王渾3 息子審査の時間
文字数 599文字
王渾と鍾琰が庭先でたたずんでいると、
息子の王済が庭を通り過ぎる。
王渾はにこにこと、妻にいう。
「あのような子が生まれてきてくれて、
わしも一安心だ」
すると鍾琰、笑う。
「あらあら。もし私が貴方様の弟、
王淪様に嫁いでいたら、
生まれてくる子は
もっとすごかったのですけれど」
王渾與婦鍾氏共坐,見武子從庭過,渾欣然謂婦曰:「生兒如此,足慰人意。」婦笑曰:「若使新婦得配參軍,生兒故可不啻如此!」
王渾と婦の鍾氏の共に坐せるに、武子の庭より過れるを見、渾は欣然と婦に謂いて曰く:「生兒の此くの如くせば、人が意を慰むに足らん」と。婦は笑うて曰く:「若し新婦を參軍に得配せしむらば、故より生まるる兒は此くの如く啻ならざるべし!」と。
(排調8)
王淪
魏の司空・王昶の息子、という事だが、三国志魏志には名前がない(王昶の息子は渾、深、湛のみが挙がっている)。えっどこ調べたらこのひと見っかんの。ともあれ夭逝した清談の達人、と言った振る舞いである。相当才気煥発だったんだろうから、鍾琰もこっちの方が好きだったんだろう。つうか何だよこの話、怖すぎだろ鍾琰。
いいけどママリンさっきから変換が「蕭衍」になってイヤな笑いが止まらないん……(※蕭衍:南北朝時代、南朝三番目の国梁の初代帝。このひとの治世は南朝最盛期とも呼ばれるが、後半仏教に傾倒したりして一気に南朝を戦乱のどん底に落とした。最高の名君にして最悪の暗君とも呼ばれる)
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