第4話

文字数 3,588文字

 第二の犯行声明文が複数の新聞社へ到着し、その通報を元に警備隊も動き出した。山羊の胴と名指しされたのは宝石商を営むアレックス・クオファラの母親であるローラだ。当初は自宅の階段からの転落死として処理されていた。捜査担当のウィルマンとその相棒サミー・ピリショキも改めてクオフォラ家と急遽往診の要請を受けたタトヴァラ医師の元へ聴取を向かったが、双方から不審な点は見つけることはできなかった。

 一通目のストックトン氏と今回の二通目クオファラ夫人に対する犯行声明の筆跡と構成はよく似ており同一人物と見てまず間違いない。ウィルマンが気になるのはベレロフォンが両氏の死亡状況を詳細に書き記している点だ。ストックトン氏の場合は衆人環視の下で発生した不幸だった。そのため多くの目撃者がいた。その中には不心得者もいただろうと、多くの者が考えた。ウィルマンもその一人だった。有名な吸血鬼であるアクシール・ローズも絡んでおり、これを機に騒げば目立つと考える輩が出ても不思議はない。ウィルマンがローズからの聴取を提案したのも、彼女から事情を聞けば解決が早いだろうと考えたからだ。彼女は人にはない感覚を持っている。聴取に赴く価値はあると感じた。そのせいで事件を担当することとなり、ピリショキには面倒を掛けることになった。

 だが、事ここに至り警備隊の役目は不心得者に灸を据えるという域を遥かに超えた。ベレロフォンはクオファラ家人、使用人や医師、警備隊などの限られた当事者しか知り得ないはずの夫人の死亡時の状況や死因、遺体の状況を犯行声明に記し、自分が彼女を二階から突き落とし殺害したと述べている。これはベレロフォンが不心得な愉快犯ではなく、事故に見せかけた殺人の実行犯である事を指している。更に声明文では事故の偽装を見破れないと警備隊をあざ笑い、三件目に当たる蛇の尻尾に当たる人物の殺害予告まで明記してある。次は警備隊にもわかりやすいように明確な他殺体を作り出すことを心掛けると警備隊を煽ってもいる。

 ベレロフォンは存在し、そいつは犯罪組織キマイラの幹部を狙っているというのは真実なのか。その手がかりを得るために再度ウィルマンとピリショキはクオフォラ家にやって来たが、得られたのは蒸留酒が加えられた琥珀色の茶のみで新たな情報は少ない。

 わかったきたのはローラの気丈な女主人ぶりか。ローラは夫のミトヤが亡くなった後は一人で宝飾店を仕切ってきた。商工会の会員職も夫から引継ぎ、それについても精力的に努めてきた。これらの職を息子のアレックスに譲ったのも、病気により身体を壊したからに他ならない。彼女は二階の寝室から離れにくくなった後であってもアレックスに終始経営状態の報告を求めていた。

 そんなローラの存在を最も煙たく思っていたのは息子アレックスと思われる。彼もそれを自認していた。だが、その反面ローラからの助言なしで動くにはまだ自信がなく、彼女がいなくなって困るのもアレックス自身だった。そして、彼にはストックトンを手に掛ける理由もない。商工会でのつながりはあるが、それは母ローラの話であって彼はストックトンと面と向かって話をしたことはすらない。芝居も苦手で歌劇場へ出向く事もない。役者の演技を見ているとなぜか気恥ずかしくなり真面目に見ていられないというのが理由らしい。

 このまま捜査が進捗をみないまま蛇の尻尾とされる人物が殺害されることになれば、この件の担当であるウィルマン達だけの問題ではなくなる。既にそんな状況に陥っている気もしないでもないが、その気の重さに僅かな酒で悪酔いをしてしまいそうだ。

 気鬱からため息を吐いたところで何かを感じた。天井を見上げる。立っている者は親でも使えといったか、それも悪くはない。幸い彼女は悪魔ではない。魂をかたに取られることもないだろう。また、手を借りるのもいいかもしれない。



 フレアはキマイラについて東の知り合いたちに話を持ち込み聞いて回っていた。それについての収穫は皆無だった。何事かを企み徒党を組めば、それに関わる情報は自然に耳に入ってくるのが彼らの世界だ。それが利益になるなら便乗や横取りを狙う。競合や害になるなら叩きつぶす。興味が出なければ見て見ぬふり、しかし情報収集は怠らない。そんな彼らの中でもキマイラは名前だけの幻でつかみどころがないようだ。

 これ以上は無益とフレアは東での聞き込みを切り上げ、ベレロフォンの関与が疑われる二件目の事件を追うことにした。ベレロフォンに殺害したとされているのは宝石商の老婦人ローラ・クオファラで、階段から転落事故による死亡が俄かに殺人の可能性が出てきたのだ。彼女の住居は新聞には大まかな所在しか記載されていなかったが、こちらも慰問客や警備隊の存在で容易に見つけ出すことができた。





「ご苦労様、フレア。このお宅ね」

 ローズは塔の居間に置かれていた新聞により二通目の声明文の存在を知った。まだ、帰宅をしていないフレアに連絡を入れてみると、現在被害者の住居に向かっているとの答えが返ってきた。

「はい、今度はこちらのお宅で起こった転落事故が殺人だと騒ぎになっているようです」

 フレアもこちらには到着間もなく、馬鹿馬鹿しいと言外の言葉が響いてくる。ローズも半ば同感だ。キマイラについてはまだこれといった収穫は無く、つまらない悪戯である線も捨てきれない。そのためローズは二通目の内容によっては手を引くつもりでいた。

 とりあえず屋敷内にいる家族、使用人達に軽く当たってみる。一様に彼らは足が弱っているローラが一人で部屋を出て階段から転げ落ちての事故と思っていたようだ。そこにベレロフォンの犯行声明である。青天の霹靂もいいところだ。そして、ローラがキマイラなどという正体不明の悪党の一味とされ困惑と怒りで満たされている。

 居合わせた者たちの意識を走査しているうちにウィルマンに行き当たった。彼とその相棒もここにやって来たようだ。

「少しの間、ここをお願い」

「はい……わかりましたが、どちらへ……」

「……下で少しお話しをしてくるわ」

 ローズは姿を消した。

 

 ローズはクオファラ邸の裏口側に降り、姿を消し隣家の生垣の前で話し相手が現れるのを待った。ほどなく裏木戸が開きウィルマンが姿を現した。少し頭を冷やすと理由をつけ聴取を相棒に任せ外に出てきたようだ。姿を消したローズの隣に立つ。

「こんばんは、あんたも来たんだな。何かわかったかい」ウィルマンは前を向いたまま小声で呟いた。

「少なくともこの中にはベレロフォンはいません。皆さんはローラさんの死を悼み、ベレロフォンに強い憤りを感じています。キマイラについてもまったく心当たりがないようですね」ローズはウィルマンの聴覚に言葉を送った。

 ウィルマンから謝意が流れ込んでくる。とりあえず、これでクオフォラ家関係者は容疑者から外すことができる。安堵と共に展開は次へと進む。

「キマイラね。本当にいるんだろうか」彼も殺人犯としてのベレロフォンの存在を疑っている。「犯行声明の主が作り出した偽物ってことは……」

 だが、声明文に書かれた情報は関係者しか知り得ない事柄が多く含まれている。

「あなたのキマイラも神話ではなくお芝居の方ですか」

「あぁ……」ウィルマンから笑いが漏れる。この男も芝居には興味があるようだ。

「職場に部署は違うが芝居好きがいてね。そいつの話を聞いていたら自分でも一度見てみたくなってね……」

「どうでした?」

「俺は小難しい出し物よりあぁいう芝居の方がいいかな。展開に行き当たりばったりな感は大いにあるが」ウィルマンが笑顔を浮かべる。

「確かに楽しむにはいいお芝居でしたね」とローズ。

「キマイラがどうであれ」とウィルマン。「夫人が殺されたのであれば何者かが屋敷に侵入したことになる」 

「二階から落ちたのは間違いなさそうですか?」

「だろうね。室内履きの片方が二階の階段に残っていたそうだ。当初アレックス氏は自分でそこまで行って転げ落ちたのだろうと考えていた」

「何の用で、おトイレですか?」

「トイレは自室で間に合うようにしている」

「あぁ……」

「アレックス氏によると何か物音を聞きつけ外に出たのではないかと」

「それを確かめに外へ……その時に」とローズ。

「あり得る話だが……」

 それだと、ベレロフォンはローラを待ち伏せしていたことになる。それなら体が悪い老女が自室から這い出して来るのを待ち続けなければならない。言ってはなんだが、力の弱い老女を殺める方法など他にもあるだろう。腑に落ちない。

 ローズはいましばらく調査を継続することにした。

 こちらは警備隊に任せ、次に狙われる蛇を探し出すことにした。蛇を見つけ出すことが出来れば、ベレロフォンを迎え撃つこともできるだろう。そうすれば事の真相に迫ることも出来るだろう。
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