潘岳1  連璧・夏侯湛

文字数 1,650文字

金谷会参加者 潘岳(はんがく)
既出:謝安30、桓玄7、陸機2、楽広3
   金谷1、左思1


潘岳と並び讃えられた人に、
夏侯湛(かこうたん)という人がいる。

潘岳レベルのイケメンで、
よく好んで連れ立っていたため、
当時の人びとは「連璧」、
宝石が連なっているね、と言っていた。


そんな夏侯湛についてのことだ。

夏侯湛が周詩を書いた。
周の時代のものとして、
タイトルだけが残る
南陔(なんがい)白華(はくか)華黍(かき)由庚(ゆこう)崇丘(すうきゅう)由儀(ゆぎ)
をテーマとし、詩を書くというものだ。

これを見て潘岳が、夏侯湛に言う。

「ただ温かで、雅やかなだけではない。
 あなたが持ち合わせる孝悌の徳も
 ふんだんに盛り込まれている」

この詩たちにヒントを得た潘岳、
のちに自らも「家風詩(かふうし)」を作った。

そこには父祖を思い、
身を慎むことの大切さが語られていた。


夏侯湛の作品としては、他にも
羊秉(ようへい)という人への追悼文が有名であった。

名声高かれど若くして亡くなった
羊秉に対し、夏侯湛の綴った、思いの丈。

後の時代、簡文(かんぶん)帝がこれを読み、
ほう、と唸っている。

「この追悼文に則れば、羊秉様は
 実に素晴らしき人であったのだな」

すると、その場には
羊權(ようけん)という人がいた。同じ姓だ。
そこで簡文さま、水を向ける。

「羊秉様は、そなたと関係があるのか?
 かれに、子孫は残っておるのか?」

羊權、はらはらと涙をこぼし、言う。

「我が一門のお方でございます、
 若くしてその令聞は
 天にも届かんほどでございましたが、
 悲しきかな、子は為されませんでした。

 そのため、帝の御世に
 眷属は残っておりません」

そうか、悲しいな、悲しいことだ。
簡文さまもしんみりした。



潘安仁、夏侯湛並,有美容,喜同行,時人謂之「連璧」。
潘安仁、夏侯湛は並べて美容有り、同行せるを喜ばば、時の人は之を「連璧」と謂う。
(容止9)

夏侯湛作周詩成,示潘安仁。安仁曰:「此非徒溫雅,乃別見孝悌之性。」潘因此遂作家風詩。
夏侯湛の周詩を作したるが成り、潘安仁に示す。安仁は曰く:「此れ徒らに溫雅なるに非ず、乃ち別に孝悌の性を見ゆ」と。潘は此に因りて遂に家風詩を作す。
(文學71)

羊秉為撫軍參軍,少亡,有令譽。夏侯孝若為之敘,極相讚悼。羊權為黃門侍郎,侍簡文坐。帝問曰:「夏侯湛作羊秉敘絕可想。是卿何物?有後不?」權潸然對曰:「亡伯令問夙彰,而無有繼嗣。雖名播天聽,然胤絕聖世。」帝嗟慨久之。
羊秉は撫軍參軍と為れど、少くして亡く、令譽を有す。夏侯孝若は之に敘を為し、極めて相い讚じ悼む。羊權は黃門侍郎と為り、簡文が坐に侍す。帝は問うて曰く:「夏侯湛が作せる羊秉の敘は絕だ想うべし。是れ卿の何物か? 後有りたるや不や?」と。權は潸然と對えて曰く:「亡き伯令は夙彰を問えど、繼嗣を有せる無し。名を天聽に播じたりと雖も、然して胤、聖世に絕えたり」と。帝は之に久しく嗟慨す。
(言語65)



潘岳
晋書には「岳性輕躁,趨世利,與石崇等諂事賈謐,每候其出,與崇輒望塵而拜」とある。石崇(せきすう)と一緒に賈謐(かいつ)におべっか使いまくってた結果、「後塵を拝す」の語源になってしまったレベルだという。というかその周囲の晋書の記述読むと、山濤(さんとう)さんのところで紹介した「山濤さんちやほやされ過ぎ」の落書きを甥の潘尼(はんじ)でなく、潘岳のものとしていますね。あーなるほど、世説新語では、潘岳は飽くまできりりとしたイケメンで文辞に長けた人、とのみ演出したかったわけか。時々こう言うえこひいき決めてきますよね世説新語さん……。

夏侯湛
曹操(そうそう)の配下将、夏侯淵(かこうえん)のひ孫。つまり()の宗室クラスの存在ではあるのだが、(しん)でも重きをなしていたという。その著書で重大なものとしては「魏書」がある。三国魏の伝記だ。ここに夏侯氏の伝が多く載せられたりしていたそうだが、陳寿(ちんじゅ)の「三國志」を見て敗北感を覚え、書をビリビリに引き裂いてしまったという話も残っている。

羊秉、羊權
忘れていいよ、と言いたいところではあるんですが、一応ここは書いておきましょうか。夏侯湛の母親が彼らと同じ羊氏、つまりあの羊祜(ようこ)の同門です。その辺のつながりがあったよ、って部分については拾っておくべきなんでしょうね。
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