第2話

文字数 4,012文字

 水曜日の昼前にフレアは姿見を落札した男、ヨアヒム・ハンスが指定した場所へと赴いた。旧市街の港の傍だったため馬車を使いたかったのだが、ローズには歩いていくように命じられていた。指定された住所の建物にはハンス商会と看板が掛けられていた。煉瓦造りの外壁でこの辺りではよく見かける仕様だ。ここで間違いないだろう。間違いないはずなのだが、玄関口の扉には祝祭につき休業中の張り紙が貼られている。

 フレアはお仕着せの物入れからハンスから受け取った書付けを取り出し、今一度住所を確認した。ここは別のハンスが起こした商会かもしれない。ハンスの名前はさほど珍しいわけでもない。しかし、ここで間違いはない。確かに月曜日の夜にヨアヒム・ハンスに指定された場所だ。

 玄関前の石段を登りフレアはドアノブを回してみた。鍵が掛かっているようでドアノブは回らない。三回ほど扉を叩き石段の下でしばらく待ってみた。反応はない。扉に耳を当て中の様子を伺う。動きはない。騙されたのか、そんなはずはない。ハンス本人が言っていたようにローズに嘘は通用しない。

 念のため裏側へ回ることにした。ありそうにないが、休日のためハンスだけが一人で出てきているかもしれない。裏口に向かう道中にある窓ものぞき込んでみたが人の気配はない。裏口の扉も閉ざされており車止めに停められた馬車もない。本当に誰もいないようだ。ハンスは遅れているのだろうか。それなら、いつまで待てばよいか。いつもでも表の石段で座って待っているわけにはいかない。

 フレアが建物を一周し、表の玄関口に戻ると馬車が一台止まっていた。馬の蹄と車輪の周辺には泥汚れがこびり付いている。それ以外は街を流す馬車よりは幾分上等だ。光沢のある茶色に塗られた客車の傍には若い男が立っている。服装から見て御者だろう。両手で胸の前に木製の看板を上げている。男の表情はどこか不安げだ。

 男がフレアの気配に気づき体を向けた。看板には炭でフレア・ランドール様と書かれている。二人の目が合い、ややあって無言で男は看板に書かれている名前を指差した。フレアは静かに頷く。

「ありがとうございます。お待ちしていました」男の顔から不安が吹き飛び満面の笑みで包まれる。耳が痛くなるほどに声が大きい。

 すばやく胸元の看板を御者席に置き、客車の扉を開く。

「どうぞお乗りください。お屋敷までお送りします」

「ちょっと待ってちょうだい」フレアは男の動きを制するように両手のひらを軽く前に出した。「あなたは何者なの?わたしをどこに連れて行くつもり?」

「えっ……あぁ」

 男の声が小さくなった。だが、これで人並みだ。

「俺はレヴィオ、旦那様、ヨアヒム様からランドールさんをお屋敷までお連れするように命じられました」

「ヨアヒムさんのお屋敷に……それはどこにあるの?」

「ブーヒュースです」レヴィオはばつが悪そうに頭を掻いた。彼自身もその地がここから少しばかり距離があるのはわかっている

「随分西なのね」更に北でもある。

「はい」

 やはり、彼はもう自宅に帰っておりフレアをそこに呼び寄せるつもりだったのだ。フレアもそこまでは予想はついていた。だが、屋敷の位置は予想外だった。旧市街辺りの屋敷で話をして姿見を受け取り帰るつもりでいた。ローズはといえば月曜の時点でこれを知っていたに違いない。だから、フレアに馬車を使わせなかった。

「お乗りいただけますか?」

 これも仕事のうちならブーヒュースに行かないわけにはいかないだろう。

「えぇ、いいわ。お屋敷までつれていって」

「ありがとうございます」

 レヴィオは大きく安堵の息をついた。



 帝都の北西に位置するブーヒュースは山深い土地に集落が点在する村となっている。そして、フレアが百五十年前に帝都へやって来た当初の目的地でもある。当時、新市街でローズと出会うことが無ければ、飢えに耐え忍び木々の生い茂る森に入るつもりでいた。しばらく、この地に潜み更に大きな都市周辺へ移動する予定だった。そんな土地にこんな形で訪れることになるとはフレアは少し複雑な気持ちでいた。

 客車の窓から眺める森は思い描いた通りの光景だった。鬱蒼としてあまり人の手が入っていない森だ。帝都とは少し距離があるが毎日通う必要はない。よい空き家を見つけることができたならいい暮らしができたかもしれない。

 色々と思いを巡らしていると、馬車は唐突に停車した。フレアが窓を開け外を覗くと馬車の前方に門扉が見て取れた。レヴィオが御者席から飛び降り、扉を開け馬車を進ませる。ハンスの屋敷に到着したようだ。

 門から続く森の小道を抜け、現れた丘の周囲を回り込むと、三階建ての木造の建築物が目に入った。中央にある玄関口から両翼に広がる優美な屋敷だ。その向かって左隣にはそれより簡素な作りの二階建てが見て取れる。そちらは離れの扱いか使用人用の住居だろう。

 三階建ての母屋の玄関口に人だかりができている。服装から見て屋敷の家人と使用人に見える。何が始まるのか、何を待っているのか。

 馬車が玄関口に止められた。

「ランドールさんをお連れしました」馬車が揺れレヴィオの声が車外で響いた。

 間を置くことなく客車の扉が開かれた。車外には補助の踏み台が置かれている。フレアは客車から飛び降りず、家人たちが見守る中踏み台を使いゆっくりと馬車から降りた。普段は受けることのない扱いに体が妙な緊張感に包まれる。

 フレアが手入れがされた庭に降り立ち、彼らに体を向けると拍手が巻き起こった。このような状況は歌劇場でしか見たことはない。それも人気役者相手で自分ではない。拍手の中、男が人だかりの中から歩み出てフレアに近づいて来た。ヨアヒム・ハンスだ。彼はフレアの傍まで来ると軽く頭を下げた。

「遠路はるばるようこそわが家へ、来てくださって感謝しています。ランドールさん」

 ハンスが再び頭を下げると、後ろに並んでいる家人、使用人達も頭を下げる。

「どういう事なんですか。わたしは姿見の受け渡し交渉ということで来たんですが?」

「姿見ならご心配なく、今日の日暮れと共に塔へお届けすることになっております。ランドールさんは安心して我が家でお過ごしください」

「わたしには塔でのお仕事が……」とフレア。

「急なお願いですが申し訳ありませんが、それについてはローズさんにも姿見にお知らせを同封させてもらっています」

「いきなりそんなことを……言われても」

「やはり、少し強引過ぎましたか」ハンスは項垂れた。後ろに控えている使用人達も不安そうにこちらの様子を伺っている。

「あっ…」

 フレアの中で弾けるようにある考えが湧いて出た。ローズは騙せない。それはほぼ絶対だ。しかし、それに近い状態が作り出される可能性はある。 それを確かめる必要がある。

「ハンスさん、今回の件を思いついたのはいつのことですか。昨日じゃないですよね」

「はい、一ヶ月は前のことです」

「それなら……問題なさそうですね」

「へっ?」

「ローズ様のことです。一昨日の時点であなたの考えは御存じだったんだと思います。口にださないだけで……それを承知の上でわたしを送り出したに違いありません。その証拠がここにいるわたしです。あの方は説明が少ないというか。あえて教えてくださらないことがありますから」

「それではランドールさん……祝祭の間我が家にお泊りいただけるんですか?」

 ハンスはおずおずと胸の前で両手を合わせる。

「はい、それが今回のわたしの仕事のようです」

「おぉぉ、ありがとうございます!」

 ハンスは手を合わせたまま空に向かい絶叫した。彼の背後でも喝采が上がる。

「……ですが、もう一つお尋ねしたいことがあります」

「何でしょうか」

「姿見の件がもう片付いているとしたら、わたしはどうしてここに呼ばれたんでしょうか?」

 要件が譲り受けの交渉でなければ残された疑問はこれだ。

「あぁ、それはですね」ハンスは撫でつけられた頭を掻いた。「我が家では毎年「諸聖人の夜」の祝祭にはちょっとした催しをやるのです。最近は皆の仮装を競う程度だったのですが、誰が言い出したか、「諸聖人の夜」にやって来るような存在の本物を呼べないかという話が出てそれが盛り上がってしまいまして……」

「本物?あぁ、亡くなったご家族の他にやって来る精霊や魔物のことですね」

「はい、それなら誰がよいかなど話し合いの結果、帝都で有名なあなた方の名前が上がりまして、大変不躾かと思いましたが、あのような行為に及んだ次第でして……」

 これで月曜日の夜のハンスのおかしな様子に納得がいった。横柄な口調の裏に隠された緊張は慣れない芝居のためだったのだ。

「それならそうと初めから訳を話してくださればよかったのに」

「しかし、わたしはあなた方とは初対面で見ず知らずの貿易商、卸業者です。相手にしてもらえるか。不安がありました」

 確かにそうなのだ。ローズに初対面で話しかけてくる者は多くいる。全員相手にしていてはきりがない。

「それでローズ様の気を引こうとあんな無茶なことを……」

「はい」

 確かにそれも無駄でなかったといえる。ハンスは変な形であってもローズの気を引くことには成功をした。ローズに意識を読み取られ「諸聖人の夜」に本物を呼ぶという企画を知られることになったのだろう。それにローズが面白味を感じたのかフレアがブーヒュースに派遣されることになったようだ。

「わかりました。それでは祝祭の間心置きなくお世話になります。ですが、ランドールさんというのはやめてもらえませんか。フレアでお願いします。どうにも落ち着きません」

「わかりました。フレアさん。わたしもヨアヒムでお願いします。我が家には他にもハンスが何人もいますので」

「はい」
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