第3話

文字数 3,392文字

 旧市街の埋め立て地で身元不明の水死体が発見されたとの報を受け、湾岸中央署のキャルキャ・プレオとクレト・バーンズは鉄馬車を駆り現地へと向かった。課長のダグラスは手が空いている者は向かってくれと言っていたが、なぜか宝石窃盗事件を抱えるキャルキャとクレトが向かうことになった。人手不足であり、急を要する事態だ。口答えはせず二人は鉄馬車に飛び乗った。手のかからない鉄馬車が配備されただけまだましだ。以前は馬の機嫌や体調で馬車が使えず、外で馬車を拾い現場へ駆けつけるという笑えない事態も起こっていたという。足音と作動音が独特ではあるが慣れれば違和感は消え失せる。
「この辺りか?」
 御者を担当していたキャルキャは馬車の足を緩め、客車にいるクレトにゴルゲット越しに問いかけた。
「この倉庫を抜けた先だと思う」キャルキャの頭蓋にクレトの声が響く。
 クレトの言葉通り、まだ建てられて間もない倉庫群を馬車で駆け抜けると砂色の更地が目の前に現れた。開けた土地の先に見えるのは青い空だ。右手には建てかけの赤い煉瓦の壁と傍に積まれた煉瓦の山、その先に群青の衣服を身に着けた人だかりが見える。
「あそこだろう、急ごう」とキャルキャ。
「了解」
 鉄馬車を先にやって来た馬車の後ろに止め、制服隊士達の囲みへと向かう。
「ご苦労様です。中央署のキャルキャ・ブレオです」周囲の警備に当たっている制服隊士と挨拶を交わし、身分証を提示する。
 隊士達の囲みの中に入ると地面に置かれた簡易担架の上に水浸しの遺体が横たわっていた。衣装と顔立ちから近東辺りから来た男と見られる。顔や頭には打撲による痣が多数見られる。暴行を受けた後に海に放り込まれての水死か、死亡してから遺棄されたか。それは後の捜査で明らかになってくるだろう。現在は提携している医療機関への搬送のため待機中だ。
 先に現場へ乗り込み指揮に当たっていた小隊長のネロによると、第一発見者はすぐ傍の倉庫の建設作業員の一人だという。彼は背後にある倉庫の建設現場を手で示した。
「最初に発見したのはそこの現場で働いているサミーという男です。彼は昼前に岸壁の向こうに浮かんでいる遺体を発見したようです。朝は誰もそれを目にしていないことから沖から流れ着いたのでしょう」
 キャルキャ達もすぐさまサミーを含めた作業員たちに改めて聴取をしたが、彼らから得られた証言は隊士達が事前に聞き取ったものと同様だった。彼らからそう言えばといった枕詞から新たに都合のよい証言が浮かんでくることはなく、二人の淡い期待は打ち砕かれた。一通りの聴取を終えたその後に二人も到着した病院からの搬馬車の後を追い二人も現場を後にした。
 遺体が搬送されたのはいつものといってよいドブラザーズ病院で、彼らはの裏口に馬車を止めた。この病院とは顔なじみとなっているが、病院の良好な関係を築けていると思ってはいるが、キャルキャとしては複雑だ。彼がこの病院の裏口に訪れる時は常に死がつきまとう。
 勝手知ったる他人の職場だ。馬車から降りると裏口にいた警備員と挨拶を交わし遺体が横たわっている安置室へと向かう。部屋に到着すると検死担当のアル・ポンヌ医師は準備万端で待ち構えていた。ポンヌ医師は普通に生きている患者を診ている方が多いはずだが、キャルキャ達と会う時はいつも死者が相手だ。
「お前たちも間に合ったようだな。今から始めるとことだ、見ていくか」ポンヌは小柄で痩せた中年男で茶色い髪は短く頭頂部まで禿げあがっている。
「そのつもりです」とキャルキャ。
「まぁ、好きにするといい」ポンぬは軽く口角を上げた。
 ポンヌは白いマスクを付け透明な樹脂製眼鏡をかけた。どちらもコバヤシ製だ。彼らは何かと細かな備品を売り込んでくる。
「お前たちも」ポンヌに投げ渡された予備のマスクと眼鏡を付ける。
「始めるとしようか」
 まずは鋼板が貼られた寝台に横たわる遺体から衣服を脱がせる必要がある。遺体の体格はそれほど大柄ではないが、非協力的で脱がせるために袖一つ抜くのも手間になる。派手な柄が入った上衣を脱がせるのを手伝ったクレトは生地の薄い上衣に違和感を覚えたようだ。
「んっ……?」
「どうした?」それを察したキャルキャが声をかける。
「あぁ、何か入ってそうだ」問いに答えながら上衣の物入れに手を入れて探っていく。上着の裾にある物入れが寝台に当たり、重みのある音を立てた。
「あった!」
 クレトが内側から取り出したのは手の平に入るほどの真鍮の塊で円形をしており分厚い。裏返すと「キャンメイル」と中央に掘り込んであった。
「何だ……」 
「文鎮……かな」とポンヌ。
「でしょうね」ライナが答える。
 キャルキャも頷く。
「恐らく、「キャンメイル」というのはそれが置いてあった宿で……」ライナが指で示す。「彼はそれをそこからこれを黙って持ち去った」
「そんなところだろうね」
「いい手がかりになる……か」ポンヌはキャルキャに目をやった。
「まぁ、名前ぐらいはわかるかもしれませんね」偽名かもしれないが。 
 文鎮以外の身元に繋がりそうな持ち物は遺体からは見つからなかった。それに続く表面的な検分からは、全身に及ぶ痣などの打撲痕から激しい暴行が認められた。他殺なのは間違いなさそうだが、死因を特定するまでは少し時間がかかりそうで、キャルキャたちは今までに知り得た情報をゴルゲットを通じ課長に上げておき、病院を後にした。
 次に手近に当たれそうなのは真鍮の文鎮だろうと二人は考えた。文鎮があるなら便箋や封筒も置いてあるのだろう。それなら安宿ではなく、それなりの規模を有した宿となる。宿の名についてはクレトがほんのりと記憶していた。それを頼りに大通りまで出て、聞き込みをして見ると件の宿はそこから少し路地に入った場所にあることがわかった。
 新聞売り相手に得た情報通りの場所に「キャンメイル」が建っていた。新聞代は無駄にはならなかったようだ。それは少し古びた三階建ての宿だった。玄関口入ってすぐの受付で身分証を見せ事情を話す。受付係はそれをしばし眺めた後、奥にある事務所に姿を消した。ほどなく彼らの前に現れたのは副支配人でツイジと名乗る男だった。二人は彼によって事務所へと通された。
 事務所は少し煙草臭い.。恐らくは面前にいる副支配人もその一因だろう。短い白髪交じりの痩せた男は事務所のくたびれた革椅子を勧めた。腰を落ち着けたキャルキャは速やかに懐から真鍮の文鎮を取り出し目の前のテーブルに置いた。それを目にしたツイジは眉を寄せた。反応ありだ。
「これをご存じですね」
「えぇ」ツイジは文鎮を取り上げ手の平の上で転がす。「うちの客室に置いてある物に間違いないようですが、どこでこれを……」
「今朝、港で発見された遺体が所持していました」
 遺体という言葉に驚いたツイジの手の平の上で文鎮が跳ねあがった。取り落としそうになり三回ほどお手玉をした後、荒い息をつきテーブルの上に置いた。
「これはどこに置いていますか」
「各部屋の書き物机の上に便箋などとまとめておいています」
「ここ数日のうちに一個はなくなっていたはずですが、心当たりはありますか?」
「……三階の三号室ですね」
「どのような客だったか覚えておられますか」
「外国人の旅行客だったと思います」
「どのような身なりをしていましたか」
「近東の金持ちがよく身に着けている薄手で派手な紋様が入った裾の長い上衣でした」
 よく覚えているものだ。
「その泊り客がここを出て行ったのはいつ頃ですか?」
「わかりません」副支配人は首を軽く左右に振った。
「わからない、どういうことですか」
「荷物をそのままに姿を消して、そのまま戻られてはおりません」
 キャルキャとクレトは顔を見合わせた。覚えがいいのはそのせいか。
「それはいつの事ですか?」
「一昨日の前だから……四日前の夜になるんでしょうか……」
 副支配人によると泊り客がいなくなったことに気付いたのは翌朝になったからで、姿を消した客の部屋には女が床に倒れていた。女については前日の夜に三号室を訪ねたことをその夜の案内係が覚えていた。
「その女性についてはうちで馬車を手配して病院へと送り届けました」
「その女性は今どこにいるかわかりますか?」
「あぁ、そこまでは……念のため警備隊の方もお呼びしましたから、そちらに尋ねられてはどうでしょうか」
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