第4話

文字数 4,230文字

 貸し馬車に揺られ一刻、オ・ウィンたちはケレ司祭の実家オカゥ・ケレ司教の邸宅である到着した。旧市街西部のザツィットは競馬でばかり有名になってしまっているが、それは海辺の話であって少し北に行けば古くからの邸宅が並んでいる住宅地が広がっている。
 馬車はその一画を占めるゴーダー様式の邸宅の前に留まった。オ・ウィンは付近に以前目にしたことのある洗濯屋と薪の配達馬車を見かけた。それは密かな企みが予定通りに進んでいることを現している。オ・ウィンは僅かに口角を上げた。
 司祭が鳴らす玄関の呼び鈴に反応し使用人が扉を開け、一行は招き入れられた。使用人を先頭に司祭、そしてパリンシを挟んでオ・ウィンたちが続く。廊下は静かだが、道中にある閉ざされた扉の向こう側には多数の気配が感じられる。
 一行は突き当りの広間に通された。窓はなく壁、床、天井に朱色の天鵞絨いわゆるビロード地の織物が一面に張られている。照明は天井からのシャンデリアと壁に取り付けられた燭台だけとあって少し薄暗い。部屋の隅には緑色の組み紐が下がっている。奥には白い法衣に赤の前垂れを身に着けた年配の男が立ち、その両脇を四人の騎士が固めている。その背後の壁には鷺の横顔を模した紋章が描かれた旗が掲げられている。
「父上ただいま戻りました。こちらが魔導騎士団特化隊隊長フィル・オ・ウィン殿です」チェコサ・ケレ司祭は眼前の男に頭を下げ、そして背後のオ・ウィンを示した。「今後のため御足労願いました」
「よくやったチェサコ。お初にお目にかかるオ・ウィン殿。さっそく……」
「ああぁ……」プリイシ・パリンシが声を上げた。
「どうしたパリンシ?」オ・ウィンが静かに尋ねた。
「俺が見たのはあれだよ、あの鳥の絵だよ。首の長い鳥の絵」 鷺の横顔が描かれた旗を指差す。
「本当か?」
「間違いない。取引の通訳に来た時見たことがある」パリンシは激しく首を縦に振った。
「これはどういう事でしょうか?ご説明願えますかオカゥ・ケレ司教」
 オ・ウィンが司教を見据え、エヴリーがパリンシに体を寄せた。
 司教は無言で口元を歪めパリンシを睨みつける。ケレ司祭は壁へと後ずさり、騎士たちは腰の剣に手を伸ばす。
「お答えを司教殿」
 オ・ウィンは前へ一歩でた。素手の子供の小さな一歩なのだが、騎士たちは一歩後ろへ下がる。司教は手にしていた錫杖をへし折らんばかりに勢いで床に叩きつける。
「ええぃ、やはり覚えておったか。余計な真似をしおって、そやつを取り押さえろ!」司教は口元から泡を吹きだし叫んだ。
 司教の号令に騎士たちは剣を抜き出し、パリンシに向かい素早く駆け出した。オ・ウィンの姿が消え、足元と朱色の壁が見えぬ力に煽られ激しく脈打ち剥がれ一部断裂した。騎士が命令通り行動できたのは一歩のみ、二歩目のつま先が床に触れる前に全員が壁へ床へと激しく打ち付けられ、手元から落ちた剣だけが床を跳ねまわり回転する。騎士たちは白目をむきだらしなく口を開き床に転がった。
「峰打ちだ。命まではとらん」
 司教の前に現れたオ・ウィンの手元にはユウナギが現れていた。それを目にしたケレ司祭は慌てて壁に退きはずみで後頭部を手ひどく殴打した。父のケレ司教は部屋の隅に走り、天井から下がった組み紐を狂ったように弾き始めた。屋敷内にけたたましい鐘の音が鳴り響く。
 ほどなく、閉ざされていた広間の扉が静かに開いた。つかのま笑みをうかべた司教だが、現れた者たちの姿を目にしてそれははかなく消えた。扉と共に案内係をかって出ていた使用人が部屋に倒れこみ、手にした剣が床に転がる。それらを跨ぎ越え白い法衣の三人組が広間へ足を踏み入れた。禿げ頭の小男とその両脇を固める優男。
「ケレ司教おやめなさい。そのような鐘を鳴らしても誰も駆けつけてはきませんぞ」
 正教会特別部部長リズィー・ストランド、帝都の嫌われ者を自認する男の登場である。
 司教はストランドの背後の光景にある目にして組み紐から手を離した。部屋に潜ませてあったはずの配下の騎士たちが廊下に転がっているの見て取れる。今廊下に立っているのは白い面と鎖帷子の集団。これは誰一人駆けつけてこぬこともストランドの言葉の証左となっている。
「よい部屋ですな」ストランドは赤い壁の部屋を見渡した。「これほどの障壁が施された部屋、我が特別部でも持ちたいものだ」
 床の敷き布の裂け目を足で探り中を見る。
「ここでなら通信も遮断することができる。商談を催すには最適の場所ですな。破損があるというのに未だ通信が安定しない。目を見張る水準ですな」
「明らかな法規違反だ」 とオ・ウィン。
 ストランドは司教を見据えた。
「内赦院司教の邸宅にこのような部屋があるとは思いもよらない。しかし、この部屋が見つかったところで正規の届け出すませばよいだけのこと。問題はこの中で何が行われていたかだ。これについてはそこのパリンシがいてくれなければどうなっていたことか」
 司教は体をパリンシに向け一歩踏み出したが、前に控えているオ・ウィンの姿に目にして後ろに引いた。
「パリンシはこの部屋での出来事を詳細に話してくれたが、行き来は目隠しをされていたため赤い部屋で首の長い鳥の絵が描かれた旗が飾られていた程度しかわからなかった。内偵である程度詰めることはできたが決め手に欠けていた。そこで今回の作戦の開始となった」
 オ・ウインが子供っぽい笑い声をあげた。
「パリンシはよく我慢し働いてくれたようだが、今回最も活躍してくれたのはあなたのご子息ですよ。ケレ司教」とストランド。
 司祭は皆の視線に身じろぎをした。中でも激しく反応したのは父親の怒りの眼差しである。
「まずはパリンシを逃がし、その身柄確保に手筈となった。自分たちが逃がしたのになぜ行方不明となってしまったのか不思議ではなかったケレ?なぜこちらが先に行方を掴むことができたのか」
 ケレ司祭はゆっくりと視線をストランドへ向けた。
「わからないか。それはパリンシが既にこちらの管理下にあったからだ。我々があそこで匿っていたのだ。初めから君は我らのために踊っていたんだ。君が内通者であることは警備隊からの報告で早くからわかっていた。君を同行させたのはさらに上を釣るためだ。君はオ・ウィンの振り付けによって完璧な踊り手を演じ、我らをここに導いてくれた」
 ストランドは薄っすらと微笑みを浮かべ芝居がかった手つきで両手を広げた。
「オ・ウィンの力の片鱗を感じ取ることはできたか?今回は小芝居などなく存分に力を発揮するよう依頼した。なかなか見られるものじゃないんだぞ」
「人を大道芸人扱いするんじゃない」とオ・ウィン。
「大道芸人、それはない。オ・ウィン、わたしは君のことを誰よりも買っているのだ。確かに朝聞いた話は思わず執務室で声を上げて笑いそうになった。わたしが内通者だという話だ。あぁ、これはケレ、君からの話だった」
 ストランドは司祭に目をやった。
「わたしが何か企むなら一番遠ざけるべきはオ・ウィン本人。まぁ、そうしたところですぐにかぎつけてやって来る。全く敵わない。どうにも誤解があるようなのでここで正しておこう。多くの者は力ある武具を手に入れ、その契約により超常の力を我が物とする。しかし、オ・ウィンは自らの力を以て、命を操る大太刀ユウナギに見初められた強者だ。稚児のような姿になってもなお刀が寄り添うのはそのためだ。この部屋は優れた魔法の遮蔽能力を持っていたが、オ・ウィンにとっては紙箱も同然、無残なものだよ。武具召喚の妨げにもならない」
 ストランドは頭を横に振りため息をついた。
「言ってしまえば、オ・ウィンが姿を現した時点で勝負は決まるのだ。相手にできることは頭を下げることだけだ。すべては余計で何もしない方がよかった。わたしとしてはケレ司教、聖職者が欲に駆られてつまらない取引自体しないで欲しかった」
 ストランドの合図に両脇の二人が前に出る。
「そろそろ行きましょうか。オカゥ・ケレ司教、覚悟はできていますか?」
 壁際で項垂れ、しばらく黙っていた司教はふっと顔を上げ走り出した。床に転がっている剣の一本を取り上げそのままオ・ウィンに切りかかった。剣が振り下ろされた時オ・ウィンは司教の背後にいた。司教はその場に倒れ、広間に沈黙が訪れた。息子のケレ司祭が絶叫し父親の元に駆け寄る。傍にしゃがみ込み、名を呼び体を何度も揺さぶる。しかし、司教が動くとはない。
「俺に殺されようと考えたか。殺してはせん。この御仁に自由な死など今はない。死は切り離しておいた。まだまだ聞かねばならんことは多くあるだろう。それを伏せて、転生の輪に戻るなど許されん」
 ケレ司祭が顔を上げ、オ・ウィンを見に目をやった。
「ケレ司祭、君にその感情が残っていたのなら、強欲に走った父上を諫めて欲しかったな。そうしていればこのようにはならなかったはずだ」とオ・ウィン。「今からでも遅くはないすべての真実を告げることだ。神の慈悲は必ずある。そうだろう?ストランド」
「わかった。検討しよう。神は悔い改める者の味方だ」

 しばらくして数人の聖職者が役職を辞したことが報道され姿を消した。しかい、その詳細が伝えられることはなかった。
「ストランド部長は禁制品摘発を完遂されたようですね」
「辛い部分もあっただろうが、冷徹なほど公平といわれている男だ。やり遂げたな。悪い奴ではないんだが、もう少しあの不遜な態度を抑えてほしいものだ。今更無理だろうけどな」
 事件はケレ親子とパリンシの証言で大いに進展し、逮捕者は相応の罰を受け、ケレ親子は贖罪の機会を得た。パリンシは帝都から追放となった。ストランドは彼に帝都で次の出会いないことを誓わせ、故郷までの船賃を渡したという。
「もうその話はやめにして、ストランドの使いが持ってきた菓子を食おう」
 オ・ウィンの机の上には小皿に切り分けられた焼き菓子が二切れ乗っている。その対面にはエヴリーの皿がある。
「西方の菓子らしい。卵と牛乳、砂糖に小麦粉それだけでできるらしい」
「フルーツとかは入ってないんですね」
「何でも入れればいいわけではない。単純なのがいいんだよ。それがいいんだが、案外難しい」
 オ・ウィンは茶を両手取り上げ飲み下した。甘い菓子によく合う苦さである。
 
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