踊る鉄巨人 第1話

文字数 5,869文字

 幻龍の紋様が描かれた豪奢な黒塗りの馬車。
 帝都に住む者、特に新市街在住となればそこから連想されるのは、その客車に座る黒い外套に仮面の女性である。しかし、彼女がそこに座っていることは意外なほど少なく、たいていの場合は高級菓子店の木箱やコバヤシ文字が書かれた板紙箱が上質な革張りの座席に置かれている場合の方が多い。それは日常の光景と化し、特に住民の関心を引くことはないからではなかろう。

 しかし、今回の荷物はいつになく大量で住民たちの目を引くこととなった。鉄馬が牽く客車に紙板箱が積み上げられ、縄で縛りつけられている。さらにその客車に荷物が満載の古びた荷車が縄で連結されている。鉄馬が一歩進むごとに積み上げられ縛られた箱が左右に大きく揺れる。住民たちはそれを注目にして道をあける。

 ローズのメイドであるフレア・ランドールは彼女からは大量の医療用マスクの配達を言いつけられた。面倒な仕事を一度の済ませてしまおうと考えたメイドのフレアの行動だったが、実際は余計な面倒を増やす結果となってしまった。

 慎重な鉄馬の操作の末、到着した正教徒第一病院の裏口には十数人の医療関係者と思われる男女が並んでいた。彼らの服装は白っぽい上着は共通だが、それ以外に統一感はない集団である。その背後には荷車や台車、背負子などが置かれている。いつもはどんなに多くても病院医師のヒンヨ・リヒターと他数人の手伝いが待っている程度なのだ。

 フレアは馬車を止め、鉄馬から降りて、いつものように朝の挨拶をした。いつになく大きな「おはようございます」の唱和となり、それが合図となって集団がローズの馬車へと殺到し慌ただしい荷解きが始まった。

 荷解きも終わらないうちに、手近な箱を無理やり引き抜こうとする者が現れ、荷崩れを起きそうになったが、フレアはその持ち前の素早さと力によって人にも箱にも被害を出すことなく荷物の分配を終えた。

 ほどなく、積み荷は客車に積まれた数個の箱だけになった。各人、荷物を台車などに縛り付け手早く帰り仕度を始めている。

「ご苦労様、きちんと数は用意してあると説明していたんだが、無様なことになってしまった」気まずそうな表情を浮かべたリヒターがフレアの傍にやってきた。

「普通のマスクですよね?」

「そうだな。コバヤシ製だが普段わたし達が使用している物と大差はないはずだよ。特別な物じゃない。ローズさんにはそういう物を手配してもらった」

「それを取り合いですか?」

「帝都に出回っているマスクが酷く品薄になっているんだ。忌々しいインチキマスクのおかげで本来の医療用マスクの流通が滞っているんだよ。どこも在庫は厳しくなってきね。それでローズさんに手配を頼んだわけだ」

「もしかして、それって最近新聞に広告が載ってるあの病気にならないマスクのことですか?」

「その通り……」

「病気の素を溶かすとか信じる人がいるんですね」

「残念ながら、大量にいるんだ。そういうバカ連中がこぞってマスクを買いあさってる。普通のマスクにつまらん紋章を付けただけの物に、そんな物に大枚はたいてるんだ。そのせいで本来必要な医療用マスクが不足して来ているんだ。バカがカネを摩るのは知ったことじゃないがこっちまで巻き込むんじゃないっていうんだ」

「そんなことになってたんですね」

「つまらんとばっちりだが、そう長くは続かんだろう。医師会で相談して手をうっておいた」

「始末屋でも雇ったんですか」

「ある意味最強の始末屋だな。皇家のアイオミ公爵に協力していただく。皇家の威光でつまらんマスク屋をこの世から焼き払ってくれる」

「勇ましいお話ですね」フレアは笑い声を上げた。「……アイオミ公爵様といえばあの御子息ともども機械好きのお方ですよね?」

「そうだよ。少し変わり者と思われているが、いい方だよ」

「そういえば、わたし、今日お昼からその公爵様にお会いするんですよ。他にもたくさんの方がお見えになるそうですが、公爵様はその中のお一人です」

「ふーん」リヒターは僅かに眉をひそめた。

 帝都に住まう者なら誰であっても皇家の要人と新市街の支配者に仕える小間使いの邂逅は奇妙に映るだろう。

「お昼過ぎから旧市街の埋め立て地で、鉄巨人を使った公開演習が行われまして、わたしもそれのお手伝いをすることになりました。その会場に公爵様をはじめとして何人もの要人の方がお見えになるようです」
 困惑するリヒターに説明をするフレアだが、ますます困惑が深まる様子。

「よくわからんが、公爵様にはくれぐれも粗相のないように、あの方は帝都にとって極めて大切な方だ」

 背後から大きな咳ばらいが聞こえた。そちらに目をやると一人の看護師がリヒターを睨みつけていた。ごった返していた人気はなくなり、客車の荷物もかたづけられていた。

「くれぐれも用心を……」

 それだけ言うと、リヒターは看護師に向かい軽く右手を上げ、病院内へと去っていった。

 

 日が沈み四分の半刻が過ぎた頃、馬車と共にフレアが戻ってきた。いつものことなので特に気に留める者もなかったが、彼女が菓子箱を担ぎ塔へと入る姿はこころなしか疲れているように見えた。

「おはようございます。今帰りました」

「お帰りなさい。遅かったわね、何かあったの?」

 ローズは既に着替えや化粧、寝間着の片づけまで済ませ、お気に入りの椅子に座り、コバヤシからの使者であるゴトウから借り受けた本を読みふけっていた。

「リヒター先生へのお届け物は全部済ませてもらえたでしょうね?」

「はい、問題なく」

「それなら、今まであなたは何をしていたの。荷物が大変な量だったのはわかるけど、今まではかからないでしょ?」

「マスクの件は昼までに終わったんですが、その後が大変なことになりまして……」

「その後、あぁ、例の埋立地の公開演習?」

「はい……」



 埋立地と聞いて最初フレアは浜辺の干潟のような土地を想像していた。少し湿った土地で蟹や貝が棲み、それを目当てに大小様々な鳥などがうろついている場所である。しかし、集合場所のハンセン・ベック魔導工作所に集まった面々が案内されたのは、潮の匂いがする以外は何もないだだっ広い更地だった。コバヤシの協力もあったようだが、ここは十年前までは足もつかないような海だったと説明されても、フレアはにわかには信じられなかった。

 そうした広大な空き地で鉄巨人の公開演習が行われた。フレアも鉄馬車で付き合いのあるハンセン・ベック魔導工作所からの依頼で演習の手伝うことになっていた。

 集まったのは新し物好きの貴族や警備隊幹部などとその従僕、部下などで総勢二十名ほどである。他に特に告知をしたわけでもないのに少なからずの見物人が現れていた。前日から巨人の部材を積んだ何台もの馬車が街中を練り歩き、それが新しい空き地で組み上げられていく。これが人々の興味を引かないわけがない。

 一般の見物人の強制的な排除も考えられたが、主賓の一人であるアイオミ公爵の「この巨人は民を抑圧するためではなく保護するためにあるという観点から、彼らの見学も許してもよいのではないか」という言葉により、少し離れた場所からではあるが見学が許されることとなった。

 演習用に埋立地に持ち込まれた鉄巨人の基本性能は砂漠の部隊に配備されている機体と同様だが、帝都内での使用に備え非殺傷性の弾丸、発煙弾、投網などの発射装置が追加されている。

 ハンセン・ベック魔導工作所の共同経営者の一人リュウ・ハンセンにより演習の開始が告げられ操縦役の技師は並んでいる賓客たちに頭を下げ挨拶をした。

 頭に艶のない深緑のサークレットを付けた技師ミックの操縦により、黒塗りで奇妙な機械を背負った全身鎧、そんな風情の鉄巨人が片膝をつけ座っていた状態から立ち上がると、後方の群衆から歓声が上がった。そして鉄巨人は客達に技師と同様挨拶をした後、前方に並べられた標的へと歩いて行った。

 簡単な人型が描かれた等身大の標的五枚のうち左から二枚が、豪快な連続音と共に一瞬で蜂の巣、穴だらけとなった。巨人の左前腕部に仕込まれた二連装の連発銃の銃撃によるものだ。アイオミ公爵は笑みを浮かべ手を叩き、他の貴族や警備隊関係者はあっけに取られ呆けていた。フレアも思わず絶句した。弾丸はかろうじて見えたが、避けるのはかなり困難であることは彼女にもわかった。

「連発銃は腕の内部に収納することができます。なお搭載武器は上腕部で交換可能です。御存じとは思いますが、六銃身の回転砲なども用意できます。では先へ続けます」

 再び動き出した鉄巨人は背中や腰に付けている機器を使用し煙幕や投網を出して見せた。投網が巻きついた標的の足元を白い煙が覆っていく。

「あの煙はどういうものだ?害はないのか?」アイオミ伯爵が問いかけた。

「特に害はありません。目や鼻を刺激し涙や鼻水などを誘発するだけです。それによって目を開けていられなくなり、呼吸も乱れます。結果、相手の行動の自由を一時的に奪うことができます。煙は拡散と同時に分解を始め短時間で無害化します」

「いいものだが、人が扱える大きさの物があればな……」警備隊幹部の一人が呟いた。

 その言葉を聞きつけたハンセンが解説を始める。「もちろん人が使用できる大きさの発射器もあります。閃光を伴う投擲型の物もありまして、そちらの使用例としては、賊が立て篭もる建物などへの突入の直前、そこに投げ込み煙と閃光、爆音に混乱している隙を狙い、取り押さえるというものです。こちらの被害を抑えつつ、相手を無傷で取り押さえれば以後の調査を容易にすることができます」

「確かに賊が口を訊けないようでは捜査が捗らないからな」

 フレアを意識して言葉ではないのだが、彼女としては嫌味を言われている気がした。彼女とローズが絡んで病院送りが大量に出るたびに特化隊の使いが嫌味を言いにやってくることが思い起こされた。口も訊けずに寝転がっている奴からは情報は得られない。

 進行が細かな機器の説明などに移り、動きが地味になり、後方の見物人たちが退屈してきた頃、鉄巨人が踊り始めた。技師の動きに合わせて、巨人が踊る東方伝来の駒鳥の舞いは、後方の見物人達の笑いを誘った。

「このように巨人は操縦者の動きをそのまま真似をします。最初のうちは自分の身体を使って操縦することになりますが……」ここでハンセンはここで言葉を切り技師に眼をやった。「慣れれば動きを頭で考えるだけで巨人を操縦することが可能となります」技師は頷き腕組みをした、それにもかかわらず巨人はまた同様に駒鳥の舞いを踊り始めた。

 観客一同から軽く歓声が上がった。

「口では簡単に言っているが、そんなに簡単なものなのか?」豪奢な刺繍が施されたローブを纏った男が説明に口をはさんだ。

「はい、ヒュース侯爵様」

「それは息子に譲った、ヴォーンでよい」

「はい、ヴォーン様。確かにこのミックほどの練度に達するには、それなりの時間を要しますが、基本操作は容易に身につけることができます。いい機会ですので、一度お試しいただいてはどうでしょうか?」

「……うむ、よかろう」

「ありがとうございます」

 技師のミックが深緑のサークレットを頭から外しハンセンに手渡した。

「これをどうぞ」ハンセンからサークレットを受け取ったヴォーン卿は促されるままそれを頭に付けた。そして、軽いうめき声と共に左手で目を押さえた。

「ご安心ください。左眼に現れた景色は今巨人が目にしている光景です。隅に現れた数列や文字は、巨人の状態や搭載武器や機器を扱うために使用するためのものです。巨人を操るには左右の眼で別々のものを見ることに慣れていただく必要もあります」

「なるほど」

「一度右目を閉じてください。これで少し楽になると思います。頭を動かして周りを見てください。御自身の姿が見えませんか?」

「おお、これは……」

 ヴォーン卿の頭の動きに従い巨人が左右に頭を振る。

「次は巨人を動かしてください。気が散る場合は左目を閉じてもらって結構です。まず右腕をゆっくりと上げてください」ハンセンの指示に従いヴォーン卿が腕を上げる。それに従い巨人の腕が動く。

 それから少しの時間だがヴォーン卿は巨人の操縦で汗をかいた。息をつきサークレットを頭から外す。

「面白い。要領としては使い魔への憑依と似たようなものか。視界には慣れが必要だが、酷くむずかしいものではなさそうだ。貴公らもやってみてはどうだ」

「ありがとうございます」ハンセンはヴォーン卿の言葉に笑みを浮かべた。

 一通りの操縦体験が終わったところで、ようやくフレアの出番が回ってきた。フレアがハンセンから依頼されたのは鉄巨人との格闘戦である。フレアも巨人に興味があったためこれを受けた。もちろん本気でやってはどちらもただでは済まないため火器の使用はなしで、すばやく逃げ回るフレアを自律制御状態の鉄巨人が制限時間内に彼女を捕まえれば勝ちというルールで、万が一の場合は技師のミックが割って入ることになっていた。

 フレアと鉄巨人が向かいあい礼を交わし、ハンセンの合図と共に格闘戦が始まった。フレアが素早く逃げ回りそれを巨人が追う。巨人の繰り出す拳を巧みにかわし、フレアは飛び上がる。巨人はその着地点に素早く巨大な手を差し出す。勝負あったかと思われた時フレアが巨人の手のひらから身体を引き抜き、勝負は振り出しへと戻った。巨人のこれらの動きはミックの操縦によるものではない。技師のミックが巨人に出した指示は、目標を傷つけることなく拘束せよ、だけである。手に汗握るやり取りが少し続いた後、唐突に巨人が動きを止めた。

 制限時間を残しての行動停止のためハンセン、ミックは戸惑ったがほどなく巨人は息を吹き返した。しかし安心したのもつかの間、次の瞬間には巨人の右手には収納されていたはずの連発銃が姿を現し、それは賓客たちに狙いを定めていた。

「ふせろ!」ヴォーン卿が叫び、片膝をついて姿勢を低くした。他の者もつられて座り込み、身を伏せた。

 次の瞬間、土煙が舞いあがり僅かに遅れて連発銃が火を噴いた。
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