第6話

文字数 3,574文字

 アンディー・スニーフの居室の床に敷いてあった絨毯は近東製と見られ値打ちものだったに違いない。だが、今はたっぷりの血を吸い見る影もない。滲み込んだ血で赤黒く大きなシミが出来てしまっている。スニーフもしくは他の誰かがここで何者かに襲撃され連れ去られたのは確実だろう。出血の量から見て既に死亡していることだろう。

 名無しジョーがスニーフなら殺害の事実を隠すために連れ去られたのは理解できる。よくあることだ。遺体が見つからないように捨てたつもりでも、露見することも珍しくない。しかし、再度盗み出すことは珍しい。それほど大事ならなぜ捨てるのか。

 アーランド達はそこを突き詰める証拠がないか自分の手で確かめたいが、対象が魔導師であることもあって、この部屋の捜索に当たっているのは魔法院から派遣された魔導師の一隊だ。防御装備で身を包み分析機器を携えて室内を忙しく動き回っている。魔導士部隊の突入から安全確認を終え、アーランドとジェロダンを始めとする警備隊の面々はようやく室内に立ち入ることが許された。しかし、まだ自由に動き回ることは出来ず、手持ち無沙汰に白い魔導師の集団の動きを追っているだけだ。

「帝都って魔法の取り締まりは厳しいはずですよね。どうしてこんなことになるのか」

 壁際に立つアーランドは小声でつぶやいた。ここは旧市街の古びた共同住宅の一室で、この部屋に魔導師らしさはなくスニーフの拠点は別にあるようだ。寝室兼書斎といったところか。

「そんな建前通り行けば、わたし達の仕事も大半は署でお菓子を食べてお茶を飲んでいるだけでよくなるわ。取り締まっても隙間を抜けてこぼれ落ちて来るものがある」

「それを拾い集めるのが俺たちですか」

「わかってるじゃないの」

 自分たちでは手は出せずじっと待つ時間がしばし続いた。白い防護服の一人が整理していた書類の中から何か発見したようだ。監督中の責任者に書類を一枚手渡した。そして何か話し合っている。アンディー・スニーフはきちんと仕事の記録を残していた。部屋にある書類の大半は仕事の詳細と金銭のやり取りを記した帳簿類だ。それならアーランド達でも扱えるのだが、ここは魔導師の居室である。何が仕掛けられているかわからない。耐性のない彼らがうっかりそれに触れて暴れる、倒れるなどすれば手間が増えるだけだ。

「これは速やかに共有しておいた方がいいですね」

 魔導士隊の責任者がやって来た。マスクと防護眼鏡まで掛けているため顔はよくわからないが声で女性であることを察することは出来る。さっき部下から渡された書類をジェロダンに差し出す。

「紙に危険はありません。だた、書かれている名前が気になります」

 紙上には四人の名前が書き止められている。アーランドはつい最近耳で聞いた名前が混じっているのを認めたが、それがどこだったか思い出せない。

「この中の三人は既に死亡しています」責任者の女性。「今、あなた方と合同で捜査をしている黒い魔人、新聞紙上で切り裂き魔と報道されている一連の事件の被害者です」

 なるほどとアーランド。その事件なら署の多くの人員が割かれ捜査に当たっている。

 突然目の前に現れた魔人に奇怪な剣で体を切り裂かれる。そんな犯行が立て続けに三件起き合計で四人が死亡、一人が負傷している。

「どうしてここにあの事件の被害者の名前が書かれた名簿があるの?ジョーも何らかの関係がある……ジョー、スニーフも被害者?でも彼の名前は載っていないし、手口はまるで違う」とジェロダン。

「関係はともかく、まず署に知らせて残りの一人を保護して話を聞くのが先決じゃないか」とアーランド。「ジョーが一連の事件に何らかの関りがあるのなら俺達も一緒に動くことなる」

「確かにそうね」

 ジェロダンはイヤリングの回線を繋いだ。のんびりと立ち合いをしている時間は終わった。 



 インヴァソ・ディレニョは病室の寝台に腰を掛けなおし証言を始めた。

 雇用主であるルーリー・ミゥーラーと他三人を殺した犯人に心当たりはないが、次に狙われそうな男なら知っていると言った。ミン・スタニョスという男で殺された三人と組んで合同会社を立ち上げる予定だった。港の酒場を根城にしている。

 警備隊の別動班からもミン・スタニョスの名前がビンチ達に告げられた。別の遺体盗難事件の捜査に当たっていた隊士が、死亡したと思われる魔導師の自宅で彼らの名前が綴られた名簿を発見した。

 今のところこの魔導師の関りは不明である。ビンチ達を含めた合同班はスタニョスの酒場に赴くことにした。今はスタニョスが切り裂かれ、床に転がっていないことを祈るばかりだ。ビンチとしてはごろつきの生死など知ったことではない。だが、目的達成で一連の事件が収まるなら犯人に逃げられる可能性がある。スタニョスが最後の一人なら後のことも考え生け捕りにする必要がある。

 合同班がスタニョスの酒場に到着したのは夕暮れも間近な時間だった。しかし、酒場の扉は閉ざされていた。表も裏もしっかりと施錠されている。通りに面した表側の窓に取り付けられた鎧戸からは僅かに光が漏れている。無人ではなさそうだ。それでもこの時間に店を開けていないなど考えにくい。

「どうなってる?」ビンチの声が頭蓋内に響く。

 回線内に飛び交う困惑、これまでの犯行で魔人は建物の施錠などしてはいない。ポンテソットの部屋は彼自身が施錠した。魔人には鍵など関係ない。目標の前に現れ、目的を果たせば去っていく。

「中の様子を見る必要があるな」ビンチは大剣クルアーンを召喚、フィックスも薄紫に輝く細剣ナルカミを呼び寄せる。「突入は特化隊の俺達二名に任せてくれ。他は出入り口を固めてくれ。ただし、魔人は危険極まりない。深追いは避けてくれ」

 了解との回答が頭蓋内にこだまする。

「十で突入を開始する」とビンチ。

 警備隊は酒場の正面扉から退避し、ビンチとフィックスが駆け寄る。三で剣を振り上げ、二、一、両開きの扉の中心に振り上げた大剣を叩きこむ。大剣の分厚い刃と頑丈な閂が衝突する。鈍い衝突音から一瞬遅れ扉が左右に分かれる。ビンチが扉を蹴り開け突入する。

 店内は奥にカウンターがあり、一階客席にはテーブルが並べてある。右側に二階へ続く階段、カウンターの横には店の奥へ繋がる通路と酒場によくある間取りだ。

 普通ではないのは店内の壁に窓、扉に魔よけの札が貼られ、武装した男達が多数集まっている点だ。これからどこかへ出向くつもりだったのか。それとも何かを待ち構えていたのか。

「魔導騎士団特化隊だ」

「やっ……やっちまえ!」左隅のテーブルに座っていた白髪頭の男が絶叫する。

 声がうわづりひどく怯えている様子だ。居合わせた男たちにもそれが伝わり、彼らも躊躇し前に出られないでいる。意を決した一人が前に出る。それに続き三人が飛び出す。さらに三人が後に二人を囲みこむように男たちは殺到するが彼らに敵う相手ではない。

 フィックスは突進してくる男達を交わしつつ細剣で二の腕を叩いていく。その度に店内に破裂音が響き、男が一人ずつその場に倒れていく。命に別状はない。ただ細剣が帯びた雷撃に当てられ気を失っているだけだ。ほどなく、頭目と見られる絶叫男だけが残った。

「お願いだ。命だけは助けてくれ」何か勘違いをしているようだ。

 慌てて立ち上がり後ずさる。

「魔導騎士団特化隊だ」ビンチはゆっくり前に出た.「ミン・スタニョスだな」

 ビンチの目前に黒い靄が湧き出した。

 それはすぐに人の形となった。湧き出す靄が収まり、その姿がはっきりとしてくる。黒いぼろを纏った痩身の男、手にしているのは動くのこぎり刃が付いたマクファティだ。これがすでに四人を手に掛けている魔人に違いない。

 魔人はビンチ達の存在にかまうことなく、スタニョスに向かい剣を振り上げた。彼以外は目に入らないようだ。ビンチは舌打ちをし、渾身の力を込め魔人の背後から大剣を打ち込んだ。左肩口から右脇腹への一撃だ。この世のものでない魔人に手ごたえは薄かった。しかし、とりああえず魔人の刃はスタニョスの眼前で動きを止めた。大剣クルアーンにより肩口より一刀両断にされた魔人は靄のように消え去った。周囲を警戒する。再出現はなさそうだ。

「魔導騎士団特化隊だ。ミン・スタニョスだな。お前を保護しに来た。抵抗しなければ拘束はない」

 ビンチは何度も中断された口上をようやく最後まで通して告げることが出来た。

「悪いがこいつには聞こえてないぞ」フィックスが横に立っていた。

 スタニョスは卒倒し床に倒れていた。股間には嫌な染みが広がっている。警備隊が店内が落ち着いたことを確認し踏み込んでくる。ビンチは顔をしかめ大剣を戻した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み