竹林七賢2 七賢の評伝

文字数 885文字

後世、東晋の時代。
謝安(しゃあん)の甥、謝玄(しゃげん)たちが
わいきゃいと竹林七賢の
優劣を語り合っていた。

(以下妄想)

「トップはやっぱり阮籍(げんせき)嵆康(けいこう)だよなー」

「いやいや王戎(おうじゅう)山濤(さんとう)もすごくね?
 七賢でありながら
 貴顕とか訳わかんねーし」

「政権におもねらなかった阮嵆、
 政権で見事に振る舞った王山。
 この四人に較べると、尚秀(しょうしゅう)
 いかんせん中途半端だよなー」

阮咸(げんかん)劉伶(りゅうれい)? だれ?」

(※個人の感想です)

それを聞きとがめた謝安(しゃあん)さま、
謝玄らに言う。

「お前たち。彼らの優劣を論じて
 どうなるというのだ。

 彼らの逸話は、
 史料にもとづいないてしか
 語ることができない。
 ところが、今に伝わる
 その史料というのは、
 あくまで『氷山の一角』だ。
 100%の真実を解明することは難しい。
 研究すればするほど、
 色々な可能性が見えてきて、
『こうだ』とは断言できなくなる。

 彼らのことを伝聞でしか知らない以上、
 いくら毀誉褒貶したところで
 本当の彼らを評価したことにはならん。

 先人たちは、それを知っていたから
 軽々に彼らを評価しなかったのだぞ」

あっすいません。



謝遏諸人共道竹林優劣,謝公云:「先輩初不臧貶七賢。」

謝遏ら諸人、共に竹林の優劣を道うに、謝公は云えらく:「先の輩、初にして七賢を臧貶せず」と。

(品藻71)



謝玄
謝安の甥たちはみな才人揃いだったとされるが、謝玄の声明がその中でも飛び抜けている。と言うのも、後に淝水(ひすい)の戦い、華北を統一した前秦(ぜんしん)の王・苻堅(ふけん)が天下統一を狙って南下してきた戦いにて、苻堅撃退の大功を挙げているのだ。とは言え若い頃はいろいろやんちゃだったらしい、と言うお話も残っている。ここでも謝安さんにたしなめられてますしね。

なおそんな謝安さんの戒めの言葉は
https://withnews.jp/article/f0180806000qq000000000000000W02k10101qq000017768A
この呉座勇一(ござゆういち)先生のお言葉から頂戴しています。

なお劉孝標はその注で「いや先人たち評価しまくってんじゃん」と冷静にツッコんでます。おまえさー! そうゆうさー! もっとこうさー! ワビサビってやつをさー!
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