王敦1  若年の立身

文字数 847文字

摯瞻(しせん)と言う人は、
異例のスピードで昇進した人である。

四つの郡の長官を歴任。
それから王敦(おうとん)の参謀となったのち、
また別の郡の長官に任ぜられたとき、
ようやく二十九歳になる、
と言った感じだった。

摯瞻を任地へ見送る際、
王敦は言っている。

「きみはまだ三十にもならんのにな。
 その若さでの大抜擢は、
 いささか速すぎると思うのだが」

この王敦をしても、そこまでの
出世スピードではなかったぞ。
暗に王敦、そう言っているのだ。

が、摯瞻はさらりと答える。

「確かに、将軍と比較してしまうと
 早いでしょうね。
 けれども、(しん)の時代の
 甘羅(かんら)に較べれば、
 これでも十分に遅いでしょうとも」



摯瞻は曾て四郡の太守に、大將軍の戶曹參軍に作され、復た出で內史に作さる。年は始め二十九なり。嘗て王敦と別るるに、敦は瞻に謂いて曰く:「卿が年の未だ三十にならずして、已にして萬石と為りたるは、亦た太いに蚤し」と。瞻は曰く:「將軍に於きて方ぶれば、少きにして太いに蚤きと為す。之を甘羅と比ぶれば、已にして太いに老しと為す」と。

摯瞻曾作四郡太守,大將軍戶曹參軍,復出作內史,年始二十九。嘗別王敦,敦謂瞻曰:「卿年未三十,已為萬石,亦太蚤。」瞻曰:「方於將軍,少為太蚤;比之甘羅,已為太老。」

(言語42)



王敦(おうとん)
王導(おうどう)の従兄弟。武勇にすぐれていたため将軍となったが、なにせ琅邪(ろうや)王氏なので権限がとにかく大きい。司馬睿(しばえい)に疎んじられたためキレて叛乱。これによって晋皇室の風上に一時期は立つのだが、その内まただんだん権勢を削られるように。なので死の直前にまた乱を起こそうとして、それで寿命を縮め、死ぬ。罰は王敦の死体に下された。

摯瞻
のちに王敦の乱に際して殺されている。うん、なんていうか……これが言語編に収められてること差し引いても、殺されても仕方なかったんじゃないかな……。

甘羅
秦の時代、わずか十二歳で呂不韋(りょふい)張唐(ちょうとう)の間で折衝をなすとか言う化物じみた功績を残しているガキ。ええ……二人とも秦、あのこわい秦にあって「最もこわい人」的認識を受けてた人ですよ……こわっ……。
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