第3話

文字数 4,537文字

 エコー・ドラゴの死は従業員と泊り客すべてを巻き込んでの大騒動へと発展した。隠れることを止めたオキシデン警備隊は、客や勤務外の従業員の安否確認と行方をくらませたペル・ラサトの所在を追うための行動を開始した。

 ドラゴの部屋は現状維持のため支配人の協力の元封鎖された。警備隊による寝室への突然の来訪に驚いた泊り客も、今は再び床についている。テンキョーホ夫妻も早々に部屋に引き上げた。ブラストはヤンボとマーヤを自室に連れ帰った後、こちらの部屋へと戻ってきた。現在ドラゴの部屋に居残っているのはオ・ウィンとエブリー、そしてブラストである。ブラストはなし崩しに捜査に参加している。唯一変わらないのはドラゴ、彼は椅子に座り続けている。

 状況からみてドラゴは外から帰ってきて、いくらも経たないうちに殺害者の手に掛かったとみられる。上着はハンガーにかけられ、襟元のクラバットは大きく緩めてある。テーブルには空のグラス二つと酒のボトルが置かれていた。

「飲み足りなかったようですね、ラサトにも勧める声が聞こえてました」

 隣にいながらも犯行を許してしまったエブリーはまだ落ち込んでいる。

 仕込み杖は使用された形跡はなく、弾丸も込められたまま床に転がっていた。撃つ暇もなく不意に胸を刺されたことになる。待ち伏せや侵入者がいないことは、外で見張っていたオ・ウィン達が確認している。たとえ姿を隠しても扉を開けなければ中に入るとはできない。あいにく窓側は断崖絶壁となっているため見張る場所はなく、そちらを進入路にされては感知のしようもないが。

「ラサトが殺ったのか。なぜ、どうして」

 状況からして現在の結論はそちらに行く。動機はともかく、オ・ウィン達の目に咎められず部屋に入り、ドラゴにも警戒されず犯行を行えたのは彼しかいない。窓の外に潜んでいた何者かをラサトが招き入れドラゴを手に掛け、共に窓から逃げ出したなら別だが、それは意味がなく冗談にしか思えない。

「金に釣られた」とブラスト。

「金を使うなら別の奴を雇う。ここではなく別の場所で……まぁ、動機は後でいい」オ・ウィンは軽くため息をついた。「わからんのはこれだ」

 オ・ウィンはテーブルの脚に立てかけられた額装された絵画を小さな指で示した。

「ドラゴはこんなものは持ってきていないし、ここに持ち込むところも見ていない」

 ここでオ・ウィンはブラストに目をやった。

「ブラスト少尉、ここに書かれた言葉は御存じかな」

 オ・ウィンは絵画の右上隅に真っ赤な絵の具で描かれた文字列を指差した。

「それは隊長殿でもご存じでしょう。トリキア語で読みはファルソ、そちらの言葉で偽物を指します。……もう少し付け加えると、その絵の名はキャタ・ヴァロレといいます。本物は半年ほど前にプロフディフ大聖堂から盗まれました。その手口から犯人はファンタマと見ています。奴は司教殿に化けて絵を大聖堂から悠々と持ち去った。俺たちが奴を追っているのもそれを取り戻すためです。この度は邪魔をすることになって申し訳ない」

「もういい……、この騒ぎで皮肉なことに殺人事件の発覚が朝にならずに済んだ。作戦も中止だ。だが、これからは一言連絡をたのむ。お互いそう心掛けよう」

「肝に銘じます」とブラスト。

「この絵については証拠品をしてこちらが預かり、真贋を鑑定の後そちらに返還となるだろう」

「ありがたい……そう願います」 ブラストは頭を掻いた。

「このファルソの落書きは誰が書いたんでしょうか。贋作専門といっても絵を扱うことを商売にしている男が……ありえない」 とエブリー。

「誰がとは、犯人が書き残していったと思うか?」

「はい」

「俺も同感だな」


 夜が明け、寝不足を抱えた泊り客達は談話室に集められた。目の前には厳しい顔つきの支配人と夜中見かけた警部隊士達が並んで立っている。少し判断力が弱っている彼らでも、よい知らせではないことは誰でも予想がついた。

 客達がそろったところで支配人が一歩前に出た。

「おはようございます、皆さんお揃いになったようですので、昨夜の事故、事件についての説明を始めさせて……」

「支配人、いいのか?後二人足りなくないか?なんて言ったか爺さんと付き人。待たないのか?」リポルブ夫妻の夫のトニーが当然浮かぶであろう疑問を口に出した。

 昨夜のいきさつを知るマーヤは部屋で目にした光景が蘇ってきたのか夫にしがみついた。ヤンボは妻をやさしく抱きしめた。

「ドラゴ様は……」支配人は声を詰まらせた。 

「それについてはわたしから説明させていただきます」傍にいたムラサメが前に出た。「オキシデン警備隊三課所属のリョウ・ムラサメです。よろしくお願いします」

 ムラサメは軽く頭を下げた。彼の役職名を耳にしたリポルブ夫妻は椅子の上で体を引いた。聞かなければよかったとばかりに顔をしかめる。

「もうご存じの方もおられますが、前夜一刻頃エコー・ドラゴ氏が刺殺体が発見され、彼の使用人のペル・ラサトが行方不明となっています。現在事情を聴くため彼の行方を追っています」
 
「犯人として?」

「もちろん、それもあります。その点では皆さんにも前夜の事情を伺う必要があります」

「わたしたちも疑われてる?」 トニーの妻シーリアが尋ねた。冗談じゃないと顔に書いている文字がよく見える。

「有体に言えばその通りです。夜中に誰にも見られることなくドラゴ氏の部屋に入ることができた者はすべて容疑者の範疇となります。追々聴取を開始しますので、ここから出ないようにお願いします」

 これは事情を知らない泊り客達への言い訳に過ぎない。ドラゴは常時監視下にあった。昨夜扉から入ったのはドラゴとラサトしかいない。窓からの侵入者がいたならば当然騒ぎとなり、隣室のエブリー達が聞いていたはずだ。状況的にラサトが手を下すほかないのだが、何か釈然としないものがあった。何か見落としがある、オ・ウィンとしてはそれを探り出したい。

「俺たちは今日で引き上げる予定なんだが、帰るなというのか」とトニー。

「その件についてですが、現在どなたについても麓まで降りることはかないません。ここで待機していただくほかありません」

「どういうことだい?」

「昨夜、山崩れがありまして、ここに繋がる山道が封鎖されています。馬車は無論のこと荷物を持って下山であっても困難でしょう」

「通れるまでいつまでかかる?」

「二日ほどかと」

「歩いて降りるよ、大した荷物じゃない……」

「もう一度申しますが、まだドラゴ氏の殺害犯は見つかっておりません」ムラサメはトニーを見つめた。「第一容疑者と目されるラサトの行方も不明です。この状況で敢えて外に出るのは賢明とは思えません。この中なら我々が皆さんをお守りすることができます。この中でなら……」
 
 ムラサメの言葉で落ち着いたか、諦めたかは不明だがトニーはそれ以上何も言わなかった。泊まり客への聴取はそのまま引き続き開始された。まずはまだ客のふりをしているエブリー親子から始まり、次にビーンズ卿。これらは聴取というよりは情報交換である。

 麓の班は泳がせておく必要がなくなったイマナギを拘束し、所持していた絵画を管理下に置くため動いていた。今後「聖ケルアックの登場」は厳重監視の元、オキシデンに送られる予定だ。ラサトの所在は掴めず、村には警戒を呼び掛けている。彼は素手に見えても直刀を隠し持っている。やすやすと手出しのできる男ではない。

 次はニポルブ夫妻のトニー、事情はオ・ウィン達が直接聞くわけにいかず、これはムラサメからの中継となる。

「食事の後はシーリアが外は冷えるっていうんで談話室にいたよ。あそこでカードやってた。そうしてたら、あの作家の……」

「アンジェラ・ゴドゥ?」ムラサメが促す。

「そう、そのアンジェラ、あの人が声をかけてきたんだ。で、三人で始めたんだけど、いくらも経たないうちに眠いって言いだして部屋を出ていったよ。後は店が酒の注文聞いてくれなくなるまでいた。それから帰って寝た。あんた達に起こされるまで寝てたよ」

 妻のシーリアの証言も大筋で同様だった。違うのは談話室を出た時間だ。トニーは閉室間際までいたつもりのようだが、実はそれよりはるかに早く自室に戻っている。早く酔ってしまったトニーの注文をシーリアが止めたのだ。彼女がトニーの身を案じ注文を止めた。そのため酒が来なくなった。最後は自分だけではどうにもならないシーリアが給仕に手伝ってもらってトニーを部屋まで連れ帰った。

 テンキョーホ夫妻からはヤンボとレオナルドが一人づつ、マーヤは昨夜から負担を考え外された。二人と同席していたレオナルドはテラス席でドラゴとラサトを目にしていた。特に騒ぐこともなく静かにグラスを傾けていたという。彼らが席を立った時も二人はまだ飲んでいた。

 レオナルドは部屋に戻り二人の寝支度を手伝い、隣の使用人室で床に就いた。真夜中に天井から大きな物音で彼は目を覚ました。主人たちの部屋に行くと夫妻も目覚めており、何があったか心配だというヤンボについていったという。 証言はヤンボと変わるところはない。

 ドラゴの部屋まで行くとビーンズ卿とフィルが後を追ってきたかのように駆けつけてきた。寝ずに今まで起きていたような雰囲気だった。扉は開いていたようでビーンズ卿を先頭に入ってみると。

「よく見ているな。それによく覚えている」

 レオナルドの声がムラサメの聴覚と経由してオ・ウィンまで飛んできている。描写も上手く記憶の再構築にも適している。昨夜を思い返すが、蘇るのは釈然としない思いだけだ。ラサトをかばう気など毛頭ないが、ラサトを疑う気になれない。
 ローズに関わるごろつき達を見ていればよくわかる。奴らは敵には容易に牙をむくが、仲間は裏切らない。下っ端ならともかくラサトほどになるとなおさらだ。下手な事をすると後がない事を知っているのだ。

 聴取の順番がゴドゥに回ってきた。彼女についてはリポルブ夫妻とカードを楽しんだ以外の情報は何もない。彼女自身も同様の証言をした。どうにも眠たくなったため、警備隊が起こしに行くまでほぼ寝ていただけだ。

「この聴取に意味はあるの?犯人はいなくなったドラゴさんの付き人じゃないの」とゴドゥ。

「もちろん、我々は彼を第一容疑者として身柄を確保するため全力を尽くしています。しかし、他の可能性もないわけではありません。相手は酩酊状態のご老人です。扉が開いていたのなら誰でも侵入して犯行を行えます」

「可能性としてはあるでしょうが、大きな武器を隠し持っている付き人を考慮に入れてない。彼がじっとそれを見ているなんてないわ。それが共犯者だったとしたらわざわざ招き入れたという事?どこか変ね」 

 まだ考慮に入れていない点がある。監視していたオ・ウィン達の存在だ。犯人は彼らにまで姿を隠し犯行に及んだことになる。犯人はラサトを置いて考えられないが、オ・ウィンは納得がいかないという一点だけで追っている。今の現状ではムラサメよりゴドゥの言葉の方が説得力があるだろう。
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