不可能大作戦 第1話

文字数 3,560文字

 近東ネブラシアといえば凝った作りの金細工、絨毯、陶器などが有名である。食ならばたっぷりのスパイスを使い焼き、煮込んだ羊などである。しかし、魔導騎士団特化隊隊長フィル・オ・ウィンにはそのような名物を求め市へ向かう暇などなかった。もとより、彼は確固たる用向きがなければ執務室から出ることさえできない立場である。
 オ・ウィンは副官のエヴリーと共に標的が泊っている部屋の前にいた。彼らには正教会特別部の僧兵二名が同行している。他にも廊下の突き当り、階段周辺にも配複数置されている。
 ここは商都アファリカピタの安ホテルである。逃亡犯には格好の場所と思われがちだが、金でどうにでも転がる受付係がいるようでは安心して寝てはいられない。ただ、オ・ウィンが羨ましく思えたのは廊下に敷かれている絨毯が薄汚れてはいるものの、彼の執務室に敷かれて古びたそれより上質だったことだ。
 部屋の扉がエブリーにより静かに開錠され、僧兵を先頭に室内へ突入開始する。特別部僧兵による突入の雄叫びに、眠っていた男はベッドから跳ね起き、枕の下に隠していた短剣を手に取った。
 しかし、男がその切っ先を僧兵の一人に向けたと思った時には、手元から短剣は消え床に叩き落されていた。男の手に残ったのは強い痛みだけだ。
 叩き落した短剣を離れた場所に蹴り飛ばしたオ・ウィンは、窓の外に浮かぶ人影を発見した。朝の陽光が部屋へ差し込むことを阻む影が三つ、空中で窓からの突入に備え体勢を整えている人影だ。全員暗い緑の兜、革鎧で全身を固めている。
 緑の侵入者は寝室への派手な突入で窓をガラス片と木っ端に変えると、突然空中で軌道を壁、床、天井へ変え衝突し、そのまま動かなくなった。それについては彼ら自身も予想外だっただろう。すべてオ・ウィンの仕業である。
 彼の動きを捉えることができる者は少なく、ほとんどはそれが終えてからとなる。短剣は叩き落された後に、人は壁と床に叩きつけられた後に、ようやく何が起こったかを知ることになるのだ。
「プリンシ・パリンシだな」
「は、はい」男は横柄な子供の物言いに戸惑いながらも返事をした。 
 まだ痛む手をさすり、両手棍の僧兵と床に転がる侵入者に目を移し、必死に何が起こったのかを理解しようとしているようだ。
「帝国正教会特別部の要請によりお前の身柄を保護するためにやって来た」
 オ・ウィンの言葉に、眼前の出来事に自身もあっけに囚われていた僧兵二人がようやく動き出し、まだ状況が呑み込めていない男に近づき両側から拘束した。男は大した抵抗もなくそれに従った。
 後の文言は僧兵の一人が懐から取り出した書面より進行された。
「どうしてこういう連中はわざわざ窓から飛び込みたがるんだ」オ・ウィンは木っ端の上に転がる緑の鎧を指差した。
「意表を突くためと思われます」エヴリーは視線を移すことなく。事務的に答えた。
「突けると思うか」
「いいえ、明らかな練度の差がない限り困難です。他の進入路が乏しくやむなくという場合の方が多いでしょう」
 入り口の扉は開け放たれたままだったが、誰も覗きに来る者はいなかった。 このホテルの泊り客は、騒ぎに際しては息を潜め待つことが賢明だと考えているらしい。
 

 事の発端は正教会特別部部長リズィー・ストランドからもたらされた要請にある。
 彼はオ・ウィンの茶の時間が終わった頃に執務室にやって来た。白の豪奢な法衣を纏った小太りの小男で黒い髪は頭頂部まで禿げあがっている。絶大な癒しの力を持つ男だがその役職のため、彼を快く思う者は少ない。 自らも帝都の嫌われ者と自称している。
「今日はどうした、帝都に雪でも降らせるつもりか。ストランド」
 珍しくオ・ウィンは執務室に現れた友人に語り掛けた。
「確かに大雪になるかもしれんな。普段執務室に縛り付けられている私たちがこうして直接会うんだからな」
「俺たちには役職という呪いもかかっているからな。ところで用はなんだ。茶を飲みに来たならエヴリーに持ってこさせるぞ」
「それには及ばん。君ならもう知っているとは思うが、いま正教会は面倒なことになっている」
「正教会内での禁制品取引のことを指しているならな」
「さすがに察しがいいな。しかし、禁制品取引とは控えめな言い回しだが、それはいただけない。エヴィデ香だ。君たちが一度潰した販路を復活させた者がいる」
「あれは怪我の功名だったが、販売元までは到達できなかった。それを正教会が引き継いだという事か」
「残念ながらそういうことだ。警備隊保安部と共に内偵を進め、すでに何人かは捕えてある。そして、元締めと思われる人物も特定されつつある。高位の聖職者だ。しかし、まだ決め手に欠いているところで証人逃げられてしまった。無様な話だが、どうやら我が方にも内通者がいるようだ。その手引きで逃げ出したらしい」
「そいつを探し出すのを手伝えというのか」
「どこに逃げたかはネブラシア側の協力で掴めている。後は連れ戻すだけだ」
「それなら使える奴を二人ほど貸そう。好きなように使ってくれ」
「この件は君が引き受けてもらえないか。君が推薦するような隊士なら頼りになるのはわかっているが、完全に解決するのは君を置いて他にはいない。オ・ウィン」
「それほど大事なのか」
「もちろんだ。それでなければこの部屋で話すことはない」
「それもそうか。詳しい話を訊こう」

 港への護送は何の妨害もなく、停泊中の船に無事到着した。プリンシ・パリンシは最初何が起こったか呑み込めずにいたが、自分がなり得た未来を悟ると恐慌状態に陥り、周囲を警戒するより彼を落ち着かせることの方がより手間がかかった。 国へ帰れと金を渡され戻った地元で命を狙われたのだから無理もないだろう。
 彼はネブラシアの出身であることに目を付けられ通訳として使われていた。そこでは双方の立場の高い人物も姿を現していた。そういった人物のほとんどは仮面、覆面で正体を隠していたが、衣装や装飾品に付けられた紋章など無頓着にさらしていた。
 パリンシは逮捕された際そのいくつかを目にしていることを証言し、一躍時の人となった。特別部がパリンシに興味を持った矢先に、警備隊分署で拘束されていたパリンシは何者によりそこから連れ出された。
 オ・ウィンが出航準備を急ぐ船員たちの様子を眺めていると、特別部所属の司祭が甲板下から姿を現した。白い鎖帷子の僧兵たちを指揮するためにオ・ウィン達と共にやって来たチェコサ・ケレという男だ。何か言いたげな表情でオ・ウィンに近づいて来る。
「パリンシの様子はどうだね?」オ・ウィンは向かってくる司祭に問いかけた。
「あなたのおかげでいくらか落ち着いたようです。今はあなたの副官が見張りに付いています」
「あいつに任せておけば安心だ」
「オ・ウィン殿は今回の襲撃をどう見られますか?」
「それなりの訓練を受けた連中なんだろが、力は俺の部下でも楽に対処できる程度に過ぎない。何がやりたくて飛び込んできたのか。それが気になっている」
「それは当然、プリンシ・パリンシの命を狙ったのではないですか」とケレ。
「確かにそうだが、何か腑に落ちないところはないか?」オ・ウィンはケレを見上げた。
「特に何も、彼は命を狙われた。助かったのはあなたが居合わしたからにすぎません。他の者ならどうなっていたことか」
「それはあるかもしれんが、奴らはどうしてあの機会を狙った」
「どういうことですか?」
「奴らがパリンシの居所を把握していたなら、どうしてあの時にわざわざ攻め込んできた。ここに来てから機会はいくらでもあったはずだ。泊まっていたホテルの受付は金さえ渡せばなんでも喋る。恐らく口止めも簡単だろう。裏口がどうなっているかも怪しいもんだ。夜忍び込んで寝込みを襲えばいいだけも話だ。なぜやらなかった」
「なぜです?」
「俺はやれなかったからだ思っている。襲撃犯は俺たちの動きはしっかりと捉えていたようだ。しかし、パリンシの行方は特定できていなかった。奴らが所在を知った時は俺たちと変わらないだろう。窓からの突入は俺たちの配置を承知していたからだ。エヴリーの言っていたように他の進入路が乏しくやむなくだろう。あの時間であの手際は大したもんだが、性急すぎた」
「まさか、突入隊の中に奴らの内通者がいたということですか?」
「そうだ。あの時俺たちの通信を聞けた者全員にその可能性がある。そいつは俺たちと通信を交わすと同時に奴らに情報を流していた」
「なんという事か……」ケレは思わず周囲を見回した。
「ケレ司祭、これからの帰路何があるかわかりませんな。気を締めていかないと」
「そのようですね」
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