書を集めに街に出よう 第1話

文字数 5,155文字

 魔導師ラン・ディアスがまだ子供だった頃に聞いた昔話の一つに、異界から来た旅人の旅行記があった。不意にこの世界へと迷い込んできた男が、東方を旅した時の体験を皇帝に話して聞かせるというものだった。

 人気の昔話でそれを元に戯曲や小説なども執筆されてきたが、今から五十年ほど前のある日、本物の異界からの旅人が帝国の砂漠地帯に現れた。それは雲ほどの巨大な黒い船━当時の帝国民にはとげやいぼが多数突き出た細長く異様で巨大な黒い塊にしか見えなかった━で、空の彼方から侵入し大規模な砂嵐を巻き起こし、船体を砂に深くめりこませた後に停止した。

 やがて、彼らは砂に埋まったまま動かなくなった船の周辺での居留を認められ、今では属州を含めて帝国内での自由な移動の権利なども得ている。彼らが帝国に受け入れられたことについては、その容姿がこの地の人々と大差がないことや、その交渉能力や態度などによるとことが多い思われるが、ディアスとしては件の昔話も大きく影響しているのでないかと思っている。

 初期の交渉役として活躍した武官の名にちなみコバヤシと呼ばれるようになった今も、彼らは相変わらず砂漠で暮らし、元いた世界へ帰るための研究を続けている。その一方で彼らと帝国との交流は進み、様々な技術が帝国へともたらされ、受け入れられている。

 

 穏やかな陽光の元、帝都旧市街西部ザツィットにある帝国競馬場では、彼らがもたらした物の一つである鉄馬によるレースが開催されている。

 鉄馬はコバヤシの技術により作られた鉄人形の一種である。馬と言ってはいるが、それは二本脚で鉤爪のついた三本指の足で駆け回り、後部にはしっぽではなく尾羽に見える飾りが付いている。そのため見た目は首のない巨大な鳥である。操縦は御者席にある手綱を模したレバーと足元のペダルによって行われる。

 生きている馬より少し高価ではあるが、日々の世話の心配はなく水さえ入れておけば元気に動くということで警備隊などの公的機関が導入を始め、最近は帝都の新し物好きの貴族など上流階層を中心に普及を始めている。

 今回は機械好きで知られるアイオミ公爵家の次兄ギルワード卿の発案で開催されたチャリティー企画である。卿自身が辺境警備隊へ派遣され長期勤務に入る前に、遊び仲間とひと騒ぎしようというのが本音ではあるが収益は帝都正教会へと寄付される。

「一度見てみたかったんだ。数ある鉄馬の中でどれが一番早いのかをね」

「俺もそれには興味がありましたが、おかげで大忙しですよ」ディアスの声に特化隊隊員デヴィット・ビンチは軽く右側に目をやった。

「ディアス殿、よく、執務室から出てこられましてね」

「君達の隊長オ・ウィン殿のおかげだよ。彼は出張らしいね。それでわたしにお鉢が回ってきたんだろうな」

「ええ、隊長も興味はあったらしく、結果はすぐ伝えろと言い残して西方視察団について行きましたよ」

 二人は軽い会話を交わしながらも、観客席の観察は怠らない。ギルワード卿が仕掛けたお祭り騒ぎに乗って、通常時を遥かに上回る観客が押し寄せている。賓客や正教会関係者も多数来訪していることに伴い、警備は増強され警備隊や公爵家や他の騎士団の騎士が多数配置されている。ビンチが在籍する魔導騎士団特化隊からも彼が派遣され、帝国魔法院のディアスも応援にやってきた。
 
 二か所のコーナーには鉄巨人とヘッドセットをつけた操縦手が配備されている。鉄巨人は今回の警備の目玉で鉄馬の代理店でもある旧市街のハンセン・ベック社を介してコバヤシ側から借り受けたものである。背丈は人の倍以上あり、左腕には六銃身の回転砲と狙撃用の大口径単発銃が装備されている。借り物のため紋章などは入っておらず、艶消しの黒で塗装されている。

 色とりどりの鎧や鎖帷子の面々が警備にあたっているにもかかわらず、騒ぎが絶えることはなく、様々な案件の報告が通信石を仕込んだゴルゲットを介し飛び込んでくる。これも魔法とコバヤシ技術の融合の一例である。幸いディアス達が陣取るこの区画は今のところ目立った騒ぎは起きていない。もっとも大剣を携えた強面の大男と白頭巾と白法服ディアスが控えていればつまらないことをやる気などすぐに失せてしまうだろう。

 レースの開始を告げる華やかなファンファーレが場内に響き渡る。アイオミ公爵杯鉄馬特別レースの開始である。
 ゲート内の騎手たちが順に紹介され、おのおのが観衆、そして貴賓席に向かい敬礼をする。 

「いよいよだな」

 ラッパの号令を合図にゲートが開き鉄馬が駆け出していく。第一コーナーを抜け前に出てきたのはアイオミ家を含む名家と呼ばれている四家の鉄馬、その後に白塗りの正教会特別部、少し遅れて白と青の皇家騎士団さらに離れて帝都警備隊、他騎士団が続いている。

 第二コーナーを抜けたところでラーソン家の鉄馬が足を滑らせ後退、アイオミ、イワース、スベンソンの順で向こう正面の直線へ正教会特別部はじりじりと追い上げていく。

「特別部やりますね」

「彼らは何をやるにも本気だよ。それに正教会は家柄など気にもしない」

 最終コーナーを最初に抜けたのはイワース家の赤と黒、次にアイオミの白に赤鉄馬だった。両者そのままの順位でゴールかと思われたが、スベンソンの猛烈な追い上げで勝者が決まった。正教会特別部は追い上げ及ばず四位に終わった。

 三馬によるウイニングランが終了しても、場内の興奮は醒めることなく、賞典台で表彰式が始まった。レースからの緊張から解かれたギルワード卿とその友人達は、場内の興奮に今更ながら圧倒されていた。貴族という立場上ちやほやされることはままあるが、これほどの騒ぎはなかなかないからだろう。

 旧市街の新聞記者や競馬関係者に囲まれ、観客注視の中ギルワート卿の父親であるアイオミ公爵が馬車で到着した。彼は今回の企画の支援者の一人で勝者を称えるためにやってきた。公爵は客車から降り立つとまず貴賓席に向かい礼をし、一般客に向かい大きく手を振った。そしてコバヤシ提供の拡声器へと向かった。

 満場の観客に対して公爵が息子達そして他の参加者、協力者を称える演説を展開し、それに観客の眼が集中する中、小脇に本を抱えた若者が公爵へと近づいて行った。それは公爵をここまで連れてきた馬車の御者だった。彼が抱えた本は薄黄色の光を帯びているように見えた。明らかに魔導書である。それに気が付いたのはディアス達を含めた少数だっただろう。それに不穏なものを感じたのはさらに少なかったに違いない。

 御者は公爵の傍まで行くと、抱えていた本を足元に落とした。本は一瞬黄色く輝いた後地中へと吸い込まれていった。

「その御者を取りおさえろ。アイオミ公爵の後ろにいる御者だ!」ディアスがゴルゲットに向かい叫んだ。

 賞典台で警備にあたっていた騎士や警備隊員がその声に反応し詰めよったが、御者の方が早かった。地面が沸騰したかように泡立ち、そこから泥でできた腕が湧き出して来た。地面から這い出す亡者のようにゆらゆらと揺れる何十対もの泥の腕。それは賞典台に居合わせた者たちの足に掴みかかり、両腕を使ってその身体によじ登り始めた。上に登るにつれ泥人形の他の部位もあらわになる。虚ろな眼窩に細い腕と骨ばった身体。粘土で乱雑な肉付けをされた地獄の亡者といった雰囲気だ。

 泥の人形に抱きつかれた恐怖と、その重さに耐えかね競馬場関係者などの一般人は抵抗することもなくひざまずき座り込んだ。身体を鍛え、訓練を受けてきたアイオミ公爵やギルワード卿と友人達、騎士や警備隊は、まだしばらく耐えていたが泥人形が三体、四体と増えてはどうにもならずついには膝をついた。

 それらは競馬場内の土のある場所のすべてで起きていた。賞典台での危機に駆けつけた者はあえなく泥人形に囚われていった。泥人形は一体では弱い存在だった。騎士などが剣で攻撃すれは簡単に断ち切れ土へと戻る。しかしすぐに別の泥人形が湧き出してくる。そのペースは恐ろしく早く、皆武器を取られその動きを封じられた。

 今回警備の目玉とされていた鉄巨人も素早く砲口をふさがれ、大量の泥人形に絡まれ何もできないまま操縦手と共に沈黙した。

「援護お願いします」ビンチはそう告げると同時に観客席を走り降りた。手にした漆黒の大剣の刃がオレンジ色に輝き始める。

「わかった。無理はするな」

「了解です」

 観客席の手摺をを乗り越え、泡立つ地面へ降り立つ。地中より彼を出迎えるべく何対もの腕が湧き出してきた。ビンチは大剣を力任せに地面に突き立てた。

 剣はビンチの要請に応じ、その中に宿る力を示した。彼の周囲の地面は乾き、水気を失った泥の腕はひび割れ動きを止めた。ビンチの剣の力は熱を操る事、その力をもって泥人形を不気味な彫刻へと変えた。次いでビンチは巨大な剣で地中から生えた腕を刈り取り、後には腕の切り株が残った。

 泥人形を無事抑え込んだと思われたがそれも一瞬のこと、泥の拳が固められた地表を叩き破り新たな泥人形が姿を現した。泥人形はビンチを要注意人物と見たか、彼の周囲に殺到をした。

 地への一撃で泥人形を乾いた彫像に変え、次の攻撃で刈り払う。ビンチの行動により彼の付近にいた者達は泥人形の拘束から逃れることができた。他の者よりは遥かにうまく対処しているがビンチだったが、賞典台へと向かうことはままならない。

「一旦退け!きりがない」ゴルゲットからの声が頭蓋内に響く。今回の総合指揮官パウエル卿の声だ。

「了解」

 ビンチは退路となる観客席への入り口を確認し、そこに向かい強烈な剣戟を繰り出した。入り口に多少の焦げ跡は付いたが、間に合わせの舗装道路は完成した。次に足元へ渾身の一撃を放ち周囲の地表を固めた。

「今のうちに逃げろ!長くは持たん!」

 泥人形が乾き硬直したことにより、その戒めを解くことができた者たちはビンチが作り出した舗装道路を駆け出していった。ビンチも泥人形の破壊を手伝い後を追った。

 ビンチの背後で土塊がはじけ飛び、地中より再度泥人形が這い出して来る。泥人形は泥の津波となり彼に向かって押し寄せる。道路は両脇から崩壊を始め、泥人形がビンチを狙ってうごめき手を伸ばす。その手がまさに足くびに掛かろうとした時、周囲に火球の雨が降り注ぎ、その一つ一つが爆発する。煌めく閃光と文字通り身を焦がすほどの炎。泥人形が沈黙しても炎にまかれる危険が出てきた。ビンチは剣による加護を頼りに炎の波をかいくぐり、入口へと飛びこんだ。

「やり過ぎですよ」

「問題ない。君が最後だったからな」ディアスがゴルゲット越しに答えた。

 そうじゃない。ビンチはその言葉喉の奥に押し込め別の物を出した。

「状況はどうなってます?」

 今、ビンチのいる出入り口から見えるのは炎により焼き固められた泥人形の残骸しか見ることができない。

「君が解放した者も全員無事だ。しかし、賞典台と他の出入り口から出た者が取り残されているが、この状況ではあまり派手なことはできない」

 やったじゃないか。これを言葉に出さない分別はある。

「そこからあの御者を狙えませんか?」

「ここから……」そこで通話がざわつき始めた。
 何かが起こっているようだ。様子を確かめるためビンチは建物内へ、内部の混雑をかき分け状況が確認できる観覧席へと向かった。

 逃げ出す観客でごった返す中をかき分け、ビンチは人もまばらになった観客席へやっとのことで到着した。皆が注視する方向へと目を向けると御者の周囲に変化が起こっていることがわかった。泥人形が御者を守るように取り巻いている。それに加えて彼の足元の地面が盛り上がり、円柱様の台座に載っている形になっている。アイオミ公爵を始めする賞典台付近にいた人々は足元を拘束されたまま取り残されている。

 騎士団の銃兵が御者に対し銃撃を開始した。しかし、それらは御者の取り巻く泥人形にめり込むだけで彼に到達することはなかった。

「武器を手放せ、抵抗は無意味だ」くぐもった声が場内に響き渡る。

 拡声器を介した音声のため多少の歪みはあるとしても、これは人の声ではない。

「この場は我が掌握した。我の命に従え、従わぬ場合はこれらの者たちの命はここで潰えるだろう」御者の腕が動き、公爵やギルワート卿、他の泥人形に囚われた者を順に指示していく。

「我に従え……」
 何者か不明であるが、それがこの襲撃の張本人であることは間違いなかった。
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