第4話

文字数 2,497文字

 ローズの塔が建てられ、その周辺が新市街と呼ばれるようになって二百年ほどが経つ。その間、彼女は目立った支配力を行使したことはない。ローズの多数ある趣味の中で最大の物は新市街の育成である。ローズは新市街を自分の箱庭であるかのように、俯瞰的に眺め、そして中に入り観察する。必要な物を与え、害を加える者は排除する。以前、その対象となっていたのはローズの同族、もしくは他の呪われた存在だったのだが、今は多くの人々を巻き込む詐欺師や、インチキ業者となっている。

 ローズが観劇など外出の際、空を飛ばずフレアと共に馬車で向かうのも街をゆっくりと眺めたいためである。帝都当局も上空の飛行は原則禁止としているが、そんなものを彼女が気にすることはない。帝都がやることなど遺憾の意を表す文書を送りつけてくるぐらいが関の山なのだ。


 今夜の外出にローズは準備に余念がない。
 もっとも、その準備をするのはフレアである。服装を整え、髪をとかし、紅をさす。その間ローズはじっと立っているだけである。

 準備が整うと外出の時間である。彼女は気が向くとベランダから玄関先へと飛び降りることがある。今夜はその気分のようでフレアを肩に担ぎあげ、ベランダへと向かう。

「わたしは階段で下りますから、おかまいない」

 フレアの言葉を無視し、ローズはベランダから飛び出す。最初は自由落下、三階ほどの高さで急減速し、後は木の葉のように舞い降りる。直下の通りへ派手に舞い降りたローズを目にした酔客達は、彼女に手を振り声を掛ける。ローズが鷹揚に対応している間に、フレアは玄関脇の車庫から馬車を出す。

「時間はどうかしら?間に合いそう」客車に乗り込んだローズが尋ねた。

「上演前にお友達の方とお話しする時間は十分に取れると思います」

 馬車は旧市街の帝国歌劇場に向かい西へ、その中間地点である新旧市街を隔てるガ・マレ運河へ差し掛かった。運河を挟む工房地区の人気は夜は極端に減少する。そのためここは要警戒地区となっている。もっともローズの馬車を襲う輩はまずいないのだが、今夜は違った。

 馬車が運河の手前に差し掛かると、物陰から武装した一団が飛び出し馬車を取り囲んだ。

 背中に手書きの紋章が描かれた揃いのローブを身に付けた四人の集団。その装備は貧弱だが、手にした剣に銀が使われており、襲撃の対象は明らかにローズ達だ。

 無敵と思われているローズもたまに狙われることはある。以前は同族が多かったが、今はもっぱら人間が相手である。ローズが戯れに叩きつぶしたインチキ業者の残党である場合もたまにある。主犯格は帝都の手に落ち裁きを受けることになるが、残された者たちは金をめぐって仲間割れを始める。大概は泣き寝入りで落ち着くのだが、中には逆恨みを爆発させ、ローズに襲いかかってくる者がいる。

 そういう連中は外部の殺し屋を使うことが多いため、その意識を操り返り討ちにするようにしている。多額の金を掛けて雇われた殺し屋は依頼者を殺害した後、速やかに帝都から逃走し、二度と戻ってくることはない。

 もう一つはバンパイヤハンターと呼ばれている連中である。

 帝都はローズがいる。そのような駆除業者は間に合っているので、速やかに追い返すことにしている。目の前の連中はそちらのようだ。見た目はフレアより少し年上の若者達である。少し意識を読んでみると、彼らは地元の集落を襲った吸血鬼を運良く討伐できた。そこで調子に乗り四人はハンターを始めた。しかしその後の実績はなく、ローズが二人目らしい。二人目がローズで幸運だった。他の者なら餌食にされたか、仲間にされたかのどちらかに違いない。

「ごきげんよう。わたしの街へようこそ」ローズは剣を向け黙り込んでいる若者たちに呼びかけた。「あなた達の狙いはわたしのようですが、わたしを討った後のことは考えているんでしょうね?」

 ローズの手元から現れた青く光る蝶が右手の若者の剣に止まる。彼はそれに恐怖し蝶を振り払おうと辺りかまわず剣を振り回す。慌てだす仲間達。

「ここはわたしの街です。わたしを倒すというのなら、その後もここに留まり街の面倒みる覚悟が必要です。それができないというのなら……」

 それを合図に若者達は馬車の右側に集まった。互いの刃先を胸元や喉元に突きつける。全てはローズに身体を操られてのこと。意識は保っている彼らの瞳は激しい恐怖を帯びている。少しでも刃先が動けば自分が仲間の命を奪うことになる。

「死んでもらいます」

 一人が悲鳴を上げた。

 そして全員が武器を落とし、その場に座り込む。一人が泣き声を上げ、それにつられても一人が泣き始めた。

「もう、行きなさい。ここにいると警備隊が来ます」

 若者達は促され東へと走り去っていった。

「これに懲りて馬鹿なことはやめてくれたらいいんですけどね」フレアがため息をついた。

「それは大丈夫でしょう。もっと有意義な使命を与えてあげました」

「何ですか。それは……」

「豚を愛する司教に代わり、古の豚料理を広める伝道師を始めるよう命じておきました。まずはこの近くの料理屋に弟子入りしてからね。のこのことこのまま地元へ帰れないでしょうからね」
「まぁ、おやさしい」

 次に物音と共に現れたのは警備隊。駆けつけた先にいたのがローズだったため少し緊張しているようだ。

「悲鳴が聞こえたのですが、何かありましたか?」隊士がローズに質問をした。

「悲鳴?あぁ、さっき事故を起こしそうになりました。そこの角から飛び出して来た若い人たちを危うく轢くところでした。びっくりしたんでしょうね。いきなり目の前に真っ黒な馬車が現れたものだから……」

「それだけですか?」

「はい、隊士さん、もう行ってもいいですか?」

「どうぞ、良い夜を」特に不審な点もないため隊士はローズを解放した。

「あなた方も……」ローズは彼らに手を振った後、座席にもたれ込んだ。「さぁフレア出しなさい。急ぎましょう」

 今夜も帝都は平和である。
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