王衍1  好敵手、裴頠

文字数 1,199文字

西晋(せいしん)といえば清談バリバリの時代である。
ある日、王衍(おうえん)のもとに老荘(ろうそう)について
疑問を抱いたものがやってきた。

だがこの日の王衍、昨晩に散々
清談でやり合い、グロッキー気味。

そこで客からの質問には答えず、
代わりにこう言った。

「おれはだるい。
 この近くに裴頠(はいぎ)がいるから、
 あなたは彼に質問してくれ」


そう、王衍にとり、裴頠とは
好敵手とでも呼ぶべき存在だった。

だから、こんな話もある。
裴頠が崇有論(すうゆうろん)、という論を書いた。
これは、老荘が語る
「無が有を生む」に反論、
有を生めるのは有以外にない、
と語った論である。

いやそれ、普通に
ただの尺度問題なんじゃないスカね……
まあいいですけど。

清談とは老荘の考えをベースになすもの。
つまり裴頠の主張は、それを根っこから
ぶっ叩いてくるもんだったわけである。

よって、多くの人がこの主張を
へし折ろうとするも、なにせ相手は
稀代の論客。まるで論破できない。

ただ王衍のみが、その主張に
ややダメージを与えられた。

おお、そこが糸口か!
人々はこぞって、王衍論に基づき
裴頠の論を攻撃した。

の、だが。王衍論も結局は、
彼が用いるからこそ意味があったもの。

他の人間が迂闊に使ってみたところで、
むしろ裴頠の論の強化にしか
つながらないのだった。



中朝時,有懷道之流,有詣王夷甫咨疑者。值王昨已語多,小極,不復相酬答,乃謂客曰:「身今少惡,裴逸民亦近在此,君可往問。」
中朝の時、懷道の流れ有り、王夷甫を詣で咨り疑う者有り。王は昨に已に多きを語れるに值い、小しく極まり、復た相い酬答せず、乃ち客に謂いて曰く:「身は今、少しく惡しかれば、裴逸民は亦た此の近きに在り。君は往きて問うべし」と。
(文學11)

裴成公作崇有論,時人攻難之,莫能折。唯王夷甫來,如小屈。時人即以王理難裴,理還復申。
裴成公は崇有論を作し、時の人は之を攻難せど、折る能う莫し。唯だ王夷甫の來たりて、小や屈せるが如し。時の人は即ち王が理を以て裴を難ぜど、理は還りて復た申ぶ。
(文學12)



王衍
ついに出た、西晋朝の最後を象徴する人。五胡十六国時代を雑に追っていると「司馬越(しばえつ)が東に逃げる途上で死に、残された者を率いた。けどすぐ石勒(せきろく)に見つかったのでぼくは悪くないと泣きついたら、お前みたいなのがいるから中原はぐずぐずになったんだろうが! と殺された」みたいな、クソアンドクソアンドクソとしか思えない。のだが、世説新語では人士ランキングとしても、かなりのトップ扱い。実際王衍を悪く言ってるのって桓温(かんおん)くらいしかいない。そう言う不思議な人に、遂にスポットライトを当てる時が来ました。たくさんくるよ!

裴頠
名士に選ばれていないけど、この人もかなり扱いがデカいんだよなあ。王澄(おうちょう)と一緒に+α枠で紹介すべきですわね。張華(ちょうか)と共に賈南風(かなんぷう)政権を支えた人。そして賈南風の破滅と運命を共にした。それにしても張華+裴頠とか、どう考えても賈南風政権って善政布く気しかなかったようにしか思えんよなー。
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