孫綽6  文人の喧嘩イミフ

文字数 726文字

習鑿歯(しゅうさくし)孫綽(そんしゃく)と言えば、
当時を代表する文人の一角である。
共にその存在は意識していたが、
直接の面識はこれまでなかった。

桓温(かんおん)さま、この二人を宴会に招待。
遂に竜虎相見える時が来た!

「さあ孫綽、習鑿齒殿と語るがいい」

水を向ければ、
二人の間にはたちまち火花。

口火を切るのは孫綽である。
蠢爾(しゅんじ)せる蠻荊(ばんけい)
 敢えて大邦に(しゅう)を為さんか?」

詩経(しきょう)小雅・采芑(さいき)の初句である。
荊州出身の野蛮な習鑿齒さん、
くれぐれも晋に
歯向かわないでくださいね?
ということだ。

もちろん習鑿齒だって負けちゃいない。
(いささ)獫狁(けんじゅう)を伐ち、太原(たいげん)に至らん」

同じく詩経小雅・六月より。
孫綽は太原出身。
この辺りは匈奴(きょうど)鮮卑(せんぴ)
勢力が強い箇所でもある。
どうせやるならアンタぶっ倒して、
太原を獲ってやりますよ、
と言い返したのだ。

……うん、なんつーか☆



習鑿齒孫興公未相識。同在桓公坐。桓語孫:「可與習參軍共語。」孫云:「蠢爾蠻荊敢與大邦為讐。」習云:「薄伐獫狁至于太原。」

習鑿齒と孫興公とは未だ相い識らず。桓公の坐に在せるを同じうす。桓は孫に語るらく「習參軍と共に語るべし」と。孫は云えらく「蠢爾たる蠻荊、敢えて大邦と讐を為さんか?」と。習は云えらく「薄か獫狁を伐ち、太原に至らん」と。
(排調41)



習鑿齒
漢晋春秋(かんしんしゅんじゅう)』を著述し、三國志(さんごくし)における漢の正統は禅譲を受けた()じゃなくて(しょく)だよ、って主張した。あと、その文人としての才能を深く苻堅(ふけん)に愛されたりもしている。

なおこの二人については、簡文14でも書いている。きっとちょくちょくこの手の言い合いしてたんだろう。そしてその応酬は、言ってみれば当時の流行り文句っぽくなったんだろうなぁ。王坦之(おうたんし)范啓(はんけい)のやりとりも、その辺りをもじって簡文さまを dis りました、って認識がいいのかもね。
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