阮咸2  絶対音感の世界

文字数 1,328文字

荀勖(じゅんきょく)は音楽に対しての造詣が深く、
人々からも「音楽の申し子」
くらいの評価を得ていた。

当時の式典音楽は、古来より伝わっていた
調律の規格が失われており、
(かん)から禅譲を受けた()の代に至って
形式的に復刻させられた
調律のルールに従い、整備されていた。

そのため、正式なハーモニーからは
わずかなずれが生じていた。

とは言え、本当にわずかなものである。
音楽の達人と称されていた荀勖ですら
満足に気付かないほどのレベルなのだ。
荀勖の手にかかって調律、
演奏された音楽は、素人耳では
素晴らしいものであるとしか思えない。

が、神がかった耳の持ち主である、
阮咸(げんかん)にとっては違う。
音楽を聞きながら、内心では
わずかな調律のずれに気付いていた。

阮咸、敢えてそれを上申することはなく、
親しい人との間で
ちらりと漏らす程度であった。

が、それが荀勖の耳に届いてしまう。

自負心の強い荀勖である。
俺にケチつけるなんて、と怒り、
阮咸を始平(しへい)太守、言ってみれば
田舎町に左遷させてしまった。

そして阮咸、任地で死んだ。

後日の話である。
ある農夫が田畑を耕している時、
(しゅう)の時代の調律器が発見された。

調査の結果、
これが漢魏の時代には喪われていた
調律の規格を示したものだと判明。

荀勖は、この調律器の基準に従って
鐘鼓(しょうこ)金石(きんせき)絲竹(しちく)と言った楽器の
調律を修正してみれば、
自身の調律が全て、
キビの粒一粒ほどではあったが、
短かったことが判明した。

この差を、耳だけで察知していたのか!

荀勖、ことここに至り、
阮咸の卓越した耳に感服した。



荀勖善解音聲,時論謂之闇解。遂調律呂,正雅樂。每至正會,殿庭作樂,自調宮商,無不諧韻。阮咸妙賞,時謂神解。每公會作樂,而心謂之不調。既無一言直勖,意忌之,遂出阮為始平太守。後有一田父耕於野,得周時玉尺,便是天下正尺。荀試以校己所治鐘鼓、金石、絲竹,皆覺短一黍,於是伏阮神識。

荀勖は音聲を善く解し、時論は之を闇解と謂う。遂に律呂を調せるに、雅樂を正す。正會に至れる每、殿庭にて樂を作し、自ら宮商を調え、韻に諧わざる無し。阮咸は妙賞にして、時のひと神解と謂う。公會にて樂を作したる每、心にては之を調わずと謂うも、既にして一言とて直せる無し。勖は之を忌めるを意え、遂に阮を出し始平太守と為す。後に一なる田父の野にて耕せる有るに、周の時の玉尺を得、便ち是れ天下の正尺なり。荀は試みに以て己が治むる所の鐘鼓、金石、絲竹を校さば、皆な一なる黍ほどの短なるを覺え、是れに於いて阮が神識に伏す。

(術解1)



荀勖
煮炊きされたものを喰って、薪の良し悪しを察知する変態。奇人変人にして権勢欲は割と強め、そのことを部下からも煙たがられていたりして、正直もうちょっとこの変態のエピソードを読みたい。

調律について
調律の世界は、それこそ今ならばドとレの間を百等分するレベルで数値化してくれるので、キビの粒一つ分なんて言ったら「ど派手にズレている」レベルの話にはなる。ただ、この時代だと数少ない絶対音感の持ち主の感覚に頼るしかハーモニーが厳密に成立する、言うなれば「礼に適った音が出る」理屈を確立しきれなかったはずである。しかし絶対音感って世界にも精度に差がありそうだなあ。自分の場合相対音感も怪しいので、絶対音感の人の世界は正直よくわからん。
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