江虨2  江虨さん痛罵す

文字数 1,675文字

江虨(こうひん)庾翼(ゆよく)
漢高魏武(かんこうぎぶ)を目指すとか馬鹿ですか?」
とか言っちゃったり、
王導(おうどう)さまが互先で囲碁をしようとしたら
「いや、あなたの腕じゃどう考えても
 勝負にならないですし、
 そういうの勘弁してください」
とか、割とザクザク
言葉で斬ってくる類のひとだ。


そんな彼、及びその一族について、
王濛(おうもう)は言っている。

「彼らは誰もが立派に
 世を渡り歩いていける人物だよ。
 江虨の弟、江惇(こうとん)の思索は、
 儒の領域を超越している、と言える。

 いとこの江灌(こうかん)は、
 他者が持っている美点を
 必ずしも持ってはいないが、
 他者が持っている欠点は
 決して持ってはいないのだ。

 劉惔(りゅうたん)も、彼については言っていた。
 表現し得ぬものについて、
 言及を避けることに長けている、と」


また劉惔(りゅうたん)も言っている。

「江虨をうだつの上がらぬ田舎者、
 という奴がいるがな。
 仮にあれが田舎住まいだとして、
 そうしたら間違いなく大地主だぞ」

しょぼい奴と思わば思え、
そのかわり、その内実は
ものすごく充実しているからな、
という感じだ。

要は、派手ではないが、
凄まじく有能な官僚であった、
ということである。


そんな江虨が、
劉惔、王濛、孫綽(そんしゃく)
そして琅邪(ろうや)王彪之(おうひょうし)と共に、
同じ宴席にいた。

江虨と王彪之、背景はわからないが、
お互いに軽蔑し合っていたという。
なのでこの宴席でも江虨、
王彪之を指さして「この酷吏が!」
と、いきなり言い捨てた。
しかもその語調が、めっちゃ強い。

おいおい、と劉惔がたしなめる。

「またずいぶんな怒りようではないか。
 言い方も酷ければ、
 目つきもすいぶんと酷いぞ」



人問王長史江虨兄弟群從,王答曰:「諸江皆復足自生活。」
の王長史に江虨が兄弟群從を問えるに、王は答えて曰く:「諸江は皆な復た自ら生活せるに足る」と。
(賞譽127)

王長史云:「江思悛思懷所通,不翅儒域。」
王長史は云えらく:「江思悛の思懷の通ずる所、翅だに儒の域ならず」と。
(賞譽94)

王長史道江道群:「人可應有,乃不必有;人可應無,已必無。」
王長史は江道群を道えらく:「人の應に有るべくは,乃ち必ずや有さざれど、人の應に無かるべきは、已にして必ずや無し」と。
(賞譽84)

劉尹道江道群「不能言而能不言。」
劉尹は江道群を道えらく「言う能わざるには能く言わざりき」と。
(賞譽135)

劉尹云:「人言江虨田舍,江乃自田宅屯。」
劉尹は云えらく:「人は江虨の田舍なるを言えど、江は乃ち自ら田宅屯なり」と。
(品藻56)

劉尹、江虨、王叔虎、孫興公同坐,江、王有相輕色。虨以手歙叔虎云:「酷吏!」詞色甚彊。劉尹顧謂:「此是瞋邪?非特是醜言聲,拙視瞻。」
劉尹、江虨、王叔虎、孫興公の同坐せるに、江、王に相い輕んず色有り。虨は手歙を以ちて叔虎に云えらく:「酷吏!」と。詞色は甚だ彊し。劉尹は顧みて謂えらく:「此れや是れ、瞋りたるや? 特に是れ醜き言聲、拙き視瞻なるのみに非ず」と
(輕詆14)



江虨と王彪之については、その関係性が本当によくわからない。敢えて無理にこじつけてみると、王彪之の父親の名前が王彬であること、くらいだろうか。虨と彬はわりと異字体扱いされることがある。してみると王彪之にとっては「生まれながらにしてうちの親父をやや犯してるクソ野郎」的存在、という事になる。けどそう言う人ってけっこう多かっただろうし、その時ってどう対応してたんだろうなあ。

江虨の経歴を調べると温嶠→郗鑒→庾冰→庾翼→司馬昱みたいな感じで、かつ穆帝の治世の時に王彪之の代わり(はじめ王彪之に就任が要請されたが、病を理由に辞退)に尚書僕射になっていたりする。この辺の人事がどういう力学に基づいてのものだったのか。基本的に中央勤めであった王彪之と、割と外鎮勤務であった江虨とで、どのように利害がバッティングしたのだろう。

なお王彪之については、王導さまから「うちの王彪之もだいぶ無能だからなぁ……」と嘆息されていたりする。けどまぁ蓋を開けてみれば東晋中後期の政情にかなりがっつり深くかかわる人になってんですよね。王導さまって割と人を見る目がなかったんじゃないのか疑惑。いや同族に対しての謙譲、って考え方もできるか。
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