第7話

文字数 4,152文字

 朝一番のベレロフォン担当班による打ち合わせからウィルマンが席に戻ると、机の上に封筒が置かれていた。見るからに分厚く上等な紙が使われている。宛名は「ハンネ・ウィルマン様」だ。ウィルマンは封筒を取り上げ裏返したが差し出し人の記名はない。封蝋の紋様も文具店で売られている量産品だ。
「なんだ。それは」ピリショキがウィルマンの動きを目にして隣にやって来た。
 周辺の同僚に声を掛け訊ねてみたが、誰も「知らない」と首を横に振るばかりだ。
 封筒が湧いてくるわけもないのに不思議なことだ。
「……開けてみるか」
 ウィルマンは込み入った机の引き出しからペーパーナイフを探し出し、封蠟を慎重に剥がした。中に入っていたのは三つ折りにされた手紙が一枚で「おはようございます」の挨拶から始められている。
「知り合いから耳にしたお話なのですが、アレックス・クオファラ様への再度の聴取をお勧めいたします。彼とその御家族には悪意あっての事ではないと思われますが、ローラ様の死について虚偽の供述がなされている疑いがあります。ベレロフォンの件にも大きく関わる可能性がありますので是非ともご検討ください」
「彼が母親の転落事故について嘘をついている……可能性があるとさ」ウィルマンは声に出し手紙の内容を要約する。
「どうする?」
「……もう一度行ってみるか」

 アレックスとの面会を求めてクオファラ家に向かったウィルマンとピリショキの二人だったが、使用人に案内されたのは彼の一家が営む宝飾店だった。ローラが亡くなってまだ一週間と経っていないが店は通常営業となっていた。
「葬儀を済ませたのに店をいつまで閉めたままでいるつもりだ、と母が怒鳴りに戻ってくるかもしれません。わたし達とすればそれもまた歓迎ですが……」アレックスは二人の顔を覚えていた。
「どうぞ、奥へ」
 店にやって来た二人をアレックスは奥の執務室に招いた。
 普段はここで商談が行われることもあるのだろう。部屋の中央には低いテーブルと革張りの長椅子が二脚置かれている。二人はその片側を勧められ、アレックスは対面の席に腰を下ろした。アレックスはウィルマンから今回の訪問理由を告げられて驚き、少しの間を置き安堵の表情を浮かべた。軽く息をつく。
「……あなた方からそれを聞かれてよかったと思います。母の死にベレロフォンが絡んできて、わたし共もどう切り出せばよいか悩んでいましたから」とアレックス。
「ですが、妻や使用人の発言はわたしの指示に従っての事です。責任はすべてわたしにあります」
「わかりました。では、あの夜お宅で何があったのか。包み隠さずお話いただけますね」とウィルマン。
「はい、実はあの日の夜に自宅で内密の大きな商談の予定がありました。近東の業者を夕食に招き、その席で商談の段取りを整えていたのです。母もそれが気になって仕方なかったのでしょう。何しろつい最近まで店を仕切っていたのですから、そこで様子を見るため無理をして一人で二階から降りようとした」
「そこを潜んでいたベレロフォンに狙われた?」とピリショキ。
「それについては未だ腑に落ちないのです……」
「どういうことです?」
「物音に気づいたわたしが階段の下に駆けつけた時はまだ母は息がありました。そこでわたしは妻や使用人達は食事の準備を一時中断し、タトヴァラ先生を呼ぶように指示をしました。ですが、母が「止めなさい!」と叫んだんです。自分をどこかに隠して商談の準備を進めろと、あの商談の成功が無ければ店は死ぬと……」当時の状況を思い出したかアレックスは言葉を詰まらせた。
「ローラさんから何があったか聞きましたか?」
「はい、聞きはしましたが、階段をおりようとして足を踏み外した、大事な時に迷惑をかけてすまないとそれだけでした。母自身も自分の不注意で起こった事故だと思っていたようです」アレックスは顔を伏せ片手を目に当てた。
「それから間もなく母は息を引き取りました。わたし達は母の言葉通り、母を書斎に隠し商談に挑みました。それが終わると同時に警備隊に通報し、タトヴァラ先生を呼びました。そして、彼らが来るまでに家の者全員で口裏を合わせる打ち合わせをしたのです」
「そんなことがありましたか。よく話してくださいました」とウィルマン。
「それだとおかしなことにならないか」ピリショキの声にならない呟きが届いた。
「何が」ウィルマンが声に出さず応じる。
「アレックスや使用人達が物音を耳にしてすぐに階段下に駆けつけたならベレロフォンもまだ傍にいたはずだ。その時、彼女はまだ生きていた。その時のやり取りを見ていたなら、なぜ奴はそれに言及しない」
「自分の犯行であることだけを伝えたかったんじゃないか。事故ではなく殺人だと告げるだけでいい。いや……待ってくれ。確かに変だ」
「アレックスさん、もう一つ聞かせてください。その商談いつ始まりましたか、そして終わったのは……」
「八刻ほどでしたか、母が息を引き取って、間を置かずにウラスさんが使用人を連れてやって来て、それで急いで母を書斎に移しました。あれこれ話し合っている暇などありませんでした。それから一刻半程してお開きとなりました」とアレックス。
「彼らが口裏を合わせたのは食事の後からだ」ウィルマンは相棒に声を使わず告げた。
{あぁ」
「ベレロフォンも彼らの口裏合わせをなぞっている。奴がなぜそれを知っている。彼らが通報するまで奴も屋敷でじっと待っていたなんてあり得んだろ」
 ローズによれば内部犯行の可能性はない。こちらは消えた使用人などもいない。
「……それは」
 突然、ウィルマンの頭蓋にけたたましい衝突音が響いた。思わず両耳を庇い手で押さえた。隣でピリショキも歯を食いしばり同じく耳を押さえている。アレックスが何事かと驚き身を乗り出している。
「あぁ、ご心配なく」ウィルマンは左手でで頭を押さえつつ、空いた右手をなだめるように前に差し出し笑みを浮かべた。
「問題ありません。別の場所で何か大きなやり取りがあったようです」
「はぁ……」
 ゴルゲットの向こうから激しいやり取りが伝わってくる。
「ジセイ・キハチの身柄を確保!」
 同僚たちの興奮が伝わってくる。ややあって翡翠の麻雀牌が見つかったとの報が入って来た。通信網内は歓喜に湧いていたがウィルマンはその輪の中に入ることは出来なかった。

 キハチは湾岸中央署に連行されてすぐに取り調べが行われた。
 キハチの目的は最初から盗みだった。そのために偽造された推薦状を手に入れフレイベル家に入り込んだ。奉公先はある程度裕福であればどこでもよかったようだ。何度か住み込みの使用人として働いたことがある為、料理以外はそつなくこなすことが出来る。しばらく働いてただ飯を食い、金目の物を盗み立ち去る。彼はそうして、帝国やその周辺を回り過ごしていた。翡翠の麻雀牌も盗んだこともあっさりと認めた。
「だから、俺はあの人を殺してないって言ってるだろ。俺が入った時はもう死んでたんだよ」キハチによる五回目の解答だ。
 尋問担当のヴィタンは手を変え品を変えキハチを問い詰めている。彼はその都度否定する。
「確かに俺はあそこに盗みが目的で入ったよ。それで、金目の物がないか探しているうちに、あの翡翠の駒も目をつけた。あの人が仲間とよく遊んでいたのをみていたからな」
「それを盗み出そうとしたところを見つかって殺した」
「殺してない」
「あの時は本当に手紙を届けに行ったんだ。そうしたらあの人は床に転がってたよ。これはもう息がねぇと見ただけでわかったよ」
「それで?」
「誰かに知らせようと思ったが……あの人の死体の上の封筒が目についた。ベレロフォンからの封筒だよ。それで奴の犯行に便乗しようと思ったんだ。だから、翡翠の駒を持って逃げた」
「こいつは馬鹿か、それじゃ便乗にならんだろ」ピリショキの突っ込みが響き、同調する笑いがこだまする。
「ん……どこから逃げた」
「窓から」
「お前が開けたのか?」
「もう開いてた」
「嘘じゃないだろうな」
「本当だよ。もう開いてたんだ」
 クオフォラ家を出たウィルマン達は再度フレイベル家にやって来ていた。キハチに対しての取り調べ中継が頭蓋に響く中、ワルタリと共に屋敷の裏手へ回った。
 整備された庭の表側と違い、こちらは野放図な雑木林だ。通路には表面が整えられた様々な大きさの石が埋められているが、その脇まで雑草が迫り踏み分け道に近い状態となっている。
「こちらはあまり使われていないんですか」とウィルマン。
「はい、こちらには何もないため……つい草刈りなどの整備が後回しになってしまいまして……」ワルタリは気まずそうに言葉を詰まらせる。
 会話を交わしながら歩く間も通路に張り出した草葉が脚に擦れて音を立てる。
「草刈りといっても誰でもできるわけありません。それにまとまった時間も必要になりますし」
「なるほど……」
 ウィルマンは言い訳を続けるワルタリが気の毒になってきた。
「あぁ、あれがダミアンさんの書斎の窓ですね」ピリショキが手前の窓を指差した。
「はい、そうなります」
 間の悪い会話はこれで中断となった。両開きの窓は十分に広く、さほど高いわけではない。邪魔になる草もそこまでは届いてはいない。ここからなら容易に飛び出すことができるだろう。
「この道の先はどうなっていますか」ウィルマンは訊ねた。
「まっすぐ行けば裏口へたどり着きます」ワルタリは前後の指で示した。
「裏口、ここからなら誰にも見つからず外へ出られますか」とピリショキ。
「はい、そうなりますね。この先は窓の無い物置で……ゴミ置き場、屋敷の勝手口ですので」
 ワルタリを先頭に先へと進む。彼の言う通り窓の無い漆喰の壁が出口に向かって続いている。先を行くワルタリが擦って跳ねた小枝がウィルマンの前で揺れている。そこにひも状の何かが絡んでいるのをウィルマンは目に止めた。枝の動きを止め、それを手に取ってみる。 
「何だこれは……」
 それは砂色で薄いぼろ布の切れはしのように見えた。ウィルマンはその正体に心当たりがあった。確認する必要がある。ウィルマンはそれを助言者から届いた封筒の中にしまっておいた。
 それから先を歩いているピリショキとワルタリを追い裏口に向かい駆けだした。
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