庾和1  庾亮さまの息子

文字数 1,471文字

庾亮(ゆりょう)さまの息子、庾和(ゆわ)
かれもやはりかなりの実力者ではあった。
そんな庾和についてのことだ。


ある時、謝安さまの甥、謝朗(しゃろう)
庾和に対して語った。

「もしかしたらこのあと、様々なお方が
 そなたと清談をするべく
 やってきそうだ。
 備えは万全にな」

すると庾和は答える。

「王坦之が来たとしたら、
 さくっと捻ってやろうか。
 韓伯(かんはく)が来るのであれば退路を断ち、
 死に物狂いで行かねば、だ」


この二人については、庾和、
ライバル視していたようである。
こんなことを語っている。


「整然とした思索のスキルでは
 韓伯に到底勝てぬし、
 その胆力の強さでは、
 王坦之に到底勝てぬ。

 だが、それ以外の部分では彼らに
 百倍している自負はある」


そんなこと言うような人だから、
残している他のコメントも
なかなかに辛辣なものである。


廉頗(れんぱ)藺相如(りんしょうじょ)と言った英傑は
 千年以上前に
 亡くなっているというのに、
 その存在感は精彩を帯びておる。

 しかるに曹茂之(そうもし)李志(りし)のごときは
 今を生きておるというに、
 その黙々としていること、
 まるで死人のようではないか。

 彼らのような人ばかりであれば、
 世の中は縄を結べば治まる、
 と言った非常にシンプルな
 ものであったろうな。

 もっとも、そんなことになれば
 あっという間に胡族のクソに
 食い散らかされて
 おしまいであろうがな!」



謝胡兒語庾道季:「諸人莫當就卿談,可堅城壘。」庾曰:「若文度來,我以偏師待之;康伯來,濟河焚舟。」
謝胡兒は庾道季に語るらく:「諸人の莫いは當に卿に就きてが談ぜんとせば、城壘を堅むべし」と。庾は曰く:「若し文度の來たるらば、我れ、偏師を以て之を待たん。康伯の來たるらば、河を濟り舟を焚かん」と。
(言語79)

庾道季云:「思理倫和,吾愧康伯;志力彊正,吾愧文度。自此以還,吾皆百之。」
庾道季は云えらく:「思理の倫和なるにては、吾れ康伯に愧づ。志力の彊正なるにては、吾れ文度に愧づ。自ら此を以て還ざば、吾れ皆に之れ百す」と。
(品藻63)

庾道季云:「廉頗、藺相如雖千載上死人,懍懍恆如有生氣。曹蜍、李志雖見在,厭厭如九泉下人。人皆如此,便可結繩而治,但恐狐狸貒貉噉盡。」
庾道季は云えらく:「廉頗、藺相如は千載が上に死にたる人と雖ど、懍懍として恆に生氣を有せるが如し。曹蜍、李志は在すを見たりと雖ど、厭厭として九泉が下の人が如し。人は皆な此くの如きなれば、便ち繩を結びて治めむべし、但だ恐るらくは狐狸貒貉の噉らい盡くさんことを」と。
(品藻68)



諸人莫當就卿談
普通に訓み下そうとすると「諸人に當に卿に就きて談ぜんとせる莫し」になって、話が終了する。このため目加田(めかだ)井波(いなみ)説は、これを「暮れ」の誤字と見なし、書き換えている。のだが、箋疏、校箋などは「莫」字に「或いは」的な用法もあると解釈している。まぁ、確かにここで「夕方」って唐突過ぎだよなお前って感もあるので、ここでは「或いは」のほうで解釈することにしましょう。


曹茂之、李志
特に事跡が残っていない。本当に地味だ。なお曹茂之については蘭亭会(らんていかい)に参加した、と言うことが分かっている。ここで一句は詠えた。

時来誰不懐
寄散山林間
尚想方外賔
超超有餘聞
 時の来たるに誰ぞ懐わざらんか
 山林が間に寄りて散ず
 尚お方外を想いて賔ばば
 超超たる餘聞有り

蘭亭会が時の流れの無常さにキーワードがあったってことなので、そうすると時の流れの無常さをぐっと内に飲み込んで、山林の間を行散(五石散(ごせきさん)を飛ばすための散歩)してもなお思いは失われゆく日々から離れない、みたいな感じだろうか。まぁ非常に内省的と言うか、やはり詩の内容も地味である。
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