王導7  薫蕕器を同ぜず

文字数 1,238文字

東晋の初めの頃のことである。
中原から難を逃れてやってきた氏族と、
土着の氏族の間には、
言いようのない軋轢があった。

それを描き出しているのが、
琅邪(ろうや)王氏の王導(おうどう)と、()郡陸氏の陸玩(りくがん)
この二人のいくつかのやりとりである。


まず、王導が初めて
江南の地にやってきたとき。

地元の名士の協力を取り付けたいと思って
陸玩の家との間に縁談を結びたい、
と頼んできた王導に、陸玩は言った。

「小さな丘に大樹は育ちません。
 また芳香と悪臭とを、
 同じ容器にしまうものでしょうか。

 私は不才ではありますが、
 いたずらな混交が
 乱の元である、とは
 理解しておるつもりでございます」


そんな陸玩、王導の元を訪れ、
しばしば施策について諮問した。
しかし実際の動きに、
その時の打ち合わせは
まるで反映されないでいた。

このことを訝しんだ王導が陸玩に問うと、

「王導さまはご慧眼にあらせられますが、
 この玩めは視野が狭くございます。

 お話を伺いながらも、
 うまく自分の申すべきことを申せず、
 後々になり、あれではいけない、と
 毎度思うのですけれども」

と、答えるのだった。


また、このような話もある。

陸玩が王導の家に訪問した時、
ヨーグルトをごちそうになった。

その夜、陸玩はヨーグルトに中る。

そのため後日、陸玩は王導に宛て、
このような書状をしたためている。

「ヨーグルトを頂いて後、
 夜通し布団の中で苦しんでおりました。

 いやはや、呉人のはずのこの私が、
 危うく北のなまっちろどもの霊の
 同列に加わる所でございました!」



王丞相初在江左、欲結援吳人、請婚陸太尉。對曰:「培塿無松柏、薰蕕不同器。玩雖不才、義不為亂倫之始。」
王丞相は初に江左に在すに、吳人と援を結ばんと欲し、陸太尉に婚を請う。對えて曰く「培塿に松柏無く、薰と蕕とは器を同じうせず。玩は不才なると雖ど、亂倫の始を為なざるを義とす」と。
(方正24)

陸太尉詣王丞、相咨事。過後、輒翻異。王公怪其如、此後以問陸。陸曰:「公長、民短。臨時不知所言、既後覺其不可耳。」
陸太尉は王丞相を詣で、事を咨る。過ぎたる後、輒ち異を翻す。王公は其の此の如きを怪しみ、後に以て陸に問う。陸は曰く「公は長かりしかど、民は短かりきなり。臨める時にては言うべき所を知らず、既に後に其の不可なるを覺ゆるのみ」と。
(政事13)

陸太尉詣王丞相。王公食以酪。陸還、遂病。明日、與王牋云:「昨食酪、小過通夜委頓。民雖吳人、幾為傖鬼。」
陸太尉は王丞相を詣づ。王公は酪を以て食す。陸は還ぜるに、遂に病す。明くる日、王に牋を與えて云えらく「昨に酪を食し、小しく過ぐるに、夜を通じて委頓す。民は吳人と雖も、幾んぞ傖鬼と為らんとす」と。
(排調10)



陸玩
陸遜(りくそん)の弟(陸瑁(りくぼう))の孫。司馬越(しばえつ)からの招聘を断ったり元帝に招聘されたり王敦(おうとん)に重んぜられたりと、兄の系統を滅ぼした(しん)に対して距離を置きたいのに晋のほうからすり寄られてて相当ムカついてたんだろうなーと言う印象である。そう言うのから推し量れば、この人物にこの色付けがなされるのも納得である。
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