第3話

文字数 3,949文字

 コワル金融の社長と共に記されていた署名の人物、猿探しの依頼人ウジキスト・オ・ポストの住居は速やかに判明した。帝都内に入りこんだローズの情報網は伊達ではない。といっても先方としては住所録を繰るだけの事だっただろう。教えられたのはメープル通りの一角を占める一軒家でこの辺りに並ぶ住居に倣って庭は狭い。

 猿の発見は先を越され、ローズの捜索への興味は薄れた。猿をわざわざ奪ってまで手に入れる気はない。場所は近く時間もあったため猿の顔を見るためだけにここまでやって来た。裏口から侵入し薄暗い厨房へ入る。当然ごとく人気はない。調理台は片付けられかまどの火も落とされている。皆寝静まっているようで余計な気は使わずに猿の元に辿り着けそうだ。

 厨房を出て廊下へフレアは前方を指差した。

「人じゃない何かがいます」

「猿だといいんだけど」音が漏れないようイヤリングで話す。

「この匂いなら獣であることは確かです」

「期待できそうね」

 廊下に出てすぐの左側の扉に手を掛けフレアはゆっくりと開き、その隙間から部屋に滑り込む。中ではローズにもわかるほどの獣の匂いが漂っていた。部屋にあるのはソファーが二脚のみで極端に片側に寄せられている。開いた空間がローズの腰丈ほどの錬鉄の柵で囲まれている。柵には「パーシー」と書かれた立派な表札が付けられている。その床の中央に優に一抱えはあろう大きさの茶色い毛玉が広がっていた。

「何ですかこれは?」フレアが柵の傍から覗き込む。

「パーシーよ」

「それはわかってます」

「この世の生き物なのは確かだけど、羊、ヤギ……犬ねたぶん」

「犬ってもっとすっとしてませんか。これじゃまるで毛玉ですよ」

「毛の間から出ている足や顔を見なさい。あれは犬のものよ」

「言われてみればそうですが、これを飼うなんて変わってますね」

「あの猿を欲しがるようならお似合いよ。目的は猿よ行きましょう」 

 部屋の扉が触れないまま開き、二人は廊下へと出た。
 
 これより二人は別れて行動することにした。フレアはそのまま一階の見て回ることに、ローズは目についた階段を上り二階へと向かう。ローズは途中の小さな踊り場で小柄な中年女が壁にもたれ眠り込んでいるのを発見した。砂色のガウンを身に着け帽子をかぶっている。

 少し意識を覗くと、彼女は寝室は二階で尿意で目覚め一階に降りた。その帰りここで眠り込んでしまったようだ。女の体調を気に掛ける義理もないが、ローズは彼女を抱え上げ寝室まで連れていくことにした。猿について問いかけると、ここには来ないとのこと。彼女としては飼うのはパーシーだけで十分で、猿に興味を持っているのは夫のウジキストのようだ。そのウジキストも猿は郊外に住む弟宅に預けるつもりでいる。

 フレアは廊下を挟んでほぼ向かい側の部屋に入ってみた。そこも広間で家具から見て応接間と見られた。置かれているソファーやテーブルはさっきの犬間より遥かに上質だ。ここでもパーシーの匂いはするが微弱でたまに遊びに来る程度だろう。猿が潜んでいるようには思えないが、全く別の気配が感じられる。窓側の右カーテンの傍の壁に何かが隠れている。人が隠れ蓑を使っているわけではない。別の何か。フレアは素早くテーブルまで近づき、その上に置かれていた金属製の灰皿を気配に向かい投げつけた。

 灰皿は壁でただ跳ね返ることわけではなく、一瞬受け止められてから壁から落ちた。一度壁に張り付き剥がれたようにも見える。僅かに壁が波打ち。そこから銀色の蛇を思わせる触手が三本伸び出した。太さは指ほどで弧を描き触手がフレアの胸元へ向かう。触手の先端は丸いが人の体を貫く力と速度は持っている。フレアは並んで飛ぶ触手を僅かな動きで交わし、右前腕を叩きつけ軌道を変えた。これができるのもフレアに人を遥かに超える動体視力と身体能力があってこそである。

 弾かれた触手は壁に戻り、次の触手が飛び出してきた。今回は左側から低い軌道で迫ってきたが足で蹴り飛ばし軌道を変える。 

「化け物が巣食ってる?」

 いくらウジキストが変わった動物が好きでも、壁にいるのは明らかに好戦的な魔物で興味本位で召喚する対象ではない。では、どこから入り込んだんか。家人たちは知らないのか?
 深く考える暇もなく触手が襲ってくる。まるでそれ自体に目がついているようにフレアの後を追う。フレアが負傷しないのは彼女の速さが僅かに上回っているからだ。飛び交う触手を弾き飛ばしつつ徐々に間合いを詰めていく。一気に拳を叩きこめる位置まで接近し、フレアは渾身の力を込め壁を殴りつけた。壁が銀色に代わり大きく波立つ、波紋はフレアを囲むように広がり津波のように盛り上がる。立ち上がった大津波がフレアを囲み動きを一瞬止めた。これは終わりではなく始まりだ。意識のどこかから警告が飛んできた。フレアはそれに従い床を蹴りつけ後方へ飛びのく。僅かに遅れて津波がフレアが今までいた空間を押しつぶした。

「そこまで!」

 着地と同時にフレアは脚の自由が利かなくなり跪くほかなくなった。隣には蒼い瞳以外真っ白の女が立っていた。アイラ・ホワイトことリズィア・ボーデンだ。壁から銀色の人型が現れ真っ赤な身なりの女に変わった。娘のアイリーン、この化け物娘を御する力を持つなら自分の足の自由など簡単に奪うことができるだろう。フレアは妙な納得をした。限りなく尊大な二人だが、なぜかエリオットのいうことは素直に聞く、馬鹿正直なほどに。

「殺しはなし、眠らせるだけといってたでしょ」

「でも、先にあの女が手を出してきたんですよ。お母様」

「先に手を出してきてもといってなかった?」

「化け物呼ばわりもするし」アイリーンがフレアを睨みつける。

「壁に成りすまして触手伸ばしてたら十分化け物でしょ」とフレア。 

「フレア、あなたもおとなしくして」扉が開きそこにローズがいた。「ボーデン、その娘の拘束を解いて」

 脚の自由が戻りフレアはようやく立ち上がることができた。早々にホワイトの傍から遠ざかる。

「まさか、瑠璃姫様も猿探し?」とローズ。

「あれはわたしの猿だ」

「どういうこと?……まぁ、いいわ。一度ここを出ましょう。また誰か起きてくるといけないし」

「猿はいいんですか?」 フレアが問いかける。

「猿はここにはいないわ」

 屋敷から出て猿の捜索は打ち切りとなった。猿のコーディーは囚われの身ながらも無事が確認されたためである。そして主人二人には眠る時間が必要だ。

 
 夜が明けて、雑事を済ませた後フレアは一人でホワイトの元に向かった。いつもはすっかり夜になってから倉庫街に訪れるため通りに人気はないが、今は朝とあって通りは荷車や台車、港へ向かうつなぎ姿の作業員が行きかっている。

 ホワイトの倉庫前に到着したフレアは正面の大扉横にある通用口を数度軽く叩いた。

「よく来たな、開いてる。自由に入るといい」

 ホワイトの声が意識内に入ってきた。既に彼女の手の中にいるということだ。いとも簡単に入り意識中に入り込んでくる。

「お邪魔します」

 声を掛け倉庫内に入り周囲を見回す。中は明るいが人気はない。

「今日は作業はお休みだ。職人たちは日当を保証して帰ってもらった」

「そうですか」

 考えは筒抜けのようだ。

 人がいないとなれば余計に注意をしなければならない。この倉庫は塔と同程度の罠満載の砦と化している。まず、盗みなどの犯罪目的で侵入しようとする者は入り口でその目的を失念し、来た道を戻っていくことになる。それを退ける力がある者は倉庫内に散りばめられた罠魔法が対応することになる。それにも対処できる者にはホワイトとアイリーンが待ち構えている。そして、最終的には文字通り取って食われることになる。

 寄り道をせずホワイトが住居として使っている倉庫端の元詰所へと向かう。家具をゆっくりと見てみたいが、今は用事の方が先である。階段を上り二階の居間の前に到着すると扉のノブに手を掛けるより先に扉が開いた。

「家具はまだ修理中なのだ。完成すれば楽園に招待するゆえ、その折に存分にみるとよい」

「ありがとうございます」

 やはり筒抜けである。この二人をローズ無しの一人で相手するのは気が進まないが仕方ない。

「座ってくれ。ローズはどう言っていた?」

「ローズ様によると、オ・ポスト氏は夫人と共に白い猿の元気な姿を目にしているようです」

「それは知っている。オ・ポストはわたしのコーディーに興味を持ち金貸しを通じ探させた。お前たちがあの屋敷を訪ねたのもそのためだろう。昨夜はいなかったが来る場所はわかっているのだ。後で連れ出せばよい」

「コーディーはあそこにはいかないと思います」

「どういうことだ?」

「奥さんが賛同していないんです。奥さんは犬のパーシーだけで十分でいくら珍しくても猿はいらないんです」

「では、どうするつもりだと」

「郊外の弟さんの元に預けるようです」

「なるほど、だが、どうしてそこまで知っている?」

「奥さんから聞いたようです。階段の踊り場で寝ているのを見つけて連れ帰る途中で聞いたようです。転んでもただでは起きない方です」

「あの女か」

「トイレの帰りに見つかって眠らせ放置した、ですよね。その時に聞けばよかったんですよ。少し雑でしたね」

「おい、待て。雑とは何だ雑とは」 とアイリーン。

「落ち着けアイリーン、あの時はお前たちをやり過ごすために隠れたからな。フレア、お前そこまで言うならコーディーの所在掴んでおろうな?」

「はい、奥さんはここから遠くない倉庫でコーディーを見ています。まだそこかと」

「では、案内せい」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み