謝混1  召伯の仁

文字数 849文字

桓玄(かんげん)謝安(しゃあん)さまの邸宅を
自身の公務を行う府営として改築、
運用しよう、と考えた。

そこにすすっとこぼすのが、謝混(しゃこん)
謝安さまの、孫である。

(しゅう)の時代が未だ盛んであった頃、
 周の召公奭(しょうこうせき)は自らの執務のために
 役所を造営するなどとんでもない、と
 梨の木の下で民草の訴えを聞きました。

 その仁徳に深く感じ入った民草は、
 いかにその木になる梨が甘かろうと、
 召伯の役所を損ねる真似はすまい、
 と切ろうとしなかったと言います。

 しかるに我が祖父、文靖(ぶんせい)公の徳は、
 五畝ほどの広さの小さな家をすら
 満たすことができぬのですね」

オメーうちのじっちゃんの
徳を損ねる気なんだな、
オッケーオッケー止めねえよ。

けどじいちゃんの
徳がしょぼいと証されるのは悲しいぜ、
俺はすっげー悲しいぜ、泣くぜ?

そんな感じの訴えである。

さすがの桓玄も自分の行いが
任徳に悖ると気づくと、計画を
取りやめにせざるを得ないのだった。



桓玄欲以謝太傅宅為營,謝混曰:「召伯之仁,猶惠及甘棠;文靖之德,更不保五畝之宅。」玄慚而止。

桓玄の謝太傅が宅を以て營と為さんと欲せるに、謝混は曰く:「召伯の仁は猶お惠みが甘棠に及べるも、文靖の德は更に五畝の宅も保んぜず」と。玄は慚じて止む。

(規箴27)



謝混

謝安の孫だから、当然ながらかなりの名声を博している。ついでに言うとトップクラスの詩人としても名を馳せている。当時の形而上学的、概念的な詩風に山水の明媚なるを歌う気風を持ち込み、当時の潮流に革命を起こしたのだ。

そんな彼は、晋の末期、晋の主導権を巡って劉裕(りゅうゆう)劉毅(りゅうき)が争ったときには劉毅サイドについた。そして劉裕は謝混がトップ名士であると知りながら、いや、名士であったからこそ、「劉毅に属する者は許さない」と、彼を投獄、殺した。

後に劉裕が皇帝になった時、親族の謝晦(しゃかい)は「この場に謝混がいないのが、恨めしく思えて仕方ありません」と劉裕に言いつのっている。

かなり危ない発言なのだが、劉裕は劉裕で「そうだな、俺も寂しいよ」と返している。

このやり取り、めっちゃひやひやする感じがあって好き。
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