陳嬰 最古の世説新語
文字数 819文字
世説新語は後漢末~東晋末の人物を
メインに書くが、いちばん古い人物は秦 末。
マジか。いくらなんでも
すっ飛ばし過ぎじゃねえか。
東陽 に、陳嬰 という人がいた。
若いころから徳にあふれる
振る舞いで有名であり、
郷里の人びとからの称賛を受けていた。
さて、秦末。大動乱の時代である。
東陽の人たちは陳嬰を奉じ、
決起したい、と考えた。
これに反対したのが母親である。
「いけません!
母はこの陳家に嫁いできて以来、
貧乏暮らしでおりました。
しかし、それでよいのです。
迂闊に地位を手に入れてしまえば、
悪いことしか起きません!
兵を率いるのは良い。
だが、主にはならず、
誰かのもとにつきなさい。
さすれば、主が勝利すれば
ご相伴にあずかれるでしょう。
そして、敗北した時の報いは、
誰か別の者に振り掛かるのです」
陳嬰者,東陽人。少脩德行,箸稱鄉黨。秦末大亂,東陽人欲奉嬰為主,母曰:「不可!自我為汝家婦,少見貧賤,一旦富貴,不祥!不如以兵屬人:事成,少受其利;不成,禍有所歸。」
陳嬰なる者は東陽の人なり。少なきに德行を脩め、鄉黨に箸しく稱えらる。秦末の大亂にて、東陽人は嬰を奉じ主に為さんと欲せど、母は曰く:「不可なり! 我れ、汝が家の婦と為りてより、少きに貧賤なるを見たり。一旦の富貴は不祥なり! 兵を以て人に屬したるに如かず。事成らば、少しきは其の利を受けん。成らずば、禍は歸せる所に有り」と。
(賢媛1)
陳嬰
秦末に項羽 のもとで働き、上柱国というかなり高位の将軍となったが、最終的には漢 に降り、劉邦 の弟劉交 が封じられた楚 の国の丞相 となった。いや人の下につくって言葉のスケールがちょっと違い過ぎるんですが……。
たぶんこのひと、原著成立の時にいなくて、南朝陳 の写本の時代に紛れ込んだんじゃないかって思うんですよね。このあと後漢 後期の陳氏もうさうさ出てくるんですが、さすがに序盤の陳氏祭は不自然。「陳の時代に陳氏をねじ込んだ」が、一番感覚に副うものだと思っています。
メインに書くが、いちばん古い人物は
マジか。いくらなんでも
すっ飛ばし過ぎじゃねえか。
若いころから徳にあふれる
振る舞いで有名であり、
郷里の人びとからの称賛を受けていた。
さて、秦末。大動乱の時代である。
東陽の人たちは陳嬰を奉じ、
決起したい、と考えた。
これに反対したのが母親である。
「いけません!
母はこの陳家に嫁いできて以来、
貧乏暮らしでおりました。
しかし、それでよいのです。
迂闊に地位を手に入れてしまえば、
悪いことしか起きません!
兵を率いるのは良い。
だが、主にはならず、
誰かのもとにつきなさい。
さすれば、主が勝利すれば
ご相伴にあずかれるでしょう。
そして、敗北した時の報いは、
誰か別の者に振り掛かるのです」
陳嬰者,東陽人。少脩德行,箸稱鄉黨。秦末大亂,東陽人欲奉嬰為主,母曰:「不可!自我為汝家婦,少見貧賤,一旦富貴,不祥!不如以兵屬人:事成,少受其利;不成,禍有所歸。」
陳嬰なる者は東陽の人なり。少なきに德行を脩め、鄉黨に箸しく稱えらる。秦末の大亂にて、東陽人は嬰を奉じ主に為さんと欲せど、母は曰く:「不可なり! 我れ、汝が家の婦と為りてより、少きに貧賤なるを見たり。一旦の富貴は不祥なり! 兵を以て人に屬したるに如かず。事成らば、少しきは其の利を受けん。成らずば、禍は歸せる所に有り」と。
(賢媛1)
陳嬰
秦末に
たぶんこのひと、原著成立の時にいなくて、