第2話

文字数 3,890文字

 ほどなく、帆船フェロシーミャ号は港を離れ、沖合へ陸に沿い進路を西へ向けた。往路とは違い穏やかな波の上を行く船上で、一行は波や遠くに浮かび陸地の影を眺める余裕ができた。だが、そんな 和やかに過ごせたのは一刻ほどで、前方に正体不明の船影を発見するまでのことだった。
 国旗を掲揚することなく、所属を示す記章も何も付けていない不審船はこちらに真っすぐ向かってくる。それはこちらの回避行動に合わせ進路を変えてくる。この船にこれ以上大きくかわして逃げるほどの機動性はなく、やがて、正面からの衝突待ちといった状態に陥った。
「船長、進路をそのままに保て」
 オ・ウィンの声に船長とその傍にいた操舵手が唖然とした表情でオ・ウィンを見下ろした。操舵手は慌てて前に向き直る。
「俺が何者か聞いているな?俺が先方に乗り込んで、他の船に手を出すとどうなるか奴らに教訓を与えてくる」
 船長が頷く。しかし、顔は少し引きつり気味だ。
「怖がることはない。先方も協力してくれるさ」
 船長は一度深呼吸をし頷いた。
「進路をそのまま維持、総員衝突に備えろ」
「隊長、何かありましたか」甲板下のエヴリーにも回線を通じて船上での動きは流れている。
「ちょっとした余興だ。気にすることはない」
「了解です。くれぐれも先方を滅ぼすことないよう気を付けてください」
「わかっている。まったくストランドは年寄りをどこまでこき使う気だ」
 オ・ウィンは大太刀ユウナギを呼び出し、舳先に立った。戦闘に備え刀身を甲板に這わせる。オ・ウィンの体が子供になってもその刀身の長さ大きさは変わらない。そのため柄をしっかりと握りしめることはできなくなってしまったが、その力は変わらない。跳ねまわりながら大太刀に振り回される子供に見えるかもしれないが、その立ち回りを捉えることができるのはごく一部の者に限られる。
 フェロシーミャ号は回避行動を取ることなく不審船に向かい突き進む。帆を担当する船員たちも全員甲板に降り膝をつき体勢を低くする。
「衝突に備えろ。何かにつかまれ」船長が叫ぶ。
 正に舳先同士を突き合わせる直前に不審船側が回避行動を取り、激しい衝突はなく、お互いの船腹をこすり合わせる結果となった。耳障りな音と共にフェロシーミャ船の舳先に擦られ不審船の船腹が削られ木っ端が宙に舞う。皆が揺れに耐えるため船体にしがみつく中で、揺れるフェロシーミャ号からオ・ウィンの姿が消えた。
 次に彼が現れたのは不審船の船首側甲板である。着地時に一瞬動きを止めたオ・ウィンの姿に傍に居合わせた船員が気付いたが、その子供の姿に攻撃を躊躇した。船員は子供を手に掛けることをためらったわけではない。このような状況で敵対者ではなく子供の姿を目にした自分の正気を疑ったのだ。当然の反応かもしれないが、この時はそれが命取りとなった。ユウナギで袈裟懸けに打倒され甲板に倒れた。その横にいた男は薙ぎ払われ船べりに叩きつけられる。
そのまま立ちはだかる船員たちを打ち倒しつつ突き進み舵輪を破壊する。操舵手は破壊された舵輪を抱きしめたままマストに背中から激突した。それでも操舵手は最後まで舵輪は手放さなかった。
 フェロシーミャ号に取り付くため鉤爪を手に待機していた船員たちは、ユウナギにより突風にさらわれるように上空へ打ち上げられ、上層の帆桁に打ち付けられた後甲板へと落ちた。鉤爪は帆布に食い込み幾条にもそれを引き裂いた。
 同じく乗り込むため待機していた船員は、ユウナギに打たれた力により生気を失った目つきで突然コマのように回転を始める。彼らは握りしめた片刃の曲刀で帆桁が繋がれた手綱や、まだ無事な仲間をその刃で傷つけた後、足をもつれさせ転倒した。
 手慣れたはずの襲撃がなすすべもなく失敗し、手下たちが四方八方に叩きつけられ果てには船の破壊を始める。誰もそれを止めることもできず、自らも守ることができない。不審船の船長は尋常ならざる力の介在を確信した。しかし、それで何ができるわけでもない。手下同様にユウナギで殴りつけられその場に崩れた。
 帆船同士のすれ違いが終わる直前にオ・ウィンは船尾側へと戻った。フェロシーミャ号の船員、特別部の僧兵たちは立ち上がり呆然として漂い去っていく不審船を眺めている。
「終わりましたか?」とエヴリーの声が頭蓋内に響く。
「問題ない。距離が離れる前に先方に連絡を入れておいてくれ」
「了解です」
「急速離脱!」船長の声に棒立ちになっていた甲板員達が四方に散る。
「甲板員以外の者は船体の損傷の程度を確かめろ」
 船員たちの雄叫びが上がる。ほどなく、船員たちの状況報告が上がり始める。それによると損傷は軽度、浸水もなく帝国までの航行に支障はないようだ。
「あれは何だったんです」ケレ司祭が声をかけてきた。
 司祭の顔は蒼白で若干苛立っているようにも見えた。そして、恐れているようにも見えた。無理もないだろう。ある程度荒事に慣れているはずの船員たちも事の成り行きに棒立ちになってしまったほどだ。
「この辺りを徘徊している海賊だろう」
「どうして、この船を……」
「おそらく、待ち伏せだろう。何者かに金でも掴まされてこの船を襲うよう指示に違いない」
「オ・ウィン殿はあの船も私たちに対する刺客であるというのですか?」
「明らかに商船ではない外国船を狙っても金にならないだろう。奴らは金で動く、道楽でも慈善事業でもない」
「間違いということはないですか?」
「君もこの船の帆に何が描かれているかは承知しているだろう。奴らはそれを承知で襲ってきた」  
 オ・ウィンは頭上の帆を指差した。そこには帝国の国章が描かれている。
「奴らについてはネブラシアに通報を入れておいた。追って捕縛にやって来るだろう」
「あなたという人は何者なんです。ホテルの襲撃犯を苦も無く倒したと思えば、今度はすれ違いざまに海賊を殲滅して見せた」
「殺してはおらん、すべて峰打ちだ。起きるのに少し時間がかかるかもしれんが、それはネブラシア側に任そう。俺は陛下から大層な肩書を頂いてはいるが、長生きが災いしていろいろと面倒を押し付けられているだけの男だよ。こんななりになっても二百年それが続いている」
 オ・ウィンは笑ったが司祭は笑えなかった。


「つまらん小芝居や手加減などは必要ない。存分に暴れてくれ」リズィー・ストランドは静かに告げた。
「俺のことを知るお前の言葉とは思えんな。冗談なのかストランド」
 オ・ウィンは見張り台の上でストランドの言葉を思い返した。彼が冗談を言う男ではないことは誰もが知っている。
「君のことを知っているからこその頼みだ。君の神鳴る力を見せつけてやってくれ。不届き者に己が企みがなすすべもなく叩きつぶされていく様をみせてつけてやってくれ」
「これはまたずいぶん買われたもんだ」
「かつて、君はあの塔の主に一太刀浴びせかけることができた、そしてまだ生きている唯一の人物なんだからな」
 この件はオ・ウィン自身は武勇伝だとは思っていない。むしろ悪夢の扱いである。
「私は期待しているんだ。君の力により引き起こされる困惑から混乱、それが恐慌へと発展する様を、そしてその先にあるのは焦りや恐怖による視野狭窄。普段は冷静であった者も一旦その渦中に嵌れば簡単に過ちを犯す」
「そんなにうまくいくものか?とりあえず、証人は生きたまま連れ帰るつもりだが……」 オ・ウィンは帆柱の上部に設置された見張り台で一人呟いた。
 外洋の海水は帝都の港湾部と違い、波が砕けて海面が燐光を放つという現象が起きない。船はただ柔らかな波の音ともに闇を進んでいる。オ・ウィンが見張りを買って出たのは人目を避ける場所が欲しかったからだ。船員たちは少し戸惑ったが、彼を知る船長はそれをすぐに受け入れた。
「そちらはどうですか?」
 しばらくして、エヴリーの声が頭蓋内に響いた。
「眺めはいいぞ。高い所は最高だ」
「煙のようなことを言いますね。警戒は怠らないようにお願いしますよ」
「馬鹿なのはわかっているが、やるべく事は心得てる。パリンシはどうしてる?」
「船の衝突には驚いたようですが、すぐに落ち着きました」
「どちらに付けばいいか。奴にもわかればいいんだが……、ところで、何かあったか?俺の声が聴きたくなったわけではないだろう」
 オ・ウィンは刹那乾いた笑いを感じた。エヴリーのいつもの対応である。
「ネブラシア側から連絡がありました。概ね隊長の見立て通りです。賊はネブラシアの元軍属で除隊後、仕事にあぶれて現地の組織に入った連中です。帝都でも見かける輩です。渡されたイヤリングで指示を受け現場へ突入、結果は知っての通りです。雇い主の組織も拘束済みです。こちらとの繋がりも認めています。襲撃に使われた帆船も確保、現在港まで曳航中だそうです」
「上々だな。あとはあちら側に任せるとしよう」
「あぁ、後、先方が帆船内の状態を耳にして、こちらの損害を心配してしました」
「病院送りは多いが、殺してはいないぞ」
「乱戦を心配していたようです。あれが一人の仕業とは思えなかったのでしょう。こちらはさしたる被害もなく離脱に成功、お気遣いありがとうございますと伝えておきました」
「ありがとう、助かる」
 右舷で水音がしオ・ウィンはそちらに視線をやった。波間に幾つものヒレが見受けられる。小型の水竜の群れが船と平行に泳いでいるようだ。彼は群れが海に潜り姿を消すまでその泳ぎを眺めていた。
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