謝鯤2  一匡に侔しうす

文字数 1,201文字

王敦(おうとん)が乱を起こそうかどうか、
というタイミングでの話だ。

この頃豫章(よしょう)太守になっていた謝鯤(しゃこん)
王敦と一緒に長江(ちょうこう)を下り、
石頭(せきとう)城にまでやってきていた。

そこで王敦が謝鯤に言う。

「謝鯤よ、やはりわしは
 どうにも、建康(けんこう)の奴らに
 首を垂れることができそうにない」

それを聞き、謝鯤が言う。

「何故そのようにお考えになるのです?
 良いではないですか、たった今から
 虚心坦懐にお勤めに邁進されれば
 よいだけのことではないですか」

そんな謝鯤の説得もむなしく、王敦、
結局仮病を使って元帝(げんてい)への謁見を拒んだ。

改めて謝鯤、王敦を説得する。

「近ごろ、王敦様の(しん)朝存続のための
 ご尽力がいかなるものであったのか、
 実感を伴っていないものが多いのです。

 ならばこそ、王敦様が参内し、
 陛下に謁見をすれば、群臣も納得し、
 誰もが功績をお認めになるでしょう。

 こうして民衆の支持を得、
 真心を尽くして陛下を盛り立てれば、
 王敦様の功績は、かの管仲(かんちゅう)にすら
 匹敵するものとなり、その名声は、
 千年先にすら鳴り響きましょうましょう」

謝鯤のこのアドバイスを、
当時の人間たちは名言だと言った。

なおry



謝鯤為豫章太守,從大將軍下至石頭。敦謂鯤曰:「余不得復為盛德之事矣。」鯤曰:「何為其然?但使自今已後,日亡日去耳!」敦又稱疾不朝,鯤諭敦曰:「近者,明公之舉,雖欲大存社稷,然四海之內,實懷未達。若能朝天子,使群臣釋然,萬物之心,於是乃服。仗民望以從眾懷,盡沖退以奉主上,如斯,則勳侔一匡,名垂千載。」時人以為名言。

謝鯤の豫章太守為るに、大將軍に從いて下り石頭に至る。敦は鯤に謂いて曰く:「余は復た盛德の事を為したるを得ざらん」と。鯤は曰く:「何ぞが為に其を然らんとせんか? 但だ今より已後、日に亡じ日に去らしむるのみ!」と。敦は又た疾を稱し朝ざず、鯤は敦を諭して曰く:「近きにては明公の舉、大いに社稷を存せんと欲せると雖も、然して四海の內、實懷は未だ達せず。若し天子に朝す能わば、群臣をして釋然たらしめ、萬物の心は是に於いて乃ち服さん。民望に仗りて以て眾の懷きたるに從い、沖退を盡くし以て主上を奉ずべし。斯くの如くんば、則ち勳は一匡に侔しく、名を千載に垂さん」と。時人は以て名言と為す。

(規箴12)



腐名を千載に垂らしちゃってますね。なお「盛德之事」とは、「君側の奸を排除する」の意味であり、要は東晋政権がクソなので「皇帝の目を覚まさせるために」朝廷をぶん殴ります、の意。

一匡
論語で管仲を褒め称えた言葉。「管仲相桓公,霸諸侯,一匡天下,民到于今受其賜;微管仲,吾其被髮左衽矣!」管仲のお陰で桓公は覇者たり得、天下を「匡す」に至った。このため民も蛮族の風習に染まらずにおれた、とする言葉。そこから転じて管仲のことを指すようになったそーである。何と言うか、「はいはいそうなんですねー(ニッコリ)」とだけ思えるようになってきたぞ。ぼくもおとなになってきたもんだ(棒)。
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