王澄1  王敦と王澄の反目

文字数 1,165文字

琅邪(ろうや)王氏の一門である、王澄(おうちょう)
非常にさっぱりとした性格であったが、
その奥には易々とはまがらぬ、
強い心根を抱いていた。

そのため王敦(おうとん)と反目し合い、
いつ殺し合いになっても
おかしくない状態であった。


八王の乱収束直後ころ、
王澄は荊州刺史(けいしゅうしし)であった。
ある時建鄴(けんぎょう)にいた司馬睿(しばえい)、のちの元帝より
呼び出しを受け、赴くことになった。

荊州にいるのであれば、
おいそれと王敦も手は出せないだろう。
だが、長江を下る、ともなれば、
王澄を守る者は誰もいなくなってしまう。

(きょう)人を東に向かわせるのは、
 どうかと思うのだがな」

二人の反目を憂慮していた王導(おうどう)さま、
王敦に対してそう持ち掛ける。

「羌人」とは王澄のこと。
西方のチベット系異民族、
羌族に王澄が似ていたから、
そう呼ばれていたのだ。

王導さまの憂慮は現実のものとなる。
王澄が建鄴に向かうのを見測り、
王敦は配下を飛ばし、
王澄を殺してしまった。



そして、時は下る。
王敦が東晋(とうしん)に対し、
はじめて反旗を翻した時のこと。

朝廷の人間たちは、
みな信じることができなかった。
あの王敦大将軍である。
東晋の建国に、大いに寄与した。

だがその中で、周顗(しゅうぎ)は言う。

「何を太平楽な。
 陛下は(ぎょう)(しゅん)の如き聖徳をお持ちか?
 大将軍に対する過ちがなかったと、
 どうして言い切れる?

 それに、思い出せ。
 よき人臣であれば、挙兵など
 思い立ちもすまい。

 だが、王敦がよき人臣、
 貞良たる士大夫である、
 というのならば、なぜ王澄殿は
 殺されねばならなかったのだ?」


 
王平子形甚散朗、內實勁俠。
王平子が形は甚だ散朗なれど、內實は勁俠なり。
(讒險1)

王平子始下、丞相語大將軍:「不可復使羌人東行。」平子面似羌。
王平子の始め下れるに、丞相は大將軍に語るらく「復た羌人をして東に行かしむるべからず」と。行平子の面は羌に似たり。
(尤悔5)

王大將軍當下時、咸謂:「無緣爾。」伯仁曰:「今主非堯舜、何能無過?且人臣安得稱兵、以向朝廷?處仲狼抗剛愎、王平子何在?」
王大將軍の當に下らんとせる時、咸なは謂えらく「緣無きのみ」と。伯仁は曰く「今主は堯舜に非ず。何ぞか過たる無かる能わんや? 且つ人臣にては安んぞ兵を稱げ、以て朝廷に向かいたるを得んや? 處仲は狼抗にして剛愎たり。王平子は何こに在らんや?」と。
(方正31)



王澄
王衍(おうえん)の弟。西晋でも一番の清流人と名高かった王衍から見ても「こいつヤベえ」と言わしめるレベルの人であり、また本人もそこを自覚していたらしく、王敦のことをとことん侮っていた。それが原因で王敦に殺されたという事ではあるが、荊州に刺史として出向いた時ずっと酒浸りで全く職務に携わろうとしなかったともあり、王敦にしてみれば「このクソ野郎」感が半端なかったろうなと思われる。というかこのクソ野郎を殺すことが王敦の豺狼の証とか言われちゃうと、なかなかの濡れ衣じゃないですかね……。
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