアが止めた。椅子の遺体が動いたように見えた。衣服はぼろぼろに傷んではいるが魔導着に見える。膝に置いているのは白い柄の頭部に赤く巨大な石が取りつけられた錫杖だ。ぼんやりと光を帯びた頭部の赤い石は次第にその輝きを増していった。魔導着の骸骨が動き出し、両手を杖に添えた。それは骨だけになった両手の指で杖を握りしめ椅子から立ち上がる。白い錫杖から白い靄が噴き出し魔導着の骸骨を包み込む。骸骨はそれを吸い込み、純白の法衣を纏った魔人へと変化した。 その前垂れには赤い紋様が施され、遠目ならば聖職者に見まがういで立ちだ。だが、白地に赤で縁どられた頭巾の下から覗くのは白塗りの髑髏である。
「あれがこの屋敷を統べる精霊のようですね」とスレッティー。マサカキを構え二歩前に出る。
「フレアさん、後ろをお願いします。皆さんを守ってください」
 スレッティーがすかさず前に出る。
「……えぇ、……任せてください」フレアはスレッティーの後ろ姿に向かい頷いた。
 フレアはスレッティーに気圧され彼女の言葉に応じた。さすがに鍛え上げられた男達相手に立ち回りを演じた女だけの勢いがある。
「わたしはこちらの相手をします」スレッティーは棍棒の先を白い魔人へ向ける。
「杖同士相手にとって不足無し。スレッティー・レインホルツ行きます」
 言葉と同時にスレッティーは魔人の間合いへ突進した。接敵に際し、魔人からの突きが入るがそれを巧みにかわし、上段及び中段と連打する。人相手ならこれで決着は着いているだろうが相手は魔人だ。この程度では倒れない。相手によってはフレアのように損傷する傍から修復していくものもいる。
 スレッティーも破壊すべきは錫杖であることは承知している。骸骨は杖を動かすための道具に過ぎない。だが、精霊はその道具を実にうまく使っている。骨だけになった身体にかりそめの肉を付け加え動かしている。スレッティーの攻撃を魔人の身体で受け止め、杖への直撃を避けている。
 見た目では手数に勝るスレッティーに分があるように見えても、杖本体に入っている攻撃は僅かで決着までは時間がかかりそうだ。体力勝負になれば人であるスレッティーは勝負が伸びれば伸びるほど不利となる。フレアもその時に備えて、前面に飛び出す心づもりでいたが、この期に及んで新しい気配を感じ取っていた。何者か、それがどう動くつもりなのかわからなければ迂闊な反応は出来ない。
 スレッティーが攻めあぐねていた魔人の動きが突然鈍くなった。つんのめるように前によろけ、転倒を避けるために反射的に錫杖を床に着ける。スレッティーはその隙を逃さず、錫杖の頭部に連打を繰り返した。魔人は腕で防御を試みるが、素早く動くスレッティーに対処しきれない。
 本体への連続する直撃弾のためか、精霊は身体の操作もままならなくなってきた。最早、木人と化した白い錫杖にスレッティーはマサカキを打ち込み続け、最後に大きく振りかぶり左から錫杖を薙ぎ払った。
 錫杖の頭部が折れ、赤い石が右側に力なく飛んだ。宿っていた輝きは宙に飛んでいる間に消え失せ、床に落ちて転がり止まった。魔人は折れた錫杖を抱えたままうつ伏せで倒れた。白い靄を放ち元の骸骨へと戻って行く。それを搔き消すように強い寒風が室内に吹き荒れた。風は部屋の窓を全て開け放ち、夜の庭へと出て行った。
「終わった……の?」とスレッティー。マサカキを構えたまま周囲を窺う。
「えぇ、……」とフレア。油断なく室内の気配を窺う。
 問題はなさそうだ。
 皆が目の前にかざしていた手を降ろし、ゆっくりと部屋に入ってくる。
「あいつはもう動かないのか」とアンドレ。うつ伏せに倒れている骸骨を指差す。
 スレッティーの一撃か、倒れた衝撃のためかぼろを纏った骸骨は崩壊し、ばらけて散らばっている。
「はい、精霊が降りていた杖は壊れて、それは元の世界に去って行ったのでしょう。さっきの強い風がたぶんそれです」とフレア。
「開けた窓から見える外の景色も術式が解けた証拠だと思います」
 フレアは開け放たれた窓を手で示した。そこから見えるのは鏡写しの部屋ではなく夜の帳が降りたランス家の庭だ。
 フレアの言葉に歓声が上がり、まずムラキ達若者が窓に駆け寄り、それに家族や使用人が続く。外へ身を乗り出しても、室内へ戻されることもない。
「不意に魔人の動きが鈍ったのはなぜでしょう」スレッティーはマサカキを収めつつ倒れている骸骨に目をやった。
「杖が既に傷んでいたのでしょうか、あっ!」
 スレッティーは魔人と化した骸骨の足元へ駆け寄った。その足首を傍に倒れていた骸骨が両手で掴んでいる。
「このおかげであの時、魔人が動けなくなった?」
「それはジャニスだよ。……その服はジャニスが着ていた服だ……」ヨアキムが傍に立っていた。床に倒れた骸骨に見入っている。
「そう、やっぱり母さんだ。母さんはまだここにいたんだよ」アンドレもやって来た。
「ジャニスさんはついさっきまでここにいたという事ですね。そして、わたしを助けて下さった」
 スレッティーはジャニスの遺体の傍で跪き深く祈りを捧げた。

 それから、窓から庭へ降りたムラキとマイケルはアクシェヒルへ救援を求め走っていった。
 以後の大騒ぎは帝都まで届いている。寮を無断で出たスレッティーは当初は退学を含む厳しい処分が検討されていたが、ランス家の件を解決したことと有力者からの口添えなどもあり、処分は一週間の謹慎で止め置かれた。ローズによれば、いずれ何らかの特務機関からの召喚があるのではないかとの見立てだ。その折には退学者では体裁がつかないために裁定の可能性もあると考えている。
「それじゃ、せっかく知り合えたのにこんな風に気楽に会うわけに行かなくなるわけですか」とスレッティー。
「そうかもしれませんね。これでも、ローズ様とわたしは帝都における要注意人物ですから」フレアは目の前に置かれた茶を一口飲んだ。
「わたしは問題ないですよね」とオーラ。
「えぇ、まぁ……」
「そんなわたしとフレアさんが会っているところに、偶然スレッティーがやって来るとかはだめなのかしら」
「それは……」
「ありえることでしょ」オーラが口角を上げる。
「まぁ、それはそうなった時に考えましょう」
 ここは旧市街の聖セプティック修道院のそばにあるカフェである。フレアはオーラからランス家から便りが届いたとの知らせを受けやって来た。オーラの隣にはスレッティーが座っている。
 各自の近況報告が終わると、オーラはランス家から届いた便りをテーブルに置き小声で読み上げる。
 オーラとマイケルの婚姻は解かれたが一家との便りは続いている。アンドレとヨアキム共に彼女をランス家の呪いに巻き込んだ責任を感じ、加えて解放されることになったことに感謝しているようだ。そして、よければこれからも交流を続けて欲しいと伝えている。
「アンドレさんたちは各自再出発を始めているようですね」とスレッティー。
「彼は近く自分の家族の元に戻られて、その後はヨアキムさんや他の使用人の方々に支えてもらいながらも、マイケルさんが跡目を引き継ぐ。ムラキさんはランス家の近くにある農場で働くことになって、他の客人の方も地元に戻られたか」
 手紙にはジャニスについても書かれている。
 ランス家ではジャニスは術式の発動直前に何かの発作に襲われ亡くなっていたのではないかと、調査にやって来た正教会関係者から説明を受けた。術式の準備に当たっていた魔導師にもそれによる悪影響が出た。
「ありふれた式でも少しの条件の違いで発現の仕方が大きく変わってくるとローズ様がおっしゃってましたね。常に冷静さが大切だとも」
「部屋にいたあの魔導師が式を履行している途中に傍にいたジャニスさんが倒れて、中断が入る。介抱しているうちには中途半端な形で術式が発動し、あの悲劇が起ったってところでしょうか」とスレッティー。
「でも、あんな空間が紡ぎだせるなんて、あの魔導師も十分に力はあったんですね」とオーラ。
「皮肉な偶然がより合わされて作り出された夢の世界ですか」とスレッティー。
 手紙の最後にマイケルの言葉として、自分は祖母が願ったような世界を魔法無しで作り上げてみたいと綴られていた。
「難しかも知れないけどやり遂げて欲しいですね」
 フレアの呟きにスレッティーとオーラも頷いた。
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