孔愉   立ち上がる隠遁者

文字数 619文字

死後に車騎將軍(しゃきしょうぐん)を追贈される孔愉(こうゆ)だが、
四十歳を過ぎ、のちの元帝(げんてい)
世に引っ張り出されるまでは
とことんにまで隠遁生活を志向していた。

ひとり歌をうたい、詩を編み。
みずからを「孔サマ」と呼んでは、
山野を散策したり。

「あのおかたは仙術を
 お使いになるにちげぇねえ」

とか庶民には思われていた。
なので祟りとかに遭いたくないから、
彼らは「孔郎廟(こうろうびょう)」を建てて寧撫した。

ちなみにその廟、
今でも残ってます。



孔車騎少有嘉遁意,年四十餘,始應安東命。未仕宦時,常獨寢,歌吹自箴誨,自稱孔郎,遊散名山。百姓謂有道術,為生立廟。今猶有孔郎廟。

孔車騎は少くして嘉遁の意有り、年四十餘にして、始めて安東が命に應ず。未だ宦に仕えざる時、常に獨り寢ては歌吹し自ら箴誨し、自ら孔郎を稱し、名山を遊散す。百姓は道術有りと謂い、為に生きながらにして廟を立てらる。今も猶お孔郎廟有り。

(棲逸7)



孔愉
王敦(おうとん)の乱、蘇峻(そしゅん)の乱など、東晋の立ち上がりの激動期を駆け抜けた後、「數畝の地を宅と為し、草屋は數間のみ、便ち官を棄て之に居す。資を送ること數百萬なれど、悉く取る所無し」(晋書孔愉伝)と、結局隠遁生活に戻ってる。ちょっと、かなりカッコよくないすかこの人。

で。元帝陛下がどこにいらっしゃるかと言えば「安東の命」を下したのが元帝さま、なのです。ここに元帝陛下がいらっしゃるとか目加田せんせーもだいぶムチャを仰る。でもそう言うムチャが大好きなので目加田せんせーの説に従い、ここに合流してもらいました。
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