第2話

文字数 3,833文字

 ローズの目に前に現れた青年は小柄で細身、波打つ銀髪に白い肌、見た目の歳は少年期を少し過ぎた程度で、フレアの少し年上といったところか。
 身に着けている古めかしい衣服は紺と白の上下はどこかの寄宿学校の制服のようにも見える。
「こんばんは、あなたがあのステファン・ホークのようね」素早く男の内側を探る。意識はステファン・ホークだが、もう一つの存在が窺える。
「こんばんは、ぼくはステファン・ホーク」ホークは胸に手を当てローズに向かい鷹揚にお辞儀をした。「お察しの通りこの体も屋敷のすべて借り物だよ。何せ元々の体はもう三百年近くも自分では動かすことはできない始末だからね」
「十三歳にしてサハ魔法学院への入学を果たした神童」ローズは以前読んだ文献を思い起こした。「十八歳で卒業以後も同学院で使い魔の研究に携わり……後に出た解説書の文言などつまらないわね。とにかく、あなたは使い魔に関しては目覚ましい功績を残した。そして今に至ってもあなたが作った術式は多くの術者の基礎となっている」
「うれしいな僕の事を知っていてくれたんだね」ホークの口角が上がる。
「……これでも魔導師のはしくれですからね」
「端くれね……君を端くれ呼ばわりしたら、誰も魔導師としてやっていけやしないんじゃないか」
「褒めてくれるの?それはうれしいけど……」ローズは眉を歪めた。「そろそろ本題に移ってくれないかしら。夜は短いわ」
「そうだった。つい嬉しくてね。こちらへどうぞ。座って話そう」
 歩き出したホークの後につづき、ローズは月明かりが差し込む部屋へと入っていった。そこは応接間となっており、大きな窓から見えるのは手入れの行き届いた庭だ。庭を囲む塀の傍には花壇があり、そこには様々な色の花が植えられている。
「何の仕掛けもないから好きな場所に座るといいよ」ホークは応接間の中央に置かれた革張りの長椅子を手で示した。
 ティモ・トルテという男の調度の趣味も悪くは無いようだ。家具はどれも地味な暗い茶色に統一されているが、どれも仕立てはよい。実用的だが決して安価ではない。
「君に会うためのちょうどいい部屋が見つかってよかったよ」
 ホークはローズが向かい側に腰を降ろすとおしゃべりを再開した。
「君を呼んだのは端的に言えば、君と話してみたかったからさ。君は伝説の魔導師であり、異端の吸血鬼でもある。千年の長きに渡って狂うことも眠りにつくこともなく過ごしている」
「わたしはそんな大層なものでもないわ。人は変わらないけど、彼らを眺めていて飽きることはない。それだけのこと」とローズ。
「なるほど、常に傍観者なんだね。そして、気が向けば介入をする」
「それより、フレアはともかくどうして特化隊の二人まで巻き込んだの?あの連中は関係ないでしょう」
「あぁ、あの三人には別件で挑戦してもらいたいことがあって、来てもらったんだ」
「別件?」
「僕は今も使い魔の研究開発や改良を手掛けているんだけど、それを試す場が無くていつも困っていたんだ。でも、最近いい案を思いついてね。異空間に構造物を建設し、そこに使い魔を放す。その状態で手練れの戦士を呼んで戦ってもらう」
「まるで闘技場ね。呆れた」ローズはホークを睨みつけた。「あの三人はその手練れというわけね」
「帝都では群を抜く力の持ち主のはずだよ。彼女とあの二人が相手ならいい手合わせになると思う」
「ふん、わたしも十分な力を持っているつもりだけど、どうして仲間外れになるの」
「君は強すぎるんだ。力のつり合いが取れなくなる。君は伝説の魔獣であるベヒーモスを素手で倒したような猛者でもあることを自覚してほしい。その外套の素材はその時の戦利品だよね」
「待ってよ」ローズはホークの言葉を遮った。「素手だったのはあの獣は強い魔法耐性があるからで、無理に魔法を使うと辺り一面焼野原になってせっかくの皮が台無しになる。それでやむなく物理攻撃を選んだの。それに吸血鬼は頑丈だし、再生力も十分にある。それだけの話よ」
「いいかげん君は自分が例外的存在なんだ自覚する方がいい、あの手の最凶といわれるような魔獣は誰でも相手にできる存在じゃないんだ。とにかく僕としては、君が悠々と歩きながら放った使い魔を焼き払っていくところなんて見ていてもつまらないし、君に見合う魔物は僕の力では御することも難しい。だから、今回は僕と一緒に外で見ていてもらう」
「つまらないわね」ローズはこぼした。
「いつまでも彼女達を待たせておくのも気の毒だ。そろそろ始めてもらうとするよ」
 三人を巻き込んだ方がその何倍も気の毒な気がするがそれは言わないでおいた。どのような戦いになるのかそちらの方が気になってきたからだ。

「気の毒と思うなら、戻したらどうなの?」フレアは呟いた。
「悪いけど、それは出来ないんだ」若い男の声が聞こえる。ステファン・ホークと名乗った男の声だ。
「さっき廊下の仕掛けは一方通行になっていて、その出口は建物の廊下の先、反対側にあるからどの道そこまで歩いてもらうしかないんだ」朗らかで明るい響きを持った声だ。
「好き勝手な事と言ってくれるな……」パメットが眉を歪め呟いた。
 ローズとホークの声は明瞭に聞こえてくるが、どこから聞こえてくるか判断はつかない。天井からかと思えば右の壁、あるいは廊下の先のようにも思える。
 フレアとパメット、トゥルージルが強制的に飛ばされたのはどこかの屋敷の幅広い廊下のように見えた。背中側の一方は行き止まりの壁で前方の少し先で左に曲がっている。廊下は天井に据え付けられた照明のおかげで昼間のように光で満たされている。
「悪いけど、聞いての通りのようね。あなた達だけでとりあえず頑張ってもらうしかないわ。そこの二人にも伝えてちょうだい」ローズの声が聞こえた。これはイヤリング越しの声とは別で、その響きはまるですぐ傍にいるように鮮明だ。
「はい、でもローズ様の声はというよりそこでのやり取りは全部こちらでも聞こえています」イヤリング越しに答えた。
「あら、そうなの」
「そうだよ」とステファンの声。「こちらの声はあちらに届いているよ」
「でも、向こうの声が聞こえないのは不便ね」
「それについても対策は取ってある」軽い笑いが入る。「これをみてよ」
「何、この本は?」
「開いて呼んでみるといい」
「あぁ、今までの動きと向こうでのやり取りが書いてあるわ」
「向こう側に置いている監視役が彼らの行動を文字に起こしてこちらに表示する仕組みになってるんだ」
「よく出来てるわね」楽しそうなローズの言葉が響く。
「事が終わったらお土産に持って帰るといいよ。いい記念になると思う」
「まったく、人を巻き込んでおいて気楽なもんだな」トゥルージルは軽くため息をつくと手元に白い両手崑を呼び寄せた。これは癒しのための錫杖ではなく、戦闘用の六角崑だ。
「本当だな。あんたの主人にはいつも手を焼かされる」
 パケットも白い手甲を呼び出し、空中で両手に装着し軽く素振りをする。
「わたしもローズ様も巻き込まれたのよ」
「あぁ、君たちなら問題なく最後まで到着するだけの力は持っていると思うけど…」ホークの声が廊下に響く。「仲たがいはいけないよ。今まで途中で倒れて帰って来れなかった者たちの中には評判倒れの勇者もいたけど、大半は意思の疎通の不足と仲たがいが多かったからね。その点は気を付けて」
「丸聞こえなのはわかったよ」とパメット。
「忠告、ありがとう」トゥルージルが言い添える。
「あなたたち、彼の言っているのはこけおどしなんかじゃなく、本当よ」とフレア。「この廊下きれいにかたづけてはあるけど、血の匂いや他の臭気が薄っすら漂っているわ。それも一人や二人分じゃない」
 フレアは奥に向かって歩き出した。それにトゥルージルが続く。
「あんたがそう言うなら間違いないんだろうな。気を締めて進むとしようか」
  パメットが最後に動き出した。
 廊下の先の角を曲がっても景色に変化はなかった。長い廊下の突き当りが右方向への曲がり角になっている。途中の左右の壁に扉がある、その程度か。ホークが言っていた使い魔は目に見える形で配置されてはいないように見える。それは扉に中から飛び出してくるのか、あるいは。
 最初の扉を通り過ぎた辺りでフレアは異質の気配を感じた。ここに送り込まれる時に感じた肌を震わせる感触だ。
「後ろに何か……」低い声で呟き、後ろに視線を送る。
 パメットも同じ気配を感じていたようだ。踵を返し後方の変化に備える。僅かに床が紫の燐光を放ち、湧き出た靄が人型を形成する。現れたのは痩せた猿顔の鎧武者の塑像が二体、手には両手崑を携えている。
 パメットは猿武者が構えを整える前に間合いへ入り込んだ。まず一体の腹に右拳を打ち込む。そこを中心に塑像にひびが入り、胸への一発が像の動きを止めた。もう一体の猿武者のひと振りを右にかわし、下段蹴りで足をへし折り体勢を崩し頭部を破壊した。
「前からもくる」
 トゥルージルの声と同時にフレアは前方に飛び出した。こちらも同じ仕様の猿武者だ。フレアは右からの中段回し蹴りで塑像を薙ぎ払い真っ二つに破壊する。僅かに遅れて現れたもう一体はトゥルージルの崑の乱打を胸に受け粉々に崩壊した。
 土塊に戻った塑像はそれっきり動きを止めた。この場はこれで終わりのようだ。
「とりあえずの顔見せってところか」とトゥルージル。
「それなら、わりと親切な人なのね」フレアは足元の土塊を踏みつぶした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み